第32話 騒乱の魔法都市.6

「……なんだ?」


 ――――それにもかかわらず、アリーシャは違和感を覚える。

 絶望的な状況のはずなのに、まるで慌てる感じがない。

 それどころか翔馬の表情には、焦りも諦観すらも見られない。

 戦闘が始まる前は、あれだけ憔悴していたというのに。


「どうして、そんなに落ち着いていられる……?」


 それは、一つの可能性のため。

 二つの魔術が重なった瞬間にたどり着いた、可能性のためだ。


「吸血鬼は超えられない……か」

「……当然だ」


 それは、覆しようのない圧倒的な現実。


「それなら」


 その可能性は、使えないと笑われた魔術を「いつか、もしかしたら」と試行錯誤し続けてきたからこそ生まれた。

 翔馬は臆することなくアリーシャを見据え、そして宣言する。


「見せてやるよ――――俺の魔法を」


 果たしてそんなことが可能なのか。

 それはようやく手にした奇跡の、さらに上を行くということ。

 分からない。だってそれは『行き止まり』の象徴だったから。

 このガントレットが『それ』を可能にする保証なんて、どこにもない。

 それだというのに、身体は昂り震え出していた。

 規格外の掛け算はいったい、どこまでいってしまうのか。

 試してみたい、その可能性を。いや、この確信を。

 相手は最強を謳う異種の王、吸血鬼。

 それでも、鼓動は早鐘を打ち続けている。

 …………賭けよう。

 魔法に憧れたあの日から、積み重ねてきたものたちの全てを。

 翔馬は静かに固有進化魔術を発動する。


「――――身体能力昇華(エクスペリオール)」


 たしかに、二つの『魔術』を用いても吸血鬼には届かなかった。

 それなら――。


「――――感覚超過(ハイ・コンセントレート)」


 二つの『固有進化魔術』ならどうだ。

 最後の最後に残った希望。それは長い試行錯誤の結晶にして、九条翔馬に魔術士として『終わり』の烙印を押したはずの、二つの固有進化魔術だった。

 しかし今、二つの固有魔術は一つになる。

 やっぱり、思ったとおりだ。

 俺の魔法は終わってなんかいなかった、可能性は死んでなんていなかった。


「……行くぞ、吸血鬼」


 だから、この魔法の名は。



「――――宵闇に瞬く閃光(ライトニング・ノットデッド)」



 宣言と共に発動する固有魔術の二重奏。

 ガントレットが再び動き出す。今までにない、震えるほど激しい駆動音と共に。

 そして翔馬は弾ける金色の粒子を足元に残し、アリーシャの視界から――。

 ――――消えた。


「なっ!?」


 その雷光のような一撃を防ぐことができたのは、ほとんど偶然だった。

 信じられないような速度そして軌道から放たれた上段回し蹴りは、光の粒子と共にアリーシャの左腕を弾き飛ばした。

 翔馬の攻勢は続く。左右左と三連続の直線的な拳打で牽制し、アリーシャが反撃しようと踏み出す瞬間を狙った速い肘打ちで頭部を狙う。


「くっ!」


 上体を下げるアリーシャの側頭部を、肘がかすめた。

 コンビネーションが主体の翔馬の攻撃に対し、アリーシャは感覚を研ぎ澄ます。

 上か、下か、次はどう来るか。

 しかし翔馬が腰を落としたのを確認した次の瞬間、飛んできたのはヒザだった。


「正面だとッ!?」


 まさかの強襲跳びヒザ蹴り。アリーシャは間一髪どうにか右腕で抑える。

 跳び上がってしまったことは、本来失策だ。

 その後はもう軌道を変えることもできず着地するのみ。それは隙以外の何物でもない。しかしアリーシャはそこを攻めることができなかった。

 予感は的中する。翔馬は空中で体を回転させ、斜めに振り下ろすような回し蹴りへとつないだ。その勢いは凄まじく、派手に飛び散る粒子と共にアリーシャは蹴り飛ばされた。


「速い、速すぎるッ!!」


 もはや驚異的な、その強さ。

 慄くアリーシャ。手も足も出ないほどの相手なんて、初めてだ。

 しかし翔馬は止まらない。

 短いジャンプの回転蹴りで追撃をかけると、アリーシャは慌ててバックスウェーでかわす。すると着地した翔馬が回転の流れのままに放ったハイキックがあご先をかすめた。それによって顔が上がり視線が上がると、アリーシャは翔馬を見失った。

 さらにハイキックの回転をも利用した半円を描くような足払いが襲う。これをアリーシャがバックステップでかわしたのは、もはや単なる幸運だった。


「ありえない……ここまでは本気ではなかったというのかッ!?」

「……まさか」


 追撃は低空の跳躍から放つ、突き刺すような中段の回し蹴り。

 すると防御しようと身体を半回転させたアリーシャは、偶然これを回避することに成功した。

 続く二度の幸運は好機となる。想定外の状況に翔馬は未だ背を向けたままだ。

 これを逃すアリーシャではない。


「はああああああああ――――ッ!!」


 手刀による刺突。それはこれまでの斬撃とは違い、翔馬にとっては初見となる一撃。

 状況の確認、そして判断から動作へ。これだけの手順を踏まなくては防御すらままならない。

 それは早々簡単に対処できるようなものではない。しかし。


「な、んだとッ!?」


 決めにかかったアリーシャの攻撃は届かなかった。

 なんと翔馬は、突き出された手刀を右手一つで止めていた。

 驚愕に見開かれたアリーシャの赤い瞳を、翔馬の視線が射貫く。


「本気だったさ、ずっと、いつだって」


 次の瞬間、翔馬はつかんだ手首を中心に大きく円を描く様に振り回し、アリーシャを投げ飛ばした。

 それはつい数分前にやられたことを、そのままやり返した形だ。

 アリーシャはどうにか空中で姿勢を立て直すと、片腕を着く形で着地する。

 しかしその時すでに、翔馬は目前まで迫っていた。


「くうッ!!」


 真正面から来た翔馬の蹴り上げた足を、身体を後方にそらすことでかわしたアリーシャはそのままバク転し、大きく飛び下がる。

 追いすがる、翔馬。


「こう……なったらァ!!」


 突き出したアリーシャの手の平に、閃く魔力光。


「ッ!?」


 翔馬が目を見開く。時が止まったかのような一瞬の静寂の後、放たれた一撃はシンプルな魔力解放。

 黄金色の魔力の奔流が、氾濫する河川のような勢いで翔馬に襲い掛かる。

 巻き起こる爆発に粉塵が大きく舞い上がった。その威力を、大きく削られた甲板が物語る。

 まさかの範囲攻撃。これならさすがに無傷ではいられないはず。


「はあ、はあ…………ッ!!」


 息をついたアリーシャはしかし、かすかに聞こえた音に慌てて身体を放り出す。

 すると真後ろから飛び掛かってきた翔馬の蹴りが、頬をかすめていった。


「今のを、飛び越えていたのかッ!?」


 着地。それから翔馬はゆっくりと振り返り――――地を蹴った。

 そして再び始まる、瞬きも許さぬ速さのコンビネーション。

 いよいよ九条翔馬が、吸血鬼を圧倒し始める。


「……マズい、マズいぞこのままでは」


 アリーシャは表情をゆがませた。

 翔馬は稀にトリッキーな攻撃を挟んでくる。

 もしもそれで防御を崩されてしまったら、そのまま一気に勝負を決められかねない。

 九条翔馬と一対一の戦い。こんな機会は早々ない。

 アリーシャにとってこの戦いは、吸血できなければ敗北なのだ。

 よって思考は一点に集中する――――狙いは『隙』を作り出すこと。


「勝負を賭けるべき隙を作って、必殺の一撃を叩き込むッ!!」


 守りに徹することしかできないアリーシャは、ここに来て完全に焦りを覚えていた。

 この瞬間たしかに、『行き止まり』の九条翔馬は、伝説の吸血鬼を超えていた。

 ――――しかし。

 状況の悪さという点では、翔馬も決して変わらなかった。

 着地した翔馬の身体に、早くも疲労が見え始める。

 固有魔術の同時使用による魔力の消費速度は、異常だった。

 このままでは、どこで魔力切れを起こすか分からない。

 いくら一方的な展開が続いているとはいっても、攻め切れないんじゃ意味がない。先に倒れてしまったらその時点でおしまいだ。


 ……だから、そうなる前に勝負を着ける。

 問題は、ここまで吸血鬼の防御を完全に崩せたことが一度もないことだ。

 魔力が切れてしまう前に、勝負を賭けられるだけの一撃を叩き込めるか?

 いや違う。やるんだ、今ここで。

 風花がつないでくれた魔法をもって一気に勝負を付ける。

 俺は吸血鬼を、倒すッ!!

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