第24話 暗躍のヴァンパイア.16

 目の覚めるようなあざやかな青に、金の装飾が映える善隣門。

 そこから中華街大通りを出た翔馬と風花は、横濱スタジアムの方へと進んでいく。

 併設の公園に入るとすぐに、噴水塔から打ち上げられた水球が花火のように弾けて消えるのが見えた。

 その不思議な現象は、噴水自体が設置型の魔法アイテムになっているためだ。


「……あれ、なにかな」

「ん? どうした?」


 広い花壇に咲き乱れるチューリップに翔馬が目を取られていると、不意に風花が足を止めた。

 石畳の敷かれた広場に植えられた一本の木、その上部の枝に何かが引っかかっている。


「あれは、カバンがぶら下がってるのか?」


 なんであんなところに……。

 翔馬が近寄ってみると、幼い女の子がそのカバンを目指して木を登っている最中だった。


「見るからに危なっかしいけど、大丈夫か?」


 嫌な予感がして、早足で女の子の元へと向かう。

 するとまさに翔馬が動き出したその瞬間に――――女の子が手を滑らせた。


「あぶないッ!」


 すでに翔馬は、走りだしていた。

 くっ、ここからで間に合うか!?

 でも落下点までは……あと少しだッ!


「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――ッ!!」


 加速していた翔馬は、少女を受け止めようと全力で飛び込んでいく。

 ――――そして。


「ぐええっ!」


 痛みと共に上がる悲鳴。


「翔馬くんっ!」


 倒れ伏している翔馬のもとに、風花が慌てて駆け寄ってくる。


「二人とも大丈夫っ?」

「ああ、なんとか。それより……君は平気?」


 そう言って頭だけで振り返ると、翔馬の背中に見事な着席を決めた女の子は慌てて立ち上がり、こくりとうなずいた。


「あれは……君の?」


 身体の無事をたしかめながら立ち上がった翔馬がたずねると、女の子はビクッと身体を震わせた。どうやらこの子の物らしい。


「でも、どうしてあんなところに」

「あ、お、おかいもの帰りに……こわいまじゅちゅしの人たちに……」


 そう言って頭上に生やしたふさふさの『耳』を、所在なさげに伏せる。


「なるほど、意地悪されたのか」


 タチの悪い魔術士たちがウサ晴らし半分にやったんだろうな。こんなまだ耳も全部隠せないような小さな子を捕まえて……。


「中身は壊れやすい物?」


 翔馬がたずねると、少女はふるふると首を振る。


「まほうのインク」

「あ、懐かしいね」

「書いて少し経ったら消えるアレか」


 ちなみに消えた後はもう、魔術でしか浮かび上がらない。


「わたしもよくお祖父ちゃんと秘密文書ごっこしてたよ」

「よし、分かった。そういうことなら今から俺が――」


 翔馬はキリッとした表情を作ってから、異種の少女に提案する。


「――無様に失敗して、結局このお姉ちゃんに取ってもらうからな」

「……う、うん」


 緊張していたはずの女の子は、予想外の言葉に不思議そうな顔をしてうなずいた。

 翔馬はさっそく軽いストレッチを始める。

 これは実践的に魔術を練習できるちょうどいい機会だ。

 魔術の習得、そして吸血鬼と戦えるようになる可能性を少しでも上げるために、全力でやらせてもらおう。

 まずは『感覚先鋭』でカバンのちょうど真下に当たる位置を把握して、そこへ移動。

 それから『身体能力向上』に切り替えて垂直に跳躍、そのままカバンをつかんで着地ってところだな。

 流れを確認し、それから大きく一度深呼吸。

 ……よし、まずは位置取りからだ。


「――感覚先鋭(コンセントレート)」


 魔術の発動。翔馬はゆっくりと一歩目を踏み出す……と同時に、出そうとした足が感覚に対して大幅に遅れていることに気づく。

 でもここまでは予想通り。

 なんとかこのラグと意識を合わせるんだ!

 冷静に、冷静に! 翔馬はどうにか身体をコントロールしようともがく。

 しかし次の瞬間には、身体が前へと倒れてしまっていた。


「翔馬くんっ」


 不格好にヒザをつく翔馬。

 声をかけてくれた風花を制し、両手両ヒザをついた状態のまま前へと進む。

 そして再び上を向くと、しっかりとその視界にカバンを収める。

 ……よし、ここで間違いない。次は、ジャンプだ。

 翔馬は感覚先鋭をカットすると、今度は体勢を整えて腰を落とす。


「行くぞ! 身体能力向上ッ!」


 そして魔術の発動と同時に、太ももにためていた力とヒザのバネを一気に解放!

 そのまま砂埃を巻き上げ、翔馬は勢いよく飛び出した!

 ――――前方に。


「「えっ?」」


 見ていた二人の声が重なる。

 翔馬は、あらぬ方向へ猛スピードで吹っ飛んでいった。

 弾け、転がり、滑り、煙を巻き上げ、それからようやく停止する。

 九条翔馬、完全に沈黙。

 風花と異種の少女は、言葉を失う。

 そのあまりの勢いに、クリスマスに偶然彼女と予定が合わなかったからって「俺達は寂しく男だけのクリスマスやろうぜ!」とささやかに盛り上がる友人たちの所にやってきて「あー、やっぱ男同士が気楽でいいわー」とか言って友人たちを怒りに震わせた男とその彼女が、足を滑らせ噴水にスプラッシュ! した。


「しょ、翔馬くんっ!」


 すぐに我に返った風花が翔馬のもとへ走り出し、少女も慌ててその後に続く。


「痛たたたたた……」

「大丈夫? 現実じゃなかなか見られない軌道で飛んでいったけど……」


 翔馬は植え込みに突き刺さることで、どうにかこうにか止まることに成功していた。


「な、なんとか」


 やっぱりダメか……。

 まさかこんな低空の前方宙返りになるなんて。

 本当に、本当に俺の魔術は使いものにならないな。

 唇を噛む翔馬。一方異種の少女はまだ、口が開きっぱなしになっていた。


「……それじゃあ風花、任せてもいい?」

「うん、もちろん」


 植木に突き刺さったままの翔馬の言葉に、風花は力強く応える。


「できるだけかっこよく頼む。風花の魔法を、見せてくれ」

「が、がんばってみるよ」


 そう言って腰元に差していたクイックキャスターを取り出すと、狙いを定める。

 杖を構える姿勢がもう、すでにカッコいい。


「いくよ…………風弾っ」


 放たれた風の弾丸は見事に枝をかすめていく。その揺れによってカバンが弾かれた。

 するとすでにクイックキャスターをベルトに戻していた風花は、『身体能力向上』を発動。

 伸びやかなハイジャンプでカバンを取り、そのまま空中で一回転して着地を決めてみせた。

 文句なしだ。


「はい。中身も……うん、無事だよ」


 風花はゆっくりと二人のもとに戻ってくると、カバンを差し出した。


「フッ、さすが風花だな」

「ま、まだそこに突き刺さったままだったの?」


 驚きの声を上げる風花。

 すると異種の少女はカバンをひったくるように受け取り、そのまま走り出した。

 遠ざかっていく少女。風花はただその背を見送ることしかできない。

 しかし彼女は――――思い出したかのように立ち止まった。

 そして、振り返る。

 そこにあったのは、笑顔だった。


「あ、ありがとうお姉ちゃん、無様なお兄ちゃんっ!」

「こらっ」


 即座に入る翔馬のツッコミ。

 異種の少女は「バイバイ」と、大きく手を振ると『耳』をピンと立てたまま駆け出していく。


「気をつけてね」


 風花が手を振って応えると、翔馬も植木の中からどうにか足だけ振って見せた。


「翔馬くん、少し休もっか」

「……そうだな」


 植えこみから引っ張り出してもらった翔馬は、細かい枝やら葉っぱやらをはたき落としてから近くのベンチに腰を下ろす。風花もその隣に座ることにした。

 ――――二人は、気づかなかった。

 あまりに派手な翔馬の失敗を、吸血鬼が目撃していたこと。そして二人の座るベンチのすぐ背後に、その腰を下ろしたことを。

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