第21話 暗躍のヴァンパイア.13

「アリーシャちゃん、ここのお店に入ったよ!」


 猫娘飯店をのぞき見しながら、メアリーは早くもはしゃいでいた。


「メアリーたちは顔も割れてないし、少し遅れて見に行くねっ」

「分かったわ」


 アリーシャは店の前で一度深呼吸をすると、気合を入れ直す。


「……行ってくる」

「ご武運を!」

「がんばってね! アリーシャちゃんっ」


 そして激励する玲とメアリーたちを店の前に残し、猫娘飯店へと足を踏み入れた。

 このタイミングなら二人はもう席に着き、届いたメニューにちょうど目が取られている頃だろう。

 駆けつけた裾の短いチャイナ服の店員と軽い受け答えを済ませると、できるだけ慣れた雰囲気を装いながら店内へと進んでいく。


「……いた」


 翔馬たちの居場所を確認したアリーシャはまず、翔馬たちの会話が耳に届き、それでいて二人の視界には入らずに済む席に腰を下ろした。

 あとは様子を見て、偶然を装いながら二人の席に向かうだけ。

 風花が一緒にいるくらいなによ。それくらい何の問題もないわ。

 私は異種の王。今度は堂々と渡り合って見せる!

 そして近づけてみせる、九条との距離をっ!!

 百年前であれば誰もが腰を抜かした刃のような気迫と共に、伝説の吸血鬼はその目を、耳を、全力で二人へと向ける。

 そんなアリーシャの碧い瞳に映ったのは――。

 仲良く『あーん』とかやってくれちゃってる、翔馬と風花の姿だった。


   ◆


「まあ、もっと気楽な感じでいいと思うよ。友達を呼ぶくらいの感覚でさ。そうだな……『くん』付けしてみるっていうのはどう?」

「うん……翔馬くん」

「お、今の自然だったぞ」

「本当?」

「ただ、これだけだとまだ弱いかもな」

「弱いかぁ」

「そうだな、それじゃもっと『らしい』ことをやってみよう」

「……『らしい』こと?」

「ちょうどここに今、杏仁豆腐が届いただろ」

「うん」

「こういう時にすることって言ったら、一つだよな」


 風花は小首を傾げた。


「そうなの?」


 おお、さすが最近まで男子機関員ごっこをやってただけあるな。と翔馬は感心する。


「こうやってさ『あーん』って食べさせてもらうやつだよ」

「……あ」


 お、さてはどこかで見たのを思い出したな。


「これができるといざという時に強いと思うんだよ。例えば学院なら昼飯、今日みたいに誰かと喫茶店に来た時なんかにもすぐにできる。そしてなにより、恋人同士じゃないと絶対やらないし」

「うん、そうだね」


 風花はわりと気軽に返事をした。

 自分でも知っていたことだから、それはきっと有名かつ効果的なんだろう。

 それに、食べさせてあげるだけなら、言うほど恥ずかしくはない。

 だから大丈夫。そう考えたからだ。


「それじゃあ、始めようか」


 さっそく翔馬はイスを少し近づけるとスプーンを持ち、杏仁豆腐の欠片を一つすくう。

 そしてこぼれ落ちてもいいように片手をその下にそえると――――風花へと向けた。


「……わたしが食べさせてもらう側なのっ!?」

「もちろん」

「こういうのって女の子にしてもらうのが定番じゃなかった?」

「逆だからこそ印象に残るんだよ。より効果的になるんだ」

「そ、そうなの?」

「そういうことだから、ほら、あーん」


 戸惑う風花に、翔馬はスプーンを近づけていく。

 さすがに口を開けてみせるとなると恥ずかしさもさっきの比ではなく、口元にスプーンが来てもすぐにはその口を開かない。

 しかしやがて目前で止まっているスプーンをチラチラと確認し始めると、風花はおずおずとその口を小さく開く。キレイに並んだ白い前歯がのぞいた。

 だがスプーンは動かない。いや、動かさない。

 当然『口を開けたままだと恥ずかしい』と感じた風花は、わずかに頭を動かす。

 自分から近づき、そのまま思い切って口に入れるつもりだ。

 ……狙い通り。

 翔馬はまさにスプーンが口に入る直前で――――その手を引いた。

 見事な空振りだった。


「わ、わ、わっ!」


 風花は一瞬で顔を上気させた。


「なんで避けたのっ!?」

「あはは、ごめん。ちょっとした冗談だよ……今度は避けないからさ」

「もー……」


 スプーンを持ち直した翔馬は、もう一度風花の口元へと杏仁豆腐を持っていく。

 ヤバイなこれ……めちゃくちゃ楽しい。

 予想通りいいリアクションを取ってくれるし、なにより可愛いし。

 風花はそれでも、さっきよりはずいぶんとスムーズに口を開いた。

 そして「今度こそっ」と、今度はやや早い動きで目の前の杏仁豆腐へと食いつく。

 しかし無慈悲にもそこに――――スプーンはなかった。


「ま、また避けたーっ!」


 もうすでに風花の顔は一面残さず真っ赤だ。


「ごめんごめん。つい、ついなんだよ。本当にこれが最後だから。はい、あーん」


 そう言って翔馬は三度スプーンを口元へと持っていく。

 もう三度目だというのに、風花はそれでもこのミッションをやめようとは言い出さない。

 その代わりに『もうこれ以上そういうことしないよね?』という揺れる心情を乗せた、子犬のような視線を向けてくる。

 ……本当に風花は素直で、真面目ないい子だな。

 だから、さすがにこれ以上はやったらダメだ。

 いいな。もうダメだぞ、翔馬!

 風花の真っ直ぐなリアクションがあまりに可愛くて、つい続けてしまった。

 でも、だからこそ。そう、だからこそ。

 これ以上風花にこんな目をさせたらダメなんだ! いいな! 俺ッ!

 何度も自分自身に言い聞かせ、しっかりとイタズラ心を抑える。

 邪念を振り払ったら、あとは風花の哀願を乗せた視線に応えるのみ。

 そう固く心に誓い、翔馬はスプーンを――――全力で引いた。


「もおーっ! 本気で恥ずかしいんだよ!?」

「本当にごめん! なんていうか、本当についとしか言いようがないんだよ!」

「翔馬くんのばかばかばかっ! 次やったら…………逮捕だから」

「ひぎいいいいっ!!」


 一瞬で白目をむく翔馬。

 その隙に風花は、急いでスプーンに食いついた。


「これは……見事な……逆転劇」


 バタリとテーブルに倒れこむ翔馬に、風花は赤い顔のまま「ふふん」と笑ってみせる。

 そんな二人はもちろん、背後の席に着いた悪の吸血鬼様が真顔でドン引きしていることになど、気がつくはずもなかった。


   ◆


「……なんなのよ。なんなのよあれは!」


 隙あらば恥ずかしいことを始める二人に、アリーシャはめまいを起こす。


「よくもまあ、あんな恥ずかしいことを店の中で堂々と……っ!」


 そのイチャつき具合に、思わず一歩足を引く。

 逃げ出したい。逃げ出してしまいたい。しかし。


「……なによ。それが……なによっ」


 アリーシャはどうにか、その衝撃を持ちこたえて見せた。

 外にはメアリーと玲が控えている。

 異種の王たる者、これくらいで逃げ出してしまうわけにはいかない!

 それに食べさせ合いくらい、ヒザの上に乗せるのに比べればマシな方よっ!

 今度こそ、私は負けないわ!


「そんなに食べさせてほしいんだったら、私が風花のヒザの上に乗って食べさせてあげるわよ! 風花もそう! 九条に食べさせた後そのまま身体を半回転して、風花にも食べさせてあげる!」


 覚悟は決まった。

 アリーシャは水を口に含むと、勢いよく立ち上がった。

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