第5話 異種王の帰還 The Return of Lord Vampire.5
横濱中華街。
高名な中華料理店が建ち並ぶこの区域は、金文字の看板や原色のネオンが並び、夜になれば不思議な高揚感を覚えるほどの絢爛さを誇る。
しかし華やかな大通りから奥へと踏み込めば、合法違法問わず魔法関係の取引をする場としての危険な一面を見せ始め、すぐにその正体が魅力的でありながらも妖しい街であることに気づかされる。
そこは『裏中華街』と呼ばれ、機関から隠れるために建物を入り組ませたことで生まれた無数の抜け道や隠し部屋が混在する迷宮だ。
裏中華街では十年来の行方不明者が突然見つかることもあれば、昨日までいた人間が翌日には消えていることもある。
前触れもなく爆炎が立ち上ったかと思えば、派手な魔法戦が始まることですら日常だ。
その結果、全容が把握できない難攻不落の城とまで呼ばれるようになった。
――吸血鬼は、真紅のソファに腰掛けていた。
……あの場から撤退するのに使った魔術一回だけで魔力切れだなんて。これだと魔術はほとんど使えそうにない。
封印による魔力の著しい低下を思い、ため息をつく。
そんな姿さえ美しく、そしてどこか恐ろしい。
「吸血鬼様、ただ今戻りました」
「玲か。早いな、どうだった?」
吸血鬼は振り返り、高い身長と伸ばした背筋が美しい少女に目を向ける。
彼女の目元が生む鋭さすら感じさせる顔つきは、まるで抜身の日本刀のようだ。
「はい。中華街から戻ってきましたが、かなりの数が動いています。機関はここ裏中華街にまで潜り込み始めているようです」
「……そうか。あまり時間はなさそうだな」
二人がいるのは、レンガ作りの一軒家。
一見すると古い貴族の私邸のようにも見えるが、実は普通の家屋ではない。
入り口は裏中華街にしかなく、本体と出口は魔法都市の端に当たる新山下の隅にあるという特殊な隠れ家になっているのだ。
中華街の各方角に立つ大門を始めとする無数の設置アイテムによって隠蔽されたこの部屋にたどり着ける者など、早々いないだろう。
まさに追われる者が逃げ込むには絶好の場所と言える。
「本当にここを使ってもいいのか?」
「はい! 吸血鬼様の帰還にそなえて我が一族が用意していた、最高の隠れ家です」
学院の地下から抜け出した吸血鬼のもとに真っ先に駆けつけてきたのは、この大神玲という少女だった。
人狼の血を引く彼女は、異種の王と呼ばれる吸血鬼に並々ならぬ敬意を抱いていた。
「我らを不当に扱い、魔法都市を我が物顔で歩き回る英立魔法機関。ヤツらに立ち向かい続けた英雄にお仕えすることができるとは、これ以上のよろこびはありません」
そう言って玲は敬愛の視線を向ける。
異種にとって吸血鬼という存在は、そのように捉えられているのだ。
「ましてこのようにお美しい方だとは……夢にも」
「機関の目もここなら届くまい。これで拠点の確保はできたわけだな」
そう言って吸血鬼は、ソファに深く座り直す。
「こうなると問題はいかにして力を取り戻すか。すなわち」
そう、それこそが本題。
「あの男の生き血を吸う方法だ」
機関が動き出している以上、魔力の封印解除は急務と言える。
ここ裏中華街も、いつ攻め込まれてもおかしくないからだ。
「だがこれだけ報道されてしまった状態では、吸血鬼が牙を持ち、白髪赤眼であることは誰もが知るところだろう。魔術士や機関員だらけの街中でヤツを襲うのは、もはや無謀だ」
それだけでも厳しいスタートと言えるが、問題はこれだけではない。
「さらに我の邪魔をした機関員。応用しやすい風の魔術を使うだけでなく、動きも鋭かった」
「風使いの機関員ですか……やっかいですね」
「そしてヤツは出会った時と違い自分が狙われていることを知っている。魔法学院の生徒である以上、必ず魔法による防御策を取ってくるはずだ」
腕のいい機関員と共に行動し、人気の少ないところには向かわない。
それでなくても機関が警戒を強化している状況だ。力を封印されている吸血鬼にはこれだけでも十分な対策となる。
こんな状況下では、好機と呼べる瞬間は二度も来ないだろう。よって失敗は許されない。
「何か、確実に吸血を成功させるための『隙』や『きっかけ』が必要だ」
「こーんにーちはっ」
それは、突然の事だった。
悩む二人の目前で、沈黙を蹴破るようにドアが開いた。
そして誰も入って来られないはずのこの場所へ、友人の家に遊びに来たかのような気軽さで一人の少女が入ってくる。
吸血鬼と玲は、彼女のあまりに自然な登場に目を見開いた。
「な、何者だッ!!」
我に返った玲が、すぐに吸血鬼をかばう形で侵入者の前に立ちふさがり、腰元に下げた刀の柄を握った。
その鋭い瞳に敵意の火が灯る。
しかし少女は、そんな玲の殺気も全く意に介さない。
「はじめましてっ。超絶可愛いキュートなメアリーですっ」
キレッキレの動きでポーズを取ると、バシッとウィンクを決めてみせた。
動きに合わせて目元からキラキラまぶしい星のエフェクトが散る。
「……キュートと可愛いは意味が同じだ」
対して吸血鬼は、あくまで冷静に応える。
「うーん、やっぱり女子には効かないなぁ」
「星が散ったのは魔術の類だな?」
とてもとても愛らしいため息をつくメアリーに、吸血鬼は問いかける。
「せーかいっ。たいていの男子はこれ一発でオチちゃうんだよ。こーんなに可愛いから仕方ないんだけどねっ」
自画自賛するだけあって、メアリーと名乗る少女の可愛さは圧倒的だった。
長くつややかな黒髪。小さく華奢な体型。
きらめく大きな瞳と白くなめらかな肌。その手には豪奢な作りの日傘が一本。
子どものようにも見えるのに、大人のような不思議な色気も感じさせるその姿は、男ならとても抗うことなどできないだろう。
「ふ、ふん、どうやら我々にはまったく通用しなかったようだな」
「……玲、せめてその鼻血を拭いてから言え」
「ハッ!?」
吸血鬼に言われた玲は慌てて鼻を確認する。見事に一筋の鼻血が垂れていた。
「くっ、私が可愛いものに弱いばっかりに!!」
「どうやってここに来た?」
鼻を拭う玲に代わって吸血鬼がたずねる。
「んー? 話題の吸血鬼の足跡を追いかけてきたんだよ?」
「ここは逃げ込まれたら機関員ですら諦めると言われる裏中華街だぞ。そう簡単にたどりつけるはずはないのだが?」
「そんなことないよぉ。隠したり騙したりする魔術は得意だもん」
「……どうやらそのようだな」
吸血鬼はすぐに納得した。ただ星が弾けるだけの演出を周りに知覚させることなど、よほど幻術の類が得意でなければ不可能だ。
「質問を変えよう。お前はどうしてここに来た?」
「はいっ、面白そうだからですっ」
二人の異種に囲まれているというのに、メアリーはあっけらかんと言い放った。
「聞こえちゃったんだけどぉ。邪魔されずにとある男の子を捕まえたいんだよね?」
「……そうだ」
端的に答えつつ、吸血鬼は玲に目配せをする。
報道を見る限りでは、封印解除者の情報はまだ出ていない。
そうなると吸血鬼の魔力が封じられていること、そしてその封印を解くには特定人物の吸血がカギになることは、まだ知られていない可能性が高い。
当然そのことを知る人物は少ない方がいい。どこから外にもれるか分からないからだ。
目配せの意味に気づいた玲も口を結ぶ。
「そういうことならっ」
するとメアリーは突然、思わず抱きしめたくなるほど可愛らしい動きと共に右手を上げた。
「はい、ワン、ツー、スリーッ!」
カウントと同時にボンっ! とアニメ調の煙が上がる。
するとその手には、美しい一本の長杖が握られていた。
「「ッ!?」」
突然現れたアイテムに、吸血鬼と玲は思わず身構える。
しかし驚く二人に対してメアリーは、イタズラな笑顔を向けた。
「じゃじゃーん! なんとこれは、変身の杖なのでーす!」
「……変身の杖だと?」
「あれれ? 吸血鬼ゆかりの品って聞いてたんだけどぉ……違ったかな?」
「覚えがないな」
アイテムといえば、手元には封印前に使用していた夜装(ノクターン)がある。
覚えのあるアイテムを持って現れたから、吸血鬼は玲を信用することにしたのだが、変身の杖にはない。
「そっかぁ。正確には劣化品だから、変身って言うよりは着せ替えって言う方が近いんだけどぉ。白髪赤眼は吸血鬼ってみーんなが知ってる状態だと、とっても便利じゃないかなぁ?」
「……確かに、姿を変えれば接触はできるかもしれない。だがそこから完璧な隙を作ることができると思うか?」
それは不用意に外を出歩けないという、最初の問題を解決しただけだ。
「そんなの簡単だよっ」
しかしメアリーはそんな反論に「待ってました」とばかりにビシッと吸血鬼を指さしてみせた。
そしてメアリーは、悪の吸血鬼にまさかの提案を叩きつける。
「そのカレを――――恋にオトしちゃえばいいんだよっ」
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