第9話 暗躍のヴァンパイア.1
そこは機関員ですら立ち入ることのない、裏中華街のさらに奥。
伝説とまで呼ばれた悪の吸血鬼の隠れ家へ、メアリーは行きつけの喫茶店に向かうような足取りでやってきた。
「学院はどうだったー?」
もちろんその目的は、吸血鬼による九条翔馬の攻略状況を聞くためだ。
「あれ、アリーシャちゃんなんで……涙目なの?」
「涙目になんてなってない!」
真紅のソファにうなだれていた半泣きのアリーシャは、そう言ってそっぽを向いた。
おかしい、こんなハズじゃなかったのに。
予定では転校生として華麗に登場して、一気に好印象を与えるつもりだった。
それなのに自己紹介で口をついて出た言葉は、上から目線の「よろしく」のみ。
それから結局下校まで、まともに声をかけることすらできなかった。
……九条には「イヤな感じのヤツ」と思われたに違いないわ。
でもそんなの仕方ない。そう、仕方ないのよ!
自己紹介直前にとんでもないことを聞かされたんだから!!
「…………恋人がいた」
「え? もしかして例の九条くんに?」
二人とも経験がないのであれば、負けるはずがないと思ってた。
でも、そうじゃなかった。
「しかも相手は、あの手強い機関員」
「機関の人なのっ!?」
予想外の展開に、メアリーは思わず身を乗り出す。
「すごいよ! まさかこんな面白い展開になるなんてっ」
メアリーが調べた感じでは、九条翔馬は見た目も悪くなく、わりと好みのタイプですらあった。
とはいえ、彼女がいるようには見えなかったのだ。
「どっちかっていうと、興味はあるけど必死になったりはしない感じに見えたけど」
そうなったらもう、望む展開は一つだけ。
「これはもう……略奪しちゃうしかないねっ!」
「なっ!?」
アリーシャは思わず目を見開いた。
一方でメアリーの気分は盛り上がっていく。
「魔法都市で偉ぶってる機関の一員と、それに対立する異種たちの王様。二人が一人の男の子を取り合って争うなんて、すっごく……すっごく楽しくなってきちゃった!」
「な、なにを言っている! 他人の恋人を奪うなど、そんなことをしていいわけがないっ!」
「えー?」
「仲の良い二人を引き裂くようなマネは、絶対にダメだッ!」
「んー、でも悪の吸血鬼だもん。そんなの朝飯前だよねっ?」
「ぐっ」
アリーシャは唇を噛む。
そ、そうよ、私は悪の吸血鬼。
そしてこれは吸血によって力を取り戻すために、どうしても必要なこと。
ただ、そのためには一つの大きな問題がある。
……恋にオトすって、どうすればいいのよ。
廊下で待たされている間に教室の盛り上がりを耳にしていたけど、誰かと付き合ってるというのはやっぱり特別なことらしい。
恋人がいるのといないのでは、天と地ほどの差があるに違いない。
たしかに恋人がいるという感覚がどういうものかなんて、全く想像できないもの。
だから分かることは、九条と私には決定的な差があるっていうことだけ。
そう考えると、まるで自分の知らない世界を生きる相手のような気がするわ……。
アリーシャは視線を窓の外に向けながら、ぐるぐると悩み始める。
「ははーん」
そんなアリーシャを見てメアリーは、「そんな気がしてたんだよねー」とつぶやいた。
「実は今日、アリーシャちゃんにプレゼントを持って来てるんだっ」
「……プレゼント?」
「うんっ。アリーシャちゃんの役に立ったらいいなと思って」
そう言ってメアリーは持っていた革製のバッグから様々な本を取り出すと、そのままテーブルの上に積み重ねていく。
「なんだ……これは?」
「メアリーおすすめの恋愛小説、マンガ、その他もろもろでーすっ」
「この悪の吸血鬼に、一から恋愛を勉強しろというのか?」
「あれれ? いらなかったぁ?」
お伽話に出てくる小動物のように、メアリーは可愛らしく首を傾げてみせる。
「……ま、まあ本来なら必要ないが、目を通すくらいはしてもいいだろう」
するとアリーシャは、あくまで仕方なくといった態度で、一番上に置かれていた本に手を伸ばした。
メアリーは「にひひ」と笑みをこぼす。
アリーシャは困っても素直に人に聞けるタイプではない。
そう判断したメアリーは、この状況をもっと面白くするために参考図書を持ってきていたのだった。
そして思惑通り、アリーシャは「あくまで念のためだ」と言いながらページを開いて――。
「なによこれはああああ――――ッ!?」
盛大に吹き出した。
悲鳴を上げ、手にした本を大慌てでメアリーに突っ返す。
「どどどどうして、こ、こ、こんな物が入ってるのよッ!!」
アリーシャは思いっきり顔を上気させていた。
「あーこれ? ちょっとエッチな手をあれこれ使うのも効果的だと思って。男子はみーんな大好きみたいだよ、この『悦楽天』って雑誌」
「そそそそんなのは必要ない!」
「ほら、こういう感じで九条くんの前でバッとスカートをたくし上げて……」
「ペ、ページをめくって見せるなっ!」
「ほらほら見て見て」と動き回るメアリーから、アリーシャは全力で顔を背け続ける。意地でも『悦楽天』を視界に入れないつもりだ。
しかしメアリーは止まらない。
「……九条くん、見て」「アリーシャ? 急にスカートをめくってどうしたんだよ」「……分かってるくせに」「も、もう我慢できない! アリーシャああああっ!」「ああっ九条くん、そんな強引にっ」
「一人舞台を始めるなああああ――――ッ!!」
ななななんで、この子は冗談半分でもこんなに色気があるのよっ!
アリーシャはもう耳どころか頭の先まで残さず真っ赤だ。
「あははは、アリーシャちゃんはこういうのに弱いんだね。これ、本当にいらないの?」
「ひ、ひ、必要ないッ!! 自分からスカートをたくし上げて男に迫るような変態なんて、いるわけないものッ!」
「そうかなー? 意外といるかもしれないよ? とりあえず悦楽天は、そこの本棚にでも入れておくねっ」
さらけ出された悪の吸血鬼の弱点を前に、メアリーは思わず「アリーシャちゃん可愛いなぁ」と、身体を震わせる。
一方のアリーシャは、恥ずかしさをごまかすために別の本を手に取る。
そしてそのままパラパラと大まかに内容を確認していく。
「どーかな? 参考になりそう?」
「ま、まあ、気が向いたら、あくまで気が向いたら読んでみることにする」
「うんっ。それじゃーメアリーはそろそろ帰ろうかなっ」
そう言って黒い日傘をくるんと回して腕にかけると、必殺のウィンクを一つ。
「また遊びに来るねっ。バイバイ、アリーシャちゃん」
瞳から星を散らして隠れ家を出て行った。
再び静けさが戻ってくると、アリーシャはため息をつく。
「まったく、先が思いやられるわ……」
とは言え、機関はすでに吸血鬼打倒に動き出している。
実際、学院との往復中に見かけた機関員の数は異常だった。
だからこそアリーシャはなんとしても翔馬から吸血して、力を取り戻さなければならない。
「……さっきのはさすがにやり過ぎだけど、メアリーの一人舞台、悪くはなかったわよね」
再びソファにうなだれ、アリーシャは考え始める。
電気の消えた状態で二人きりなんて、そんなのもう勝ったも同然だもの。
ようやく顔の熱が引いてきたアリーシャは、きょろきょろと辺りを見回す。
そして誰もいない事を確認すると、重ねられた本の中からいくつかをそっと引っ張り出した。
「ま、まあ、これくらいなら」
そしてそこまで肌の露出の激しくないものを選んで、恐る恐る中身を開いてみる。
――――その瞬間だった。
バーン!! と、ドアが壊れるほどの勢いで開いた。
ビクゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
これでもかというくらい高く飛び上がったアリーシャは、大慌てで手にした本を背に隠す。
「な、な、な、なにっ!?」
うろたえながらドアの方を見ると、そこにいたのは息を切らせた玲だった。
ドキドキと鼓動が高鳴って仕方ないアリーシャへ、玲は元々鋭い目をさらに細め、キリッとした表情を向ける。激しい吐息に合わせて大きな胸が揺れていた。
「アリーシャ様がエッチなあれこれと聞いて!」
「出ていけええええええええ――――ッ!!」
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