第16話 暗躍のヴァンパイア.8

 いくらなんでもあれはムリだろ! なにをそんなにムキになってるんだよ!!

 そ、それに、抱きしめるってのはさすがにダメだ!!

 見れば風花は、一面残さず顔を真っ赤にしていた。

 困り果てる翔馬。すると風花は、翔馬の肩に手を乗せてギュッとつかんだ。

 そして背けたままでいた目を、うかがうようにしながらどうにか合わせて。


「おねがい、九条くん……」


 消え入りそうな、か細い声で告げる。



「……………………して?」



「――――ッ!?」


 理性を消し飛ばす一言。

 半ば放心状態のまま、翔馬は指定通り風花の腰に手を回す。


「……ぁ」


 そのまま密着する二人。

 こんなに細いのに、風花は柔らかくって温かい。

 つややかな黒髪からは、清廉とした石鹸の香り。

 は、恥ずかしい……っ。でも、でも言わないと。言わないとっ!


「マ、マイ……マイスイート……ハニー」

「は、はぃ」


 翔馬はゆっくりと、風花の耳元に口を寄せていく。

 恥ずかしさにこらえきれず、思わず目を閉じた風花のまつ毛が震える。

 そして翔馬は小さく息を吸うと、風花の真っ赤に染まった耳に――。


「――――フッ」

「ひやああああああああっ!」


 あがる嬌声。

 羞恥の限界を越えた風花は、そのままガックリとうなだれる。


「み、み、見ただろ! これくらいのこと、普通にするんだよッ!!」


 風花に変わって叫ぶ翔馬に、お姉さまたちは騒然。

 静まる、幻想図書館前。


「……分かったわ」


 そんな中で声を上げたのはやはり、御園すみれだった。

 抱き締められたままの風花が、未だに紅潮している顔を上げる。


「分かって、くれたの?」

「ええ」


 よ、良かった。

 ここまで……ここまでやったかいがあった!


「まつり君は…………弱みを握られているんだわ」

「は?」

「そうに決まっているわ! 卑怯よ! 九条翔馬!」

「なんでそうなるんだよッ!?」


 弱みを握られているとしたら、むしろ俺の方だ!


「そうよ! 貴方みたいな男らしさにかける優男タイプが一番怪しいのよ!」

「顔は関係ないだろッ!」

「ていうか……彼氏で合ってるのよね? 彼女じゃなくて」

「よーし、強めにぶん殴ってやる!」

「そもそも、私があなたと初対面な時点でおかしいのよ」

「なんでだよ!」

「私はずっと、隙あらばまつり君の後をつけ回してきたわ」

「なにそれ怖っ」

「その私が、初対面なのよ?」


 その言葉に翔馬はハッとする。

 そうか。言われてみれば俺と風花の『交際』には前兆がなさすぎる。

 何気に鋭い指摘だぞ、これは。


「でも」


 言い返せずにいる翔馬を、すみれは怒りの表情で指差した。


「目的である九条翔馬との接触は果たした。今日はここまでにしてあげるわ。それでもまつり君は必ず私たちが助ける。そして取り戻してみせる。九条翔馬……覚悟しておきなさい!」


 そう言い残すと、まつり君を見守るお姉さまたちは引き上げて行った。


「……九条くん、ごめんなさい」


 まだ顔が赤いままの風花は、翔馬の太ももから降りると、そのまま隣に腰を下ろす。


「なんだったんだよアイツらは。めちゃくちゃヤベーじゃねえか……」

「すみれさん、悪い人じゃないんだよ」

「そ、そうなのか」

「うん。ちょっとどうにかしてるだけで」

「頭がどうにかしてる善良なヤツが、一番ヤバいと思うんだが」

「…………」

「とにかく、次行こうか?」


 ため息と共に翔馬が呼びかけると、風花は死んだ目のままうなずいた。


   ◆


 翔馬たちを追いかけて幻想図書館を出たアリーシャは、二人がグリムフォードの女子生徒たちに囲まれるのを見て、物陰に身を潜めた。


「吸血鬼についてずいぶん熱心に調べていたわね……」


 最強の一角とも呼ばれる伝説の吸血鬼は、本棚の影に張り付いて様子をうかがっていたのだ。


「急に『いるよ!』とか言って立ち上がるんだもの、見つかったんじゃないかと思ったわ」


 驚いて飛び上がったせいで、本棚に頭をぶつけちゃったじゃない……。

 また、そんなあからさまに怪しい金髪の美少女に対し、さらにその背後から『司書』が警戒の目を光らせていたのだが、アリーシャがそのことに気づくことはなかった。


「でもやっぱり、あの腕輪は見覚えがある」


 現状では使えないみたいだけど、九条が吸血鬼対策を進めていることは間違いない。

 図書館で情報を集めることで戦い方を決めて、そこに新たなアイテムを投入するつもりね。

 ……やっぱり、急がないといけないわ。


「九条をオトすには、まずなにより距離を縮めること」


『夜を統べる者』と呼ばれ、そのあまりの強さに畏怖すらされた吸血鬼は大きく一つ息を吸う。

 そして手帳から図書館編のページを開くと、勢いのままに二人のもとへと歩き出した。


「そうよ! 行くのよ! 横に風花がいるからなんだっていうのよ! そんなの関係ないわ! ……うん?」


 意気込むアリーシャの足、止まる。

 視線の先には、グリムフォードの女子生徒たちに囲まれた状態で抱き合う二人の姿。

 ――――横じゃない。


「ヒ、ヒザの上ッ!?」


 まさかの事態にアリーシャは驚愕する。


「なんなのよそれ……なんで人前で堂々とあんなことを!?」


 あまりの衝撃に思わず足がすくむ。


「ヒザの上に恋人を座らせてイチャつくところを同級生に見せつけるなんて……ど、どうにかしてるんじゃないの!!」


 女子生徒たちのど真ん中で抱き合い、何やらささやき合う二人。

 それはアリーシャにとって、もはや狂気。

 しかし。それでもこの吸血鬼は行かなければならない。


「そうよ、行かないと」


 九条はアイテムを手にした。

 そして吸血鬼の情報を集めて、確実に対策を進めている。だから。


「行かないと……っ!」


 二人の痴態に愕然としながらも、アリーシャは頬を張り、必死に覚悟を決め直す。

 再び大きく息を吸うと、その足を蹴り上げた! そこへ――。


「ひやああああああああっ!」


 響き渡る風花の嬌声。


「行けるかああああああああ――――ッ!!」


 そのなまめかしい声に、アリーシャの覚悟は完全に打ち砕かれた。

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