第31話 騒乱の魔法都市.5

 それはまるで翔馬の問いかけに答えるかのように、そして長い眠りからの覚めを知らせるかのように強烈な輝きを放つ。


「ッ!」


 光と共に吹き抜けていった突風に、思わずアリーシャは飛び退った。

 その視線の先には、九条翔馬の右手を守るガントレット。


「やはり……やはりあのアイテムには見覚えがある! 思い出せ、なんだった? あのアイテムはなんだった!?」


 やがてその強烈な輝きは、甲部分に埋め込まれた宝石に集約されていく。


「……動いた」


 翔馬はゆっくりと立ち上がり、突然起動したガントレットをただ呆然と眺める。

 間違いない、確かに動いてる。


「……あれ?」


 そして覚える違和感。おかしい。なにかがおかしい。


「そうだ、そうだよ。どうして俺……」


 それは今までありえなかった事だ。


「普通に立ち上がれたんだ?」


『身体能力向上』を使った時に必ず起こる感覚のズレが……ない。

 いや、それだけじゃない。魔術の効果自体が発生してないんだ。

 思わず右手のガントレットを見ると、埋め込まれた二つの小さな宝石の一つが点灯し、もう一つは点滅を繰り返している。

 まるで、『次を待っている』かのように。


「……まさか」


 その可能性に気づいた瞬間、翔馬の全身を雷が駆け抜ける。

 いや、そんなアイテム聞いたことがない。

 そもそも、そんな効果はありえない。

 それは教科書にすら乗っている魔術の基礎で、誰もが従うルールを超越する話だ。


「でも……もうそれしか考えられない」


 激しくなっていく鼓動。

 高まっていく予感に、翔馬の身体が震え始めた。

 もうそれしかありえねえよ。

 他の可能性なんて考えられねえよ!


「そうだよな? そうなんだよなッ!? そういうことなんだよな――――ッ!!」


 翔馬は『再度』魔術を発動。

 予感は、いよいよ確信へと達する。

 二つ目の宝石も点滅から点灯へ代わり、機械部分がゆっくりと駆動を始めた。

『行き止まり』九条翔馬の使い物にならない二つの魔術。

 効果が強すぎて身体を制御できなくなる『身体能力向上』

 そして五感や神経系が鋭くなりすぎて身体を置き去りにしてしまう『感覚先鋭』

 眠り続けていたガントレットは、確信を現実へと変える。

『二つの魔術を同時に使うことはできない』そんな、絶対的なルールを潜り抜けることで。

 二つの魔術を『一つ』に。奇跡が今、動き出す。


「……ああそうか。ようやく思い出した」


 アリーシャは一つ息をついた。


「間違いない。百年前に我を封じた魔術士のアイテムだ。なるほど、当時の物を持ち出してきたというわけか」


 そして翔馬の右腕に視線を向けたまま、分析を開始する。


「封印者の血を継ぐということを逆手に取ったのだとすれば、起動条件は『血筋』、『吸血鬼との接触』、そして戦闘開始の合図でもある『魔術の発動』といったところか……」


 多重の制限をかけることで限界までゲッシュの恩恵を乗せ、本来有り得ない『合成魔術』という奇跡をなすアイテム。それこそが翔馬の持つガントレット。

 それは封印者の血筋を継ぐからこそ使用できる、唯一無二のアイテムだ。

 翔馬は右手を握り、開き、そして再び強く握ってみる。

 違和感がない。でもなにより、思い通りに身体が動く。

 今までとは、明らかに違う。


「だが、結果は変わらない」


 釘を差すように、アリーシャは言った。


「そもそもの力量差が、アイテム一つで覆るようなものではないからだ」


 そしてわずかに腰を落とす。


「終わりだ、九条。今度こそ間違いなく……これで終わりだァァァァッ!!」


 吸血鬼は再び強く地を蹴る。その飛び込みはもはや弾丸。

 突き出される細い手は、翔馬の首を的確につかみにいく。

 その速さ、力強さはさらに勢いを増していた。

 それは翔馬を確実にここで仕留めるための、電光石火の踏み込み。

 回避を試みることすら無謀と言える、まさに必殺の一撃が襲いかかる。

 ――――しかし。

 パーン! と、乾いた音が鳴り響いた。


「なんだとっ!?」


 なんとアリーシャが突き出した右手は、翔馬の左腕によって弾かれた。

 予想外の展開。だがアリーシャは止まらない。一瞬で意識を切り替えると、左手を振り上げ切り裂くような一撃を放つ。

 しかしそれも翔馬は、身体を背後に反らすことで見事にかわす。

 かすかに触れた爪先が、翔馬の前髪をわずかに散らした。


「……見える」


 強力すぎる『感覚先鋭』は、迫り来る高速の攻撃を『可視化』する。

 さすがにアリーシャもこれには動揺を見せた。

 すると次に踏み込んだのはなんと、翔馬の方だった。

 繰り出される右拳。アリーシャは同じく上体を反らすことでこれをかわす。しかし翔馬の攻撃は終わらない。拳を放つ際に生まれた回転を利用し、そのまま左の裏拳へとつないだ。

 放たれたトリッキーな攻撃を、腰を落とすことで避けたアリーシャは、反撃に出ようと上体を持ち上げ――。


「くっ!」


 慌てて左腕で側頭部を防御する。

 翔馬の攻撃はまだ終わってはいなかった。放たれた右のハイキックは、体を持ち上げようとしていたアリーシャの左腕を見事に打ち付けた。


「……動ける」


『身体能力向上』によって強化された攻撃は、相手が伝説の吸血鬼であっても当たり負けないだけの『強靭さ』と『速さ』を誇る。

 挙動の速度、動きの流れ、そして行動の全てを『想うがまま』に体現できる。

 それはイメージがそのまま実現するような感覚。鋭くなった神経が、強化された身体を完全にコントロールしている。

 距離を取ろうとするアリーシャ。しかし翔馬は食らいつく。

 ――踏み込みから放った右の前蹴りは左ヒザに弾かれた。しかしそこからさらに右のミドルキックへとつなぎ、意識を右側からの攻撃に集中させる――。

 そこから放たれた後ろ回し蹴りは、『身体能力向上』によって攻撃へのタメ時間が極限まで短縮され、もはや突然左の上段から襲い来るハンマーのような一撃だった。

 右へ意識が向いていたアリーシャの反応は、一瞬だが確実に遅れてしまった。


「くうっ!」


 翔馬の足先が肩をかすめていく。

 どうにか直撃を回避したアリーシャは、とにかく一度距離を取ろうと大きく跳び退る。

 すると翔馬はグッと力強くヒザを曲げ、狙いを定めた。

 そしてヒザにタメた力を一気に解放し、わずか一歩の助走で――――跳んだ。

 長くそして速い跳躍の最中に空中で身体を回転させると、そのまま慣性と回転を乗せた鋭い跳び蹴りを放つ。


「しつ……こいッ!」


 翔馬の蹴りをどうにか左腕で受けたアリーシャは、さらなる後退をよぎなくされた。

 一方、着地した翔馬は『大振り』ゆえに体勢を立て直すのにわずかに時間を要し、追撃はようやくここで終わりを迎える。


「やれる! 戦えるっ!!」


 確信を得る翔馬。

 対してアリーシャは、ようやく距離を取ることに成功して息をつく。


「……強い」


 動きのキレもそうだが、何より速い。そのうえ連携もスムーズだ。

 もはやアリーシャには、横濱公園で盛大に転んでいた翔馬とは別人にしか見えなかった。

 跳び蹴りを受けた左腕はまだ、痺れたままだ。


「まさかこれだけ戦えるようになるとはな。どんなカラクリかは知らんが下手な機関員なんかよりよっぽど強い。良い魔法を手に入れたものだ」


 アリーシャは驚きながらも、翔馬の魔法を称える。

 もちろんその強さは単純に合成魔術という奇跡のためだけではない。それは『目標』として夢見続けてきたからこそ生まれる、豊富なアクションのイメージがあってこそだ。


「だがな…………勘違いをするなよ」


 発せられる言葉は、強い威圧感と共に。


「百年前、我に立ち向かった者は一人や二人ではなかったのだぞ」


 それは英立魔法機関という、組織との戦い。


「一人で、どれだけの魔術士を退けてきたと思っている」


 アリーシャは、ここで負けるわけにはいかないのだ。

 異種の王として機関と戦う宿命にあるのなら、取り戻さなくてはならない。

 かつてこの街を恐怖に震え上がらせたと言われる、その力を。


「そのためには、この機会を逃すわけにはいかない」


 開かれた吸血鬼の赤い瞳が、妖しく輝き出す。


「九条翔馬が強者であるのなら、もう――――手加減をする必要はないッ!!」

「手加減……っ!?」


 まさかの言葉に驚愕する翔馬。

 その直後、ドン! という爆発音と共にアリーシャが跳んだ。

 翔馬の跳び蹴りが横回転であったのに対し、アリーシャは高速かつ低空の前方宙返りという縦回転による強襲を仕掛ける。

 ヤバいッ!! 翔馬は間一髪のところで後方へ跳び、難を逃れる。

 回避の直前まで翔馬が立っていた床板は、四本の爪によって一撃で切り刻まれた。

 さらにアリーシャは着地の反動を利用して飛び掛かる。

 は、速い! かわしきれないッ!!

 先に着地した翔馬は、体勢を立て直すと同時に腕を組み防御態勢を取る。

 しかしアリーシャの放った掌打は、守りに入る翔馬ごと突き飛ばした。


「――がッ!?」


 予想以上に長い滞空時間の後、背中から落ちた翔馬は板の上を転がっていく。

 まるで正面からトラックにでも突っ込まれたかのような、問答無用の一撃だった。

 アリーシャの戦闘は表すならただ一言、『型破り』のみ。

 そこには格闘技特有の型などなく、相手が守るならその防御ごと吹き飛ばせばいい。そんな『圧倒的な力』があるからこそ許される、力押しのスタイルだ。


「ど、どうなってんだ!?」


 翔馬はどうにか体勢を立て直すが、すでにアリーシャは――――。


「いない!?」


 慌てて視線を走らせる。

 広場である大さん橋の甲板部に、隠れられるような場所はない。

 いや待て! 影が、影が動いてる……上か――――ッ!!

 考えるよりも先に身体が動いていた。翔馬は全力で前方へ跳び込む。

 まさにその次の瞬間、派手な破砕音と共に翔馬のいた床板が一気に折れ、跳ね上がり、砕け散った。アリーシャは着いた手を起点に身体を半回転し、獣のような前傾姿勢のまま翔馬に向かって疾走りだす。


 しかしその半回転の間に翔馬も体勢を整え、すでに迎え撃てる状態を作っていた。

 ……吸血鬼は連携やフェイントのような小技を使わない。

 ここまで全て大振り。それなら回避と同時にカウンターで反撃に出ればいい。

 特攻してくる吸血鬼の一撃目に勝負をかけるっ!

 射程範囲内まで踏み込んだアリーシャは、右手を振り払う。

 それは予想通りの大振り。横の線を描く攻撃は、この距離ならスウェー一つで避けられる!

 ――――はずだった。


「な、んでッ!?」


 裂くような痛烈な衝撃が胸元を走る。

 どうしてっ!? 翔馬は我が目を疑った。

 触れられてもいないのに、どうしてこんなッ!?

 実際のリーチよりも攻撃範囲が広い? いや違う、吸血鬼が腕を振るう度に魔力で衝撃波が起きてるんだ!


「これが吸血鬼の力だ、九条」

「くっ!」


 勢いを増していくアリーシャの攻撃は止まらない。空中に輝く爪あとを残し、体勢を崩した翔馬へ右上段からの振り下ろしを繰り出す。

 マズいッ!

 空間自体を引き裂くかのような攻撃は、避けきれず翔馬の左肩を撫でていく。


「ぐっあぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!」


 それだけで左肩が千切れてしまいそうな痛みが走り、翔馬は大きく体勢を崩した。

 それを見たアリーシャは一気に勝負をつけに出る。右腕を振り下ろしたことで、自然と身体は左手による振り上げへと移行しやすい体勢になっていた。

 光の軌跡を描く必殺の一撃は、床板を切り裂きながら放たれる。

 しかし、その瞬間を待っていたのは翔馬も同じだった。

 ――――今だッ!!

 もともと大振りの吸血鬼なら、勝負を決めるような攻撃の時には必ず隙ができる!

 翔馬は右側へと身をかわした。

 すると左手を振り上げたことで上がったアリーシャの肩が、視界から翔馬を隠してしまう。

 来たっ!! これが勝負の一撃!!


「ここだ――――ッ!!」


 翔馬はアリーシャに向けて渾身の右拳を放つ。

 それは、戦いを決めるための一発。


「なッ!?」


 しかし驚きの声を上げたのは、決めに行ったはずの翔馬だった。

 なんとアリーシャは翔馬の放った渾身の一撃を、振り向きざまの右手一つで完全につかみ止めてみせたのだ。

 驚愕に動きが止まり、一瞬だが時間が静止したかのような空白が生まれる。

 するとアリーシャは拳をつかんだ手を、円を描くように振り回して翔馬を放り投げた。

 きりもみ回転しながら宙を舞った翔馬は、そのまま地面に叩きつけられる。


「ぐっはあ!」

「……認めよう。九条翔馬、やはりお前は強い」


 起き上がることができずにいる翔馬に、アリーシャは告げる。


「中遠距離から魔術やアイテムによる特殊攻撃を行う魔術士が多い中、近接打撃に特化しているというのも面白い」


 その口調には、すでに余裕が含まれていた。


「だが、お前には近接格闘以外の武器がない。それだけで吸血鬼を倒すつもりであれば、もっと圧倒的でなければならないのだ」


 そう、相手はあくまで伝説とまで呼ばれる吸血鬼。

 百年前の戦いは機関の総力を結集し、さらに多数の優秀な魔術士まで動員して行われた。

 それでも打倒には至らず、封印するにとどまった。

 悪の吸血鬼とは、紛うことなき『最強』なのだ。


「よって九条翔馬では……吸血鬼には勝てない」


 アリーシャによって発せられた無慈悲な宣告。

 長い時間の果てに、思いの果てにようやく引き寄せた奇跡でも、吸血鬼は超えられない。

 魔術は同時使用できない。そんな原則をひっくり返し、一度は確かに吸血鬼を圧倒して、勝利への確かな手ごたえを感じた。

 それでも、届かない。


「吸血鬼を超えることなど、不可能だ」


 冷酷な言葉に翔馬は息をつき、魔術を解いた。

 同時にガントレットから光が消えていく。まるで降伏の白旗のように。

 奇跡の二重魔術をもってしても吸血鬼には勝てない。アリーシャ・アーヴェルブラッドは倒せない。

 それこそが、現実だった。

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