第20話 暗躍のヴァンパイア.12
「いらっしゃいませーっ!」
店員たちの元気な声が、店内に響き渡る。
翔馬たちがやってきたのは中華街大通りにある中華喫茶、猫娘飯店。
オープンカフェのような造りをした人気店だ。
道路に面した席を選んでマンゴー杏仁豆腐を二つ頼むと、チャイナ服姿の可愛らしい店員が、スリットの隙間から健康的な太ももをチラチラさせながら厨房へオーダーを伝えに行く。
するとそんな女子店員を見つめていた風花は、不意に翔馬の方を向いた。
「九条くんは、イヤじゃなかった?」
「ん? なにが?」
「わたしが急に九条くんと、その、恋人だってウソをついちゃったこと……」
「あれにはびっくりしたなぁ。思わず全力で叫んじゃったよ」
「そう、だよね」
風花は申し訳なさそうに肩を落とす。
「でもおかげで助かったよ。あの状況を乗り越えるには他になかったと思う」
少なくともアレだけの爆弾発言をされたら、風花が機関員として俺と一緒に行動してるなんて思考に至るヤツは早々出てこないだろうし。
「それに、別にイヤじゃないよ」
「ほんとうに?」
なぜか風花はもじもじと身体を揺らし始めた。
「さっきの店員さんみたいに、可愛くも色っぽくないよ……?」
「そんなことないって。言ってただろ、男子の間で人気が急上昇中だったって」
「そ、そんなの実感ないよ」
「それを言ったら風花だって同じだよ。『行き止まり』なんて呼ばれてるんだぞ、俺は」
魔法でその人物の価値を決めるこの街では、そんなの笑い者以外のなんでもない。
そんなヤツの彼女なんてイヤな役回りだろうに。
「わたしは全然イヤじゃないよ」
「俺も同じだよ」
諭すようにそう告げると風花は安堵の息をつき、笑みをこぼした。
「そっか。よかったぁ……でも、隠しきれるかな」
「クラスでは田中以外の男子に関しては大丈夫だと思う」
「そうなの?」
「基本的には男女が一緒にいたら『はい、あいつら付き合ってる』『むしろ結婚して子供がいる』『俺らはいさぎよく死のう』まで一気に妄想が駆け上がるから」
「そ、そうなの?」
「まあ、『ただし九条だけは道連れだがなァァァ!』っていう展開になるけど」
「九条くん、目が、目が白目になってる」
「それに俺と風花が一緒にいることを怪しまれないためには、このままこの関係を続けていくしかないからな」
「そうだね。これからもそういう風に見てもらえるかな?」
「俺が話をしたかったのはそのことなんだよ。なにかしらの対策はしておいた方がいいかもしれない。幻想図書館の時だけじゃなく、オードリーの時もかなり動揺してたし」
正確には、もう目付きからおかしかった。
「対策?」
「恋人の件は、あの教室の状況を切り抜けるために風花が出してくれた助け船。俺はそのくらいにしか考えてなかったんだよ」
「わたしもそうだったんだよ?」
「でも周りは付き合ってると思って見るわけだから、今後も俺らの関係性にツッコミを入れてくるヤツが出て来るかもしれない。その度に大慌てするわけにもいかないからさ」
「そっか。でも対策ってなにをすればいいのかな。ほら、今はもう絶対にしないけど、わたしってちょっと前まで……その、ああいう感じだったでしょう?」
「ああいう……ああ、男子機関員まつり君か」
「わー! なんで口に出しちゃうのさあ!」
風花は「せっかくごまかす感じで言ったのにーっ」と口をとがらせる。
「だからさ、こういうのってすごく恥ずかしくて……」
そうか。つい最近まで普通の女の子ならまだしも、全力で男子機関員ごっこをしてたんだもんな。
それが突然『カノジョ』をやるっていうのは難しいかもしれない。
「恋人っていうのがどんなものなのかも、よく分からないし」
なるほど。まつり君を見守る会の前で半ば意地になっていたのも、そういうところが関係してるのか。
「風花は、まつり君の後遺症に苦しんでいるんだな」
「後遺症はやめて」
「そういうことなら定番だけど、『九条くん』って呼び方だと、ちょっとよそよそしくは聞こえるかもしれない」
「あ、そうだね」
「そこを変えるだけでも結構ニセモノ感をごまかせると思うんだ。呼び方が名前に変わってるっていう変化自体が効果的だろうし」
「うん」
「よし、そういうことだからまずは俺を恋人っぽく『翔馬』って呼んでみてくれ」
「わかった!」
しかし意気込んだはずの風花は、なぜか目をパチパチさせ始めた。
「ん? どうした?」
「あ、あれ、なんでかな。意識するとちょっと恥ずかしくて……」
そう言って照れ笑いを浮かべる。
「ちょっと待ってね」
前置きをすると、風花は心の準備を始めた。
恋人みたいにって考えるだけで、こんなに恥ずかしくなるなんて思わなかった。
でもこれは、恋人らしく見せるためには必要なこと。
「がんばらないと」と、自分に言い聞かせる。
さらに自身を勇気づけるように「よし」と小さくうなずいて、覚悟を決める。
恥ずかしさを押しやり、風花は思い切ってその名前を口にする。
「…………翔馬」
成功。風花は「やった、言えた」と、笑みを浮かべた。
そんな呼びかけに対して翔馬は――。
「……え? なに?」
そう、聞き返した。
「あ、あれっ!? き、聞こえなかった?」
予想外の展開に、風花は顔を朱色に染める。
「そ、そっか、声が小さかったんだね! よ、よし、もう一度、もう一度がんばるよっ!」
再度小さな声で自分にそう言い聞かせると、風花はグッと息を吸い込んだ。
「しょ、翔馬っ!」
それは間違いなくさっきよりハッキリとした呼びかけだった。
今度は大丈夫! 間違いなく届いたはずだよ! 風花はそう確信する。
期待と共に向ける目は輝いていた。それに対して翔馬は――。
「……えっ?」
「なんで聞こえないの――――っ!?」
慌てる風花のリアクションに、翔馬はさすがに顔のニヤつきが隠せない。
「あーっ! 本当は聞こえてたんだ!」
翔馬はすでに、軽く震えていた。
どうしよう。風花が……可愛い。
いや、もちろん普通に聞こえてたんだけど、思わず聞き返しちゃったよ。
風花と話すようになってからずっとトンデモ事件続きだったし、そんなこと気にもかけなかったけど、クラスの男子たちが騒ぐわけだ。
なんていうか、風花って素直で一生懸命なんだよな。
俺が学院地下で見たのは、カッコいい機関員としての風花だった。
だからこそ、それが最高のギャップになってる。
思わぬ展開に、内心でもだえる翔馬。
「次は九じょ……翔……そっちの番だからねっ!」
すると風花は名前を呼ぶ担当の交代を命じ、とたんに強気に出た。
それも当然だ。こういうのは基本的に口にする方が恥ずかしいのだから。
「さあ九じょ……うまくんの番だよっ、早く呼んでよねっ」
風花は得意げに胸をそらしていた。
もちろん一度はお返しで「えっ?」って聞き返してやるつもりだ。
そんな野望を胸に秘めた風花に、翔馬は向き直る。
なるほど、そう来たか。
そういうことなら、全力で応えさせてもらおうじゃないか。
翔馬は微笑みを浮かべると、まっすぐに風花の目を見つめる。そして。
「……まつり」
「ずるいよ……」
あっさりと、そして優しい声で翔馬はその名前を呼んだ。
風花はテーブルに突っ伏し撃沈。赤くなった顔を隠すことしかできなかった。
やがて――。
「その、まつりって呼ばれるのは、は、恥ずかしくて死んじゃいます」
顔を伏せたまま、風花は消え入りそうな声で言う。
「あはは。まあそういうことなら、もっと仲良しな雰囲気で風花って呼ぶことにするよ」
「よろしくおねがいします」
なんとか顔を上げた風花は、そう言って頭を下げた。
「お待たせしましたーっ! こちらマンゴー杏仁豆腐になりますっ」
するとちょうどそんなやりとりを終えたところに、裾の短いチャイナ服を着た店員がやってきた。そして翔馬と風花の前に手際よくガラスの器を並べると、また新たな来客を見つけて素早くテーブルを離れていく。
一方で風花は、まだ火照ったままの顔を両手でパタパタ仰いで熱を冷ましていた。
……待てよ。
そんな姿を見た翔馬の頭に走る、とんでもない閃き。
これなら、さらに恋人感を出せるかもしれない……いや、それだけじゃない。
風花の可愛いところを、もっと見せられるに違いない!
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