第22話 暗躍のヴァンパイア.14

「あのね、もう一つ話したかったことがあるんだ」

「もう一つ?」

「うん、大切なこと」


 マンゴー杏仁豆腐を食べ終えると、風花はまるでここからが本題といった表情で、買ったばかりのレザーベルトを取り出した。


「くじょ……翔馬くんにこれを使って欲しいんだ」

「俺に?」


 ガントレットは着けっぱなしでも邪魔になる感じではないけど、何に使うんだ?


「それとね」


 ベルトを翔馬の前に置くと、さらに風花は立ち上がる。


「……え、なんで急に?」


 そして左手でスカートの裾をつまむと、なんとそのままわずかに持ち上げてみせた。


「かっ、風花っ!?」


 おおおおいっ! 一体どうしちゃったんだよ!?

 こ、こんな、急に、ええっ!?

 突然のことに驚く翔馬。さらにその背後では。


「ブフ――――ッ!!」


 口に含んだばかりの水を、アリーシャが盛大に吹き出していた。


「う、うそでしょ? ここここんなところで、い、い、一体なにをやってるの……っ!?」


 飲食店の中で、おもむろにスカートをたくし上げて見せる風花。

 露わになる、しなやかな脚。

 女の子らしい華奢さと女性らしい柔らかさを感じさせる内もものラインは、それでいて運動能力の高さを思わせる健康的な張りも感じさせる。

 そしてそこにあったのは、純粋な風花には似つかわしくない黒のガーターリングだった。

 予想外のエロい展開に、アリーシャは一瞬で赤面。

 硬直し、思いっ切り動揺する。


「で、でも、もう後戻りはできない。行かないと……行かないとッ!!」


 まさか過ぎる事態。それでもアリーシャは、強くこぶしを握って立ち向かう。

 しかし風花の空いた右手は、ゆっくりとその太ももへと伸びていき――。


「え? えええええっ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ……っ!!」


 アリーシャの顔は、どんどん真っ赤になっていく。

 人前でのたくし上げ。

 それはヒザ乗せなんか余裕で超えていく、文句なしのイヤらしいやつ。

 悦楽天にしか出てこないはずの変態が今、目の前に。


「こ、こんなところで、ほ、ほ、本気なのッ!?」


 動揺しまくる悪の吸血鬼。しかし風花は止まらない。


「あ……」


 さらに持ち上げられていくスカート。ついにアリーシャが震え出す。


「あ、あ……」


 いよいよその細い指先が、柔らかな内ももに触れ――。


「あ、あ、あ、あ、あ」


 かすかに、風花の白いパンツが見えた瞬間。


「ああああああああ――――ッ!!」


 ついに耐え切れなくなって、アリーシャはその場から逃げ出した。


「アリーシャちゃん?」


 店から飛び出して行くアリーシャに、待機していたメアリーが呼びかける。


「どちらへ行かれるのですかアリーシャ様!?」


 玲の問いかけにも答えない。

 赤くなった顔を隠しながら、アリーシャは裏中華街へと逃げ込んで行く。

 そして同じく驚きに硬直していた翔馬は、背後で行われていたそんな騒動には気づかない。


「か、風花」

「なに?」

「いや、その……見えてる」

「見えてる?」


 風花は、うっかりスカートをめくったまま首を傾げた。


「見え……あっ」


 しかし翔馬が視線をそらしている事に気づいて、ようやくその意味に達する。


「うわわわわっ」


 慌ててスカートを引っ張り下ろすと、ごまかすように咳払い。


「ち、違うんだよ! こ、こういうのはまつり君時代のクセでっ!」

「こ、後遺症か……」

「後遺症はやめて!」


 そう言って風花は、恥ずかしそうに居住まいを正した。

 それから今度は慎重に、ゆっくりスカートの内側へ手を潜らせる。そして。


「翔馬くん、これも使って」


 巻きつけられたガーターリングから、緑色の宝石を一つ取り出した。


「これって……魔封宝石を?」

「うん。落下の衝撃を抑えるために五つ使っちゃったから、魔力が残ってるのは一つしかないんだけど」


 それは金の台座に据えられた大きなエメラルド。

 キラキラと緑に光る六角柱型の魔封宝石は、前もって封じておいた魔術を自在に放出できる便利なアイテムだ。風花はこれにかなりの量の魔力を封じていた。


「でもそれじゃ風花が……」

「あくまで翔馬くんが最優先だからね。こうやってベルトにボールチェーンで巻いておけばすぐ取り出せるから。ここぞって時に使って」

「ベルトを買ってたのは、このためだったのか……」

「一対一の状況なら、魔封宝石を開放すれば少しは時間を稼げるかもしれない。一番怖いのは不測の事態だから、せめてもの防御策ってことで。ちょっと、頼りないけど」


 残念ながら俺たちは、現時点で吸血鬼と戦うための武器を見つけられていない。

 だからせめて今は、突然の奇襲にだけは備えておく必要がある。

 俺さえ血を吸われなければ、少なくともゲームオーバーにはならないのだから。


「分かった。これ、借りておくよ」

「ガントレットも即戦力のアイテムだったらよかったんだけど……ごめんね」

「どうしてあやまるんだよ。起動する可能性があるってだけでもプラスになってるよ」


 しかし風花は首を振る。


「わたしじゃなかったら、ちゃんと戦えるアイテムを手に入れられたはずなんだ」

「どういうこと?」

「翔馬くんのアイテムを取りに行くの……わたしが機関に許可をもらいに行ったんだよ」

「ああ、天授の部屋のアイテムも機関の管轄範囲なのか」

 いや、ちょっと待てよ。

「風花はたしか、機関によく思われてないって言ってたよな?」

「……うん」


 そして入ることを許可された場所は、学院の地下にある天授の部屋。通称ガラクタ山。


「それなら、機関は相手が風花だから天授の部屋、使用条件の分からないアイテムを押し込んだ場所の許可を出したってことか……どうせ使い物にならないと知っていて」

「すごいね、翔馬くん……鋭いなぁ」


 風花は眉尻を下げ、困ったように笑う。

 だがそれだけではない。そういうことなら。


「風花は嫌な顔をされるって分かった上で、機関に頼みに行ってくれたってことだよな」


 返事はなかった。それは肯定に他ならない。

 事実、風花は機関内の部署を散々たらい回しにされて、ようやく認められたのがガラクタ山の使用だったのだ。


「なにか、言われたりしなかった?」


 そんな翔馬の問いに風花はなにかを言おうとして、そっと口を結んだ。

 ……言葉に、したくないんだろう。


「風花……」


 微笑んでみせるその表情には、確かな憂いが混ざっていた。

 それは機関にまた認められたいと願う風花にとって、どれだけ重い内容だったのだろう。


「ありがとう」

「ううん。でもそういうことだからね、役に立ってくれない可能性が高いと思うんだ」

「まだ、こいつだって分からないぞ」

「そうなって、くれるといいな」

「俺がさ、銃に撃たれるんだよ」

「……銃?」


 突然よく分からない話を持ち出された風花は、当然不思議そうに小首をかしげる。

 しかし翔馬は止まらない。


「そう。それで倒れてさ、風花が駆け寄ってくるんだよ。でも俺は死んでなくて」

「うん」

「たしかに心臓を撃たれたのにって不思議がってたら、「あ、こいつが俺の身代わりに……」なんてことだってあるかもしれないだろ?」


 そう語る翔馬の勢いに、風花はぽかんとしてしまっていた。

 言ってることの内容は、ほとんど無理矢理だ。

 ……でも。

 風花は――「ガントレットなのに?」と笑った。

 それに翔馬は「そう、ガントレットなのに」と返す。


「ほら、ハレンチプラネットでも言われただろ」

「オレンジだよ」

「何がきっかけで動くかなんて分からないし、すごいアイテムの可能性もあるって」

「……翔馬くんは本当に前向きなんだね。悲壮感とか全然なくって」

「やっぱり、緊張感に欠ける?」


 苦笑いの翔馬に、しかし風花はゆっくりと首を振った。


「わたしはね、翔馬くんのそういうところ……好きなんだ」


 そう言って微笑むと「それにね」と目を細める。


「ただ前向きなだけじゃないのも知ってるよ。昨日も一昨日も夜に魔術の練習してたよね」

「見られてたのか……恥ずかしい」

「考えようによっては今日だってせっかくアイテムを取りに行ったのに、吸血鬼の強さだけ思い知らされて、魔法都市一番のアイテム職人に見てもらっても起動方法が分からなかったって、そんな日なのに……たくさん笑った気がするんだ」

「……なあ、風花」


 右手のガントレットを見ながら、思わず翔馬は聞いてしまう。


「どうして風花は俺と組もうと思ったんだ?」


 風花まつりは優秀だ。

 吸血される直前に助けてくれただけでなく、魔術っていう俺の弱点を知るとすぐにアイテム取得のために動いてくれた。だからこそ、俺を捕まえればそれなりの功績にはなることくらいは分かっているはずなのに。

 魔術もロクに使えない手配犯を下手にかくまって、バレたら風花も終わりだ。

 そんなリスクを抱えるくらいなら、確実に手柄を上げた方がいいに決まってる。

 オープンテラスに揺れる陽光。

 まだ時間によっては肌寒さを感じるテラス席に、他の客はいなかった。


「……わたしも小さい頃、守ってもらったことがあったから」


 そうつぶやくよう言うと、風花はわずかに目を細めた。

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