第30話 騒乱の魔法都市.4

 大さん橋は、海上に浮かぶクジラのような形状をした巨大な船着場だ。

 ここは海に囲まれているだけでなく、季節も時間も問わず横濱を一望することができるため、魔法都市屈指の景勝地となっている。

 トリップドアによって強制転移させられた翔馬は、不運にもその甲板部分に放り出された。

 そして運よくそれを見つけたアリーシャは、優雅さすら感じさせる挙動で降り立つ。

 落ちゆく夕陽を背にすると、海風がバサバサと長い白髪を揺らめかせた。


「また会ったな、九条」

「吸……血鬼ッ!?」

「どうした、何をそんなに驚いている」

「なんで、どうして……」

「言っただろう、お前の血をいただくと。そしてその時が来た。それだけのことだ」


 その言葉で、翔馬は状況を理解する。


「そうか、魔術士や異種の襲撃は全部……っ!」

「そういうことだ。ようやく会えたな」


 アリーシャはそう言ってため息を一つ。


「我ながらずいぶんと手間取ったものだ。お前にとってはあの夜以来になるのか」


 こうして伝説の吸血鬼とその封印解除者は、ここに再会を果たした。

 転校生として会話までかわしていたことを知らない翔馬にとっては、実に五日ぶりということになる。

 ……間に、合わなかった。

 なんてことだ。こんなに早く再会してしまうなんて。

 人気のない場所、風花と分断された状態、そして見つかっていない対抗策。

 絶対に満たしちゃいけない条件が全部そろってるじゃないか……。

 考えうる限り最悪の状況だぞ……ど、どこかに機関員とかいないのかよっ!?

 翔馬は慌てて辺りを見回すが、付近にはかもめが一羽いるだけだ。


「ああ、どれだけ探してもムダだ」


 アリーシャは余裕の表情のまま告げる。


「人払いはすでに済ませてある。あの風使いの機関員もここへはたどり着けない」

「風花の、ことか」

「まったく嫌になる。人間一人を追い込むのにこれだけ苦心するとはな」


 どんな魔術だろうと使い放題だった頃に比べれば、信じられない状況だ。


「……だが、そんな無様な姿を見せるのも今日までだ」


 そう言ってアリーシャは一歩、踏み出した。

 まるで行くあてのない散歩のように、ゆっくりとその足を進めていく。

 く、来るぞ……っ!

 翔馬は慌てて立ち上がる。


「やめておけ。機関員ですら近接格闘では我が足元にも及ばない者がほとんどだ。たかが学院生程度では相手にもならない」


 アリーシャはそう言って、ウッドデッキを軽く踏み抜いてみせた。

 乾いた音と共にV字にへし折られた板の一枚をつかみ、握りつぶす。

 手を開くと、粉々になった木片がパラパラと風に飛ばされていった。

 翔馬のノドが鳴る。

 こ、こんなウソみたいな力が、吸血鬼にとっては複数の『異能』のうちの一つにすぎないのかよ……っ。こんなのもう、反則だろ。

 人間とは比べものにならない圧倒的なパワー。

 これがかつて魔法都市をたった一人で恐怖に陥れた吸血鬼の、強さだ。


「今日この瞬間をもって、我は魔力を取り戻すのだ」


 じょ、冗談じゃないぞ。

 それは魔法界最強の一角と名高い『悪』が復活するってことだ。

 どうにか、どうにかならないのかよっ!

 翔馬は必死に現状打破のきっかけを探す。しかし。

 逃げ場も、人が来る気配も、そして戦うすべもない。

 仮に多少の隙を作れたとしても、周りを海に囲まれた現状ではどうすることもできない。

 どれだけ考えても、できることはもうなに一つ見つからなかった。

 もはや翔馬にできることは、迫り来る終焉を待つことだけだ。

 絶望的な苦境に、唇を噛みしめる。

 そしてついに、吸血鬼の歩みが――――止まった。


「九条翔馬」


 赤い瞳に獲物を捉え、その名を呼ぶ。

 大さん橋は伝説の再開を目前に、静まり返っていた。

 吸血鬼は唇を開くと、二本の白い牙をのぞかせる。

 ――――そして。



「我がものになる気はないか?」



 とんでもないことを言い出した。


「なん、だって?」


 翔馬は突然の言葉に困惑する。

 なにを、急になにを言ってるんだ!?

 あまりに予想外の展開に、まったく理解が追いつかない。


「もちろん見返りは与えよう。我がものとなれば、本来無限に近い吸血鬼の魔力をお前に分けてやる」

「……なん、だよ……それ」

「そうなれば……」


 アリーシャの視線が、戸惑う翔馬を居抜く。


「変わるぞ、全てが」


 この数日間でアリーシャは現在の魔法都市の価値観、そして翔馬が『行き止まり』と呼ばれる理由を知った。

 ならばこれは、むしろ翔馬にとって大きな転機となる。


「上級魔術だろうが固有進化だろうが、魔法を肌で感じられるようになる。そうなれば今までどれだけ望んでも得られなかった魔術にも……手が届くだろう」


 それは魔術士にとってあまりに恐ろしい、最強の殺し文句だ。


「そしてお前は、全てを手にすることになる」

「……なっ」


 翔馬は思わず息を飲んだ。

 その言葉の意味が分からない者は、この街にはいないだろう。

 それは魔法で人が計られる魔法都市横濱において、富、名声、力の全てを手に入れることに等しい。そうなれば当然、回りにいる人間たちの態度も大きく変わる。

 思うままに魔法を操る自分に皆が歓声をあげ、誰もが尊敬の目を向けるのだ。

 それは全ての魔術士が望む、魔法都市の夢物語に相違ない。


 ――――なにより。

 ずっと望んでいた、求め続けていた魔法に手が届く。

 この街に住めば誰もが魔法に夢を見る。それは翔馬だって変わらない。

 だが、九条翔馬の魔術は使いものにはならなかった。

 教科書なんて、とっくに読み尽した。幻想図書館に通って魔術の勉強だってした。魔法の特集をした雑誌を買い漁って研究したりもした。

 どんなアクションを使って戦うかなんて無数に考えてきたし、魔術の練習で無様な姿をさらしたことなんて数え切れない。

 それでも、報われることはなかった。目標にはたどり着かなかった。


『……せめて一つ、魔法が欲しい』


 そうこぼした翔馬に、この提案が魅力的でないはずがない。

 奇跡のチケットは今、目の前にある。

 手を伸ばせば、つかみとることができる。

 打倒吸血鬼という目標を捨て、ただその提案を受けるだけで念願の『魔法』が手に入るのだ。


「さあ九条翔馬よ――――我が元に来い!」


 真紅の瞳が、翔馬を射抜く。

 魔法都市が開かれて以来の凶悪な誘惑を前に翔馬は、『行き止まり』の九条翔馬は、吸血鬼を真っ直ぐに見つめ返す。そして。



「断る」



 ……ずっと、ずっと魔法が欲しかった。

 憧れ、求め、願い続けた。それでも手は届かなかった。

 だからもしも魔法が手に入るのなら、迷わずどんなことだってする。

 それでも。吸血鬼と手を組むということは、風花との関係を一方的に捨てるということだ。

 あの日俺が憧れたものは、魔法を使えるようになることじゃない。

 誰かを助け、守れるようになることだ。

 だから吸血鬼に与することが風花の思いを裏切ることになる以上、俺の答えは変わらない。

 例えどんな条件を出されても――。


「俺はこの取引には応じないッ!」


 そこにはわずかな迷いすらなかった。

 二者の間に生まれる、埋めようのない隔たり。


「…………交渉、決裂だな」


 確認するようにそうつぶやいたアリーシャは息をつき、静かに目を閉じる。

 白く長い髪が揺れた。


「ならば」


 再び開かれたその真紅の瞳に、魔性の火が灯る。


「力ずくでその血をいただくまでだッ!」


 アリーシャは地を蹴った。

 声を上げる余裕すらない。

 逃げ出そうとする翔馬に肉食獣のように飛びかかると、一瞬で組み伏せてしまう。


「う、ぐっ!」


 な、なんて力だッ。身体が動かない……ッ!!

 こんな、ちょっと押さえられただけで、身動き一つ取れないなんてッ!!


「返してもらうぞっ! 我が力をッ!!」


 アリーシャは容赦なく翔馬へと覆いかぶさる。

 そして長い白髪を左手で押さえると、そのまま強引に首元へと唇を寄せていく。

 それは奇しくも学院の地下で出会った時と同じ状況だ。

 ただあの時と違うのは、風花まつりは助けに来られず、吸血鬼はもう譲歩などしない。

 どうしようもないほどの絶体絶命だということ。

 今度こそ、今度こそ間違いない。

 かつて魔法都市横濱を恐怖に陥れた悪の吸血鬼が、その力を取り戻す時が来たのだ。

 二本の牙が翔馬の首に届くまで、残り――――わずか数センチ。


「この戦いはお前の…………いや」


 アリーシャが、勝ち名乗りを上げる。


「――――お前たちの負けだ!!」


 その言葉に、呼吸が止まる。

 ……お前、たち。

 翔馬は思わず吸血鬼の言葉を繰り返した。そして、思い出す。

 この戦いは……俺一人のものじゃない。

 風花の願いを守るための戦いでもあるんだ。

 機関にもう一度認められたい。信用を取り戻して、祖父の汚名を晴らしたい。

 胸を張って『風花』だって言いたい。

 そんな思いを胸にしながら、風花は無力な手配犯の俺と手を結んでくれた。

 大きなリスクを背負うと分かっていて、それでも手を差し伸べてくれた。

 そして『翔馬くんがいてくれて良かった』と言ってくれたんだ。

 ここで俺が敗れれば、『恋人』である風花には間違いなく捜査の手が伸びる。

 願いは、潰えてしまう。

 吸血鬼との戦いはもうとっくに、自分だけの問題じゃない。


 俺たちは――――共犯なんだ。

 だから、ダメだ。

 翔馬は右手を強く握りしめる。

 どれだけ助けられてきた。どれだけ守られてきた。

 今度は……今度は俺の番だろっ!

 たとえ相手が最強でも、たとえどんなに絶望的な状況だったとしても!

 諦めるなよ! 最後の瞬間までッ!!

 なあ、俺の魔術よ。

 今まで一度だって使い物にならなかった俺の魔術よぉッ!

 ここで役に立たなかったらいつ、どこで、なんのために、誰のために使うんだよ!

 俺を守るためにがんばってくれた風花の願いは、どうなっちまうんだよッ!!

 だからもういいだろ、もういい加減目覚めろよ!!


「目覚めやがれよォォォォォォォォォォォォ――――――――ッ!!」


 翔馬は咆哮と共に『身体能力向上』を発動する。



 そして――――光が爆発した。

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