第25話 暗躍のヴァンパイア.17

「翔馬くんは、相手が誰であっても関係ないんだね」

「ん? どういうこと?」

「優しいんだなって思って」

「そうかな?」


 横濱公園にはいつでも人がいる。

 小さな女の子が決して低くはない木に登っているところを見かけても、いや、それ以前に魔術士たちに意地悪されたということは、そういうやりとりが行われていたはずだ。

 それにもかかわらず誰も助けようとしなかったのは、女の子が異種だったからだろう。

 異種や魔術士に関わって面倒なことになるくらいなら、見て見ぬふりをしようと考える人の方が多いというのが現状なのだ。


「きっとあの子、もう意地悪されたことなんて忘れちゃってるよ」


 風花は駆けて行った異種の少女のことを思い返す。

 もしも自分一人で今の状況に直面していても、落ちた女の子を受け止めて、カバンを取ってあげることはできただろう。

 ただ、最後に振り返って手を振ってくれただろうか?


「異種でも機関員でも意識しない翔馬くんだったから、笑ってくれたような気がするんだ」


 風花は素直に自分の感じたことを口にする。


「……そっか。でも、本当はさ」


 しかし翔馬は、それを単純によろこぶことはできなかった。


「自分の力で助けてあげられたらよかったんだけどな」


 そう言って天を仰ぐ。

 思い出すのは、まだ幼かった時のこと。

 あの時も、さっきみたいに人と異種の間で起きた事件だった。

 一人の女の子がいじめられていたところを見つけた翔馬は、その子を助けようとした。

 そこまではよかった。ただ相手は……異種だった。

 二人はまだ魔術を使えなかった。だから翔馬にできることはただ彼女の手を引いて逃げ回ることだけ。

 遊び半分だったのだろう。笑い声をあげ、魔術を撃ちながら追い回して来る異種たちから、必死に逃げて逃げて逃げ回って、どうにか隠れてやりすごした。

 魔法に憧れたのは、あの時だった。

 逃げることしかできないことが、悔しかった。

 まだ不安そうにしている少女をどうにか安心させたくて、でもそんな力は持っていなくて、だから翔馬は一方的に約束をした。


『俺、魔術士になる。だからいつか君が困った時には、見せてあげるよ――』


 今思えばあの時、俺の目指すものが決まったんだ。

 ……でも、あれからもうずいぶん時間が経ったのに、未だに魔法は使えないままだ。

 俺は今この瞬間までに自分を、そして風花を守れるようになっていないといけなかったんだ。


「こういう時、本来は機関員が声をかけてあげるべきなんだけどね」


 道行く機関員を見つけた風花の言葉に、翔馬は我に返る。


「機関にはすごい魔法を使うヤツがたくさんいるからな。どうなってんだよ、あれ」

「固有進化魔術とアイテム効果の組み合わせで得意な魔法を作るっていうのが、機関では基本だからね。外勤の魔法は派手に見えるものが多いんだよ」

「基本って、固有進化が当たり前なのか……」


 魔術とは原則的に、体系化された基礎魔術から覚えていくものだ。

 やがて使い慣れてくるとその威力や効果が上昇、応用化していくのだが、まれに独自の進化が発現する事がある。

 これを『固有進化』と言う。

 元になった基本魔術が同じでも、その人物によって全く違ったものになるのが特徴だ。

 非常に強力なものが多いのだが、これは稀なことで誰にでも起こるわけではない。

 よって固有進化が一つでも発現すれば、その場で上位魔術士の仲間入り。さらにその魔術は『その人物の代名詞』となる。


「機関員は自分の持つ固有魔術に合ったアイテムを貸してもらえるから、自身の特性を活かせるようにもなるしね」

「それって有利すぎだよな……」

「うん。英立魔法機関が強い力を持っているのも、各人が魔法を確立してるっていうことが、戦力としても名声としても大きいと思う」


 しかしそれは同時に自分を過信する機関員を生み出し、それが異種や他の魔術士との仲を悪化させる原因にもなっている。


「そんなヤツらが街中を警備してるのか。機関には絶対に目をつけられないようにしないとな」

「それだけは間違いないね」

「ちなみに風花はどんなアイテムを借りてるんだ? やっぱりその杖?」

「わたしはアイテムを借りる前に機関に嫌われちゃったから。全部自前だよ」

「……ちょっと待てよ。もしかしてこのガントレットって」


 翔馬の言葉に風花は「本当に鋭いなぁ」と苦笑を浮かべた。


「風花が機関から借りるはずだったアイテムの枠を、俺に譲ってくれたんだな」

「わたしは機関から借りるつもりはなかったからいいんだよ。魔術の系統から言っても魔封宝石が合ってるから」

「やっぱり風花の固有進化は風系?」

「ううん。得意なのはね、念動系なんだ」

「そっか、それは意外だな」

「よく言われる。翔馬くんも固有進化が起きるくらいだし、やっぱり身体能力向上が得意だった感じなの?」

「……ああ、そっか」


 共犯の話を持ちかけられた時は、魔術が使い物にならないってことを伝えるのが目的だったから、まだ説明をしてなかったな。


「俺が『行き止まり』って言われる最大の理由は、そこなんだよ」

「どういうこと?」

「……固有進化自体は、二つある」

「えっ!? 本当に!? そんなことってあるの!?」


 風花は思わず大きな声を上げた。

 まあ驚くよな……優秀な機関員でも一つだし、俺以外に二つの固有進化を持つ魔術士には会ったことがない。


「だからこそ笑い者なんだけどな。二つの魔術で固有進化を発現するっていう奇跡に近い事を起こしておきながら……どっちも全く使い物にならなかったんだから」



 ――――ドクン。



 その言葉に、アリーシャの鼓動が跳ね上がった。

 予感がする。この話は、必ず吸血鬼とその封印解除者の現状を変えうるものになる。

 そう。それは吸血するためのきっかけ、そして隙。

 九条翔馬の持つ、魔法についてだ。


「少なくとも固有進化はその人の才能の行き着く先だから、それが使いものにならないってことはもう伸びる目がない、終わり。だから『行き止まり』なんだよ」


 それは同時に、この街ではドロップアウトを意味する。


「効果の強すぎる『身体能力向上』についていけない感覚を強化できないかって『感覚先鋭』を必死になって覚えたんだけどさ……」


 純粋に運動能力を高める『身体能力向上』と、身体を動かす神経や動体視力などを鋭くする『感覚先鋭』

 この二つを覚えることで、何か良い変化が生まれることを期待した。


「それがまさか別々に固有進化を起こすなんてなぁ……」


 効果の安定しない魔術は決してめずらしい話ではない。ただそれが固有進化まで果たしたとなれば、今度は一転して極少例となる。


「俺の固有進化は『固有』感が全然なかったんだよ。単純に効果が異常強化されただけで。元々ロクに扱えない二つの魔術がさらに制御できないものになってさ」


 そう言って翔馬はため息をついた。それはもう不運と呼ぶしかない。


「それなら効果の上昇とも考えられるから、固有進化じゃないって思い込もうとしたんだけどさ……舞うんだよ、粒子が」


 それが、魔術の応用化と固有進化の違い。

 固有魔術には、発動時に魔力の粒子が飛散するという大きな特徴がある。


「だから学院では二つ目の固有進化っていうどよめきからの……大爆笑だったんだよな」


 ――――アリーシャの鼓動はドンドン高鳴っていく。まるで全身が脈打っているかのように。

 実質的に、九条翔馬は魔術が使えない。

 魔法による対抗策を持たない。それは、これ以上ない『隙』だ。

 翔馬に魔法がないのであれば、一体一の状態に持ち込んだ時点で勝利は確定する。

 下手に勝負をかけて失敗したらチャンスは二度とない。そう思っていたから慎重になっていた。

 でも今は違う。しっかりと準備をすれば一発勝負をかける価値も勝算も……ある。

 しかもそれはアリーシャが得意とする力技、最強を謳う近接戦闘によってだ。


「他にこれといって武器になる魔術もないし、風花と分断されたらおしまいだよ」


 翔馬は「だから」と続けて息をつく。


「……せめて一つ、魔法が欲しい」


 それは心の底から、あふれ出てしまった言葉。


「なにか一つでも俺が魔法を持っていれば、この状況だって変えられたかもしれない」


 見えかけた魔法へと至る道は、またもその姿を消してしまった。

 それでも翔馬は、吸血鬼と再会するまでに対抗策を見つけなくてはならないのだ。

 自分のためにも、そして風花のためにも。


「よし! 次は帝国魔術博物館だな。それでダメならまた幻想図書館に戻って、なんでもいいから吸血鬼対策になりそうなものを見つけよう!」


 だから翔馬は、力強く立ち上がる。


「……うん。でももう閉館の時間だよ」

「えっ? あ、本当だ」


 言われて翔馬は時計を確認する。どうやら思ったより時間が経っていたようだ。


「図書館で時間を使い過ぎたか……」

「調査の続きは明日にして、今日は家で色々できることを考えよう」


 そう言って風花もベンチから腰を上げると、二人は並んで横濱公園をあとにする。



 ――――アリーシャはもう、二人を追いかけない。



 それどころか、よろこびに身体を震わせていた。


「……見つけた」


 封じられた力を取り戻し、圧倒的に厳しい現状を変えうるきっかけを。


「九条翔馬には、致命的な弱点がある」


 魔術は使えず、所有するアイテムも起動しない。

 なにより本人が言っていた。分断されたらおしまいだと。

 封印によって魔力を制限されているとはいえ伝説の吸血鬼。単純な一対一の戦闘でさえあればアイテムを持った機関員にだって負けることはない。

 まして魔法を持たない相手に遅れを取ることなど、ありえない。

 それは二人だけの状況を作った時点で、全てが決するということだ。


「ついに、ついに見つけたぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」


 アリーシャは二人に背を向けると、確信と共に歩き出す。


「いける、今度こそ、間違いなくっ!!」


 ようやくたどり着いた最大の好機を前に、思わず不敵な笑みがこぼれた。

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