第27話 騒乱の魔法都市.1

 学院から帰宅したアリーシャは、隠れ家の窓から外の様子を眺めていた。


「そろそろね」


 変身を解くと、その姿は金髪碧眼の学院生から真紅の瞳を持つ白髪の吸血鬼へと変わる。


「アリーシャちゃん、もう九条くん包囲戦始まってるよっ」


 隠れ家にやってきたメアリーは、楽しそうな笑顔で告げた。


「そう」


 予定時刻よりは少し早いが、ついにこの時がやって来た。

 すでに大神玲は作戦のために出動中だ。


「追い込まれるのも時間の問題じゃないかな。かなりの人数が動いてるからねっ」

「そう」

「もう大盛り上がりだよっ。まずは機関員の養成学校になってる学院の生徒で『報復の公開処刑をするんだ』って、みんなが九条くんのクビを狙って躍起になってるのっ」

「そう……そうなの!?」

「うんっ。『ついに伝説の吸血鬼が動き出した! これは機関への宣戦布告に違いない!』って。懸賞金を出した人がいたおかげで、参加者は魔術士も含めて数百人になってるからねっ」

「ちょっと待ちなさいよ! なんで生死問わずになってるのよ!?」

「あれれ? 『宣戦布告をするためにクビが必要なんだ』ってヒートアップしてるんだけど……ダメなんだっけ?」

「ダメに決まってるじゃない!!」


 生き血を吸うから魔力を取り戻せるのであって、死に血じゃダメなのよ!!

 翔馬が封印解除者だということ、力を取り戻すために必要な存在だということは戦況を左右する重大な事実だ。安易に話すべきじゃないという判断は間違ってない。

 でも今回は、それが完全な裏目に出てしまった。


「今は考えていても仕方がないわっ!!」


 アリーシャは立ち上がる。とにかく一秒でも早く、私がこの手で九条を捕らえないと!


「あっ、アリーシャちゃん。必要ならこれ使って。大さん橋行きだって」


 アリーシャはメアリーが放ってきた『劣化版トリップドア』をキャッチすると、『自分を知る者』以外の認識を疎外するアイテム『夜装』を手に隠れ家から飛び出した。

 そしてそのまま陽の落ち始めた空へと舞い上がる。

 九条は魔法を持たないんだから、血に飢えた魔術士や異種に狙い撃ちにされたら殺されてしまうわ! そうなったらもう、元も子もないじゃない!

 お願い、お願いだからまだ、まだ風花と引き離されていないで!!

 お願いだから――――ッ!!


   ◆


「引き離されたああああ――――ッ!!」


 全力疾走中の翔馬は叫んだ。

 おかしい。ガントレットの情報を求めて帝国魔術博物館へ向かう途中に、突然流れの魔術士にからまれた。

 そこまでは分かる。いや、分からないけど状況は理解できる。

 問題はそこからだよ! 次から次へと魔術士や異種と思われるコワモテのヤツらが執拗に追いかけて来るのはどういうワケなんだよッ!?


「ここにいたぞ!!」

「しまった! 見つかった!」


 再び足に力を込め、翔馬は速度を上げる。


「待ちやがれッ! 魔力散弾!(エレメントショット)」


 すると魔術士たちは、容赦なく魔法を撃ち出してきた。


「うわっ!」


 放たれた無数の魔弾が制服をかすめ、すぐそばの鉢植えたちが派手に砕け散る。


「なんだよなんだよ! どうなってんだよこれ――――ッ!?」


 最初に現れた魔術士は一人だけだった。

 それに対応しようと風花が前に出たのが始まりだ。

 すぐに新手の魔術士が背後から俺に迫ってきた。違和感に気づいた風花が振り返った時にはすでに別のヤツらが俺たちの間に割り混んでいた。そのまま見事に分断されて、今じゃこうして孤立無援の身だ。

 ……それに、さっきからドンドン狭い裏路地に入り込んで行ってる。

 こんなところを吸血鬼に狙われたらおしまいだぞ。なんとか次の角を曲がって大通り側へ逃げよう。そうすれば人も多いから物騒な事はできないはずだし、風花と合流するのだってその方が早いはずだっ!


「そこか! 炎弾ッ!(ファイアバレット)」

「うおっ! 危ねぇぇぇッ!!」


 曲がり角の先から現れた魔術士の放った炎の魔弾が石壁にぶつかり、炎が大きく舞い上がった。


「ダメだ! このまま直進するしかねえッ!!」


 結局十字路を真っ直ぐに駆け抜けた翔馬は、背後を確認しようと振り返る。

 そこにはすさまじい速さで迫ってくる一人の男が見えた。


「な、なんだアイツ! めちゃくちゃ早いぞッ!」


 そうか! 身体能力向上で走力を上げてるんだ! このままじゃ捕まる!

 こ、こうなったら!

 翔馬は再び前を向くと、走りながら民家の勝手口ドアを二回ほど叩いた。

 ……頼む、うまくいってくれッ!

 一方、身体能力向上中の魔術士は距離を詰め、翔馬を射程圏内に収める。

 そして一気にスパートをかけると、その手を――伸ばす。


「どちらさまーっ?」


 それは突然のことだった。勝手口のドアが、のん気な返事と共に勢いよく開かれた。


「な、なあぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!?」


 予測不能な事態にブレーキをかけられず、魔術士は高速でドアに突っ込んだ。

 バーン! と派手な音を鳴らすと、そのままズルズルと崩れ落ちていく。


「よしっ! これで少しは……って、なんで追手が増えてんだよ!?」


 しかも今度は上にも!!

 火花を散らす魔弾の隙を突いて新たに急接近してくる異種は、塀から屋根へと飛び移りながら翔馬を狙っていた。

 い、今にも飛び掛かってきそうだ! 早くなんとかしないと!

 走り続ける翔馬。すると今度はその視界に木箱とサビだらけの一斗缶の山が飛び込んでくる。

 ……これだ!

 次の瞬間、屋根を駆ける追っ手の影がグッとその速度を上げ――跳躍した。


「今だっ!」


 身長よりも高く積み上げられた木箱と一斗缶は、飲食店がワインや食用油を購入する際に使われる定番だ。こうして積まれているということは、中身は空に違いない!


「おらああああああ――――ッ!!」


 翔馬はそんな空箱の山を全力で蹴り飛ばした。


「なッ!?」


 空中で軌道を変える術などない。飛び込んできた異種は倒れ込んでくる箱山に全力で突っ込んでいく。

 上がる盛大な衝突音。追っ手の異種は箱の海へと沈んだ。


「いよぉぉぉ――――っし!」


 思わず歓喜の声を上げる。

 これでまた追っ手を突き放せたはずだ。早く大通りの方に進路を変えないと!

 翔馬は速度を上げ、なんとか次の十字路へとたどり着く。


「いたぞ! こっちだ!」


 くっ、大通り側には行けないかッ! それなら反対側は……こっちもダメか!!

 どちらも曲がった先にはすでに魔術士や異種が詰めかけてきていた。


「あーもう! 結局直進かよ……って、おいおいおィィィィッ!!」


 これにはさすがに足を止めざるを得ない。

 決して広くはないこの道の先から、それはフザけた速度で突進してくる。


「車はなしだろおおおおおおおお――――ッ!!」


 右からは魔術士、左からは異種、そして正面からは翔馬目がけて猛スピードで突っ込んでくるクラシカルな暴走車。

 どうする? 道は四方向全部固められてるし、逃げ場なんてない。

 ……アイデアは、アイデアは一つだけある。でもこんなこと出来るわけが……。

 いや! このままここにいても結果は同じだ。


「もう……やるしかないッ!!」


 ゆっくり息を吐きだすと、大きく吸って呼吸を止める。

 そして覚悟を決めた翔馬は走り出した。

 なんと、爆走する自動車に向かって。

 もちろん車は速度を落とさない。アクセルは全開のままだ。

 急速に接近していく両者。そして正面衝突のまさにその寸前。


「ここだ――――ッ!!」


 翔馬は前方へと、跳んだ。

 ――――右足がボンネットを踏む。――――左足がルーフにかすった。

 足を取られ、空中へと跳ね上げられるような形で車を飛び越えた翔馬は、そのまま前方回転しながら落下。ゴロンゴロンと二回ほど地面を転がり、三度目の回転で見事に立ち上がった。

 奇跡の着地だった。


「なんとか……なったああああ――――ッ!!」


 飛び越えられた自動車は、勢いを止められずに壁へ激突して煙を上げる。


「って、よろこんでる場合じゃない! 早く逃げないとっ!!」


 まさかの成功に驚く暇すらなく、翔馬は再び走り出した。


「どうにか、どうにか大通り側に戻れないか……ん?」


 いよいよ焦り始めたところで右側に見えたのは、一本の細い小道。


「……行けるか? 頼む、向こう側まで続いていてくれっ!」


 魔術士との遭遇に注意しながら視線を向ける。

 するとその路は行き止まることなく大通り側へと続いていた。


「いよぉぉぉぉしっ! 行けるぞっ!!」


 しかも魔術士の姿が見えない! ここを抜ければ人通りのあるところへ戻れる!

 小道へと駆け込んだ翔馬は、出口目がけてラストスパートをかける。

 早く風花と合流するんだ。

 ここさえ抜けてしまえばなんとかなるはずだっ!

 早く、早く抜けろォォォォッ!

 しかし、それこそが焦りから生まれた最悪の判断ミスだった。


「――――しまったッ!」


 翔馬は急ブレーキをかける。

 路の先に見えたのは、身を隠していたのであろう魔術士たち。

 慌てて振り返るも、来た道もすでにふさがれてしまっていた。

 ま、まずい……。

 焦る翔馬に対し、魔術士たちはゆっくりと距離を詰めてくる。

 ここは完全な一本道だ。これではもう進むことも戻ることもできない。


「……どうやら、ここまでみたいだな」


 ガラの悪い一人の異種が、邪な笑みを浮かべた。


「おっと動くなよ、少しでも妙な動きをしたら……分かるな?」


 追手たちが一斉に、各々の武器を翔馬へと向ける。


「な、なんで俺を追いかけてくるんだよッ!」

「宣戦布告だよ。あとはまあ、金のためってヤツもいるな」


 なんだよそれ……一体なにを言ってるんだ?

 でも、これが事件に巻き込まれたとか、誰かと勘違いされてるとかじゃない事は分かる。

 理由は知らないけどこいつら、本気で俺を狙ってる。

 こうしている間にも魔術士たちは続々と集まり、魔法攻撃の準備を始める。

 その数はすでに数十人にも達し、ネズミ一匹逃さない完全な包囲網となっていた。

 逃げ場なんてもうどこにもない。

 おい、マジかよ……マジかよッ!!


「それで遺言はおしまいか? それならこれで…………終わりだ」


 その言葉が合図となった。

 その場に詰めかけていた魔術士や異種たちが、一斉に翔馬に向けて魔法を放つ。

 殺到する無数の攻撃魔法。そこにはとても回避できるような隙間なんてない。

 避けることなど、どう考えても不可能だ。


「う、うわああああああああああああ――――――――ッ!!」


 これだけの数の魔法から身を守る方法などない。

 運が良くても大怪我、普通に考えれば死んでしまうだろう。

 ――――魔法は、容赦なく直撃した。

 広がるまばゆい光。オレンジ色に染まり始めた横濱の空に、入り乱れた無数の魔法が砂煙を巻き上げる。

 辺り一面が白煙に埋めつくされ、魔術士たちは期待に気をはやらせていく。

 やがてゆっくりと煙が晴れていくと――――そこに、翔馬はいなかった。


「……いない!?」「消えたぞ!?」「どこに行った!?」


 魔術士と異種の混合軍は、捕らえたはずの目標が突然消えたことに困惑する。


「どうにか、間に合ったわね」


 ルビーアイの少女は、上空で大きく一つ息をつく。

 混合軍の攻撃が当たる寸前だった。アリーシャはスイッチを入れたトリップドアを翔馬へ投げつけ、ギリギリのところで魔術の直撃を回避させていた。


「あとは大さん橋のどこに飛ばされたか次第……でも」


 その目に鋭い光が宿る。勝負の時が、ついにやって来た。

 身にまとった夜装をひるがえすと、伝説の吸血鬼は再び空から翔馬を追い掛ける。


「これでチェックメイトだ――――九条」

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