エルネスティーネ

かのかの

第1話

 エルネスティーネ



「ねえ、あんた、ここの街の子?」

 ロベルトは突然横から話しかけられて驚いた。女の子の声だ。横を見ると、金髪のおさげの女の子が立っていた。

 彼は今、母親に言いつけられて隣町まで買い物に行ってきたところなのだ。そして、帰りの鉄道に乗るため、駅で待っていたのである。特に誰と喋ろうというわけでもなかったので、完全に独りで考え事をしていたのだ。

 ロベルトは突然のことに驚いてやや面食らった調子で返事をした。

「う、ううん…隣町…に住んでるんだけど…」

 すると、女の子は嬉しそうな顔をした。そして言うことには、

「よかった! じゃ、ちょっとあたしの話に付き合ってよ。おもしろーい話があるの」

 ロベルトはすこし不思議な子だなと思いながらも頷いた。

 女の子は、いざ話し始めようとしたが、ふいにはっとしたような顔になってこう尋ねてきた。

「そうだ、あんた名前なんていうの?」

「ぼく? ぼくは、ロベルトって言うんだ」

 ロベルトは答えて、同じように尋ねた。

「きみの名前は?」

 普通ならここで、その子の名前が返ってくると思うだろう。しかし、その女の子は予想外のことを言ってきたのだった。

「うーん、それ教えなきゃだめ?」

 ロベルトは思わず、はあ!?と言いそうになって慌ててやめた。こんな駅の真ん中で大騒ぎするわけにはいかないと思ったのである。代わりに彼はできるだけ落ち着いた声で言った。

「教えなきゃだめかって…人の名前聞いといて、自分は教えないなんてどういうつもりなの? それだったらぼくだって教えなきゃ良かった」

「はいはい、わかったわよ。あたしの名前はエルネスティーネ。ま、エストレルラとでも呼んでちょうだい。みんなそれで呼んでるから」

 ケラケラと笑ったあと、エストレルラ…失礼、ここでは一応正式名称で呼んでおこう…エルネスティーネは続けた。

「それはそうと、あんたの名前っていいわね。シューマンと一緒じゃない」

 ロベルトは突然出てきた名前を聞き返した。

「シューマンって、あの、クララ・シューマンの…」

「そうそう、夫のほうね。ロベルト・シューマン。あたしの敬愛する作曲家なのよ。だから、いいなあって」

「そ、それはどうも」

 ロベルトは下を向いて答えた。エルネスティーネの話があちこちに飛躍するのにはやくも疲れてきたのだ。そろそろ離れてくれないかなこの子。元気が良すぎるんだもの。

 ところが、エルネスティーネのほうは全くロベルトを開放する気はないようだった。それどころか、ロベルトのほうを向いてこう言い始めた。

「まあ、シューマンの話はこのへんでいいわ。そもそも、あんたの名前がロベルトじゃなくて、えーとそうね、フランツとかフェリックスとかライゼンデとかだったら出さなかったつもりだったし。あたし、ほかの話がしたいのよ」

 ひえー、まだ喋るのこの子? 困ったな、ぼくそんなに喋るの得意じゃないしよく喋る人と一緒にいるのも得意じゃないんだけどな…

 ロベルトは、できるだけ嫌そうな素振りを見せながら言った。

「してもいいけど、するならはやくお願い、電車が来るかもしれないもの。…それに、『旅人』(ライゼンデ)なんて名前を付ける親なんかいないよ、きっと」

 エルネスティーネはおどけた調子で答えた。

「あら、そう? まあ、あんたがそう思うならいいわよそれでも。あたしはライゼンデってかっこいいと思うけど。それから、電車はまだ来ないわよ、時間が全然違うし、あたしも電車待ってるんだもの。幼なじみが来るのよ」

 ロベルトは心の中でものすごいため息をついた。これで、彼がエルネスティーネに数十分振り回されるであろうことは確定だ。

 エルネスティーネは、そんなロベルトのことはお構い無しに続けた。

「それでね、ここだけの話なんだけど」

 そこで彼女はにやっと笑い、ロベルトを少し怯えさせた。彼女は声を低くして言った。

「知ってる? この街、夜中にお化けが行進するのよ。それも街中で」

 それを聞いたロベルトは半分ぞっとして、半分わくわくした。彼は怖い話が好きなのだ。しかし、それを語る少女の顔や声があまりにも悪魔のようだったので、すこしぞっとしたのである。

 ロベルトは小さな声で聞いた。

「…なんのために行進するの?」

 エルネスティーネは得意そうな顔になって、ぞっとするような声で言った。

「なぜ行進するのか、ですって?それはね、むかーし殺された貴族の幽霊やなんかが、夜な夜な舞踏会を開くためよ。舞踏会を開く会場を探すために行進するの」

「ち、ちょっとまってよ、舞踏会って、そこまでしてやりたいものなの?」

 ロベルトは慌てて聞いた。彼としてはまた、エルネスティーネの話が飛躍したように思ったのだ。

 エルネスティーネは呆れた。

「もう、話の腰を折るのはやめなさいよ。やりたいに決まってるじゃない。だってあの人たち、…」

 そこで話を止めて、いきなりロベルトにこう聞いた。

「ねえ、あんた聞いたことある? 昔、戦争中に、ある貴族たちが舞踏会を開いて楽しくやってたら、突然敵の国の兵士が乱入してきて貴族たちを殺しちゃったって話」

 その話ならロベルトも聞いたことがあった。前に学校で歴史の時間に習ったし、その様子を描いた絵をこわごわ見たことも覚えている。

 ここでロベルトはぴんときた。…まさか、それは…

「…もしかして、行進してるのは」

「そう。その貴族たちよ」

 ロベルトは、一気にその話に興味がわいた。怖い話は好きだったから、お化けはもしかしたらいるのかもしれないと思っていたし、なにより自分も知っていた話に関係していたからだ。

 エルネスティーネは言った。

「これで分かったでしょ? なんでその貴族たちが夜な夜な行進してまで舞踏会がやりたいか。昔の続きがしたいのよ。あーあ、あわれよねえ、男も女も子どももみーんな殺されちゃったって言うんだもの、しかも楽しいパーティーの最中に」

 ロベルトはそれを遮って喋った。話が気になって仕方なくなってきたのだ。

「ね、ねえ、エストレルラ、その行進見たことある?」

 エルネスティーネは相手が話に乗ってきたので嬉しそうな顔を見せた。そして、自慢げに言った。

「ええ、一度だけ」

「どんな感じだったの!? ぼくも見られるかな!?」

 今やロベルトは小さな子どものようになっていた。最初エルネスティーネを嫌がっていた人だとは思えない。

 エルネスティーネは、まるで弟をなだめるみたいに優しい声で言った。

「まあまあ、落ち着きなさいよ。話してあげるから。そうねえ、とにかくすごかったわ。昔の綺麗な衣装をきた貴族たちがね、夜の大通りを大勢で行進するの。テンポの速い、すこし不気味な曲でね。あたし、そのときは窓から見てたんだけど絵心があれば絵に残しておきたいくらいだったわ」

「隣町まで来ると思う?」

「あはは、来ないわよ! 隣町まで歩いて行ってたら夜が明けちゃうわ」

 ロベルトはそれを聞いてがっかりした顔になった。もし隣町まで来るのならぜひ自分も見てみたいと思ったのである。

 エルネスティーネはそんなロベルトをみて憐れんだ。

「そっか、あんた隣町に住んでるんだっけ。今度こっちに夜中にきて大通りに立ってなさいよ、見れるわよきっと。」

 ロベルトはむすっとした顔になった。

「夜中にこんなとこ来れるわけないじゃない」

「それこそ鉄道で来ればいいんじゃない?あたしがどっかで待っといてあげるわよ」

「無理だよそんなの、母さんに叱られるよ…」

 その後、エルネスティーネは、さらにその行列がどんなだったかを話し続けた。きらびやかな王冠のこと、小さな貴族の子どもたちがかわいいこと、飛び跳ねるようなリズムの音楽が素敵なこと…

 そして、その話を聞けば聞くほど、ロベルトはその行進を見たくて見たくて仕方がなくなっていった。

 ふいに、ガタンガタンという音がした。鉄道が来たのだ。

 しかし、ふたりはそれに気が付かないほど話し込んでいた。どうにかしてこれを見たいと、計画まで立てているようだ。

 そして、その計画がほぼ整ったときだった。

「ロッテ!」

 遠くから、女の子が誰かを呼ぶ声がした。ロベルトは、一瞬そっちを見たものの自分には関係ないだろうとまた話し始めた。

 ところが、その次の瞬間だった。誰にも呼ばれていないはずのエルネスティーネがこう叫んだのは。

「あら、アンナ!お久しぶり!」

「え?ち、ちょっと、エルネス…」

 ロベルトは一気に混乱した。確か、先ほど呼ばれたのは「ロッテ」という少女のはずだ。エルネスティーネとは程遠い名前のように思える。それとも、そういう愛称でもついているのだろうか…いや、たしか、エストレルラと呼んで欲しいと言ったはずだが…

 ロベルトはそんなことを考えて、本人に確認しようと頭をあげた。するとどうだろう、エルネスティーネがそこにいないではないか。

「えっ? い、一体どこに…」

 ロベルトは辺りを必死で見回した。すると、後ろから声が降ってきた。

「ロベルト!」

 ロベルトがその方向を向くと、エルネスティーネが立っていた。ロベルトはどこに行ってたの、と聞こうとして気がついた。エルネスティーネがやけににやにやしているのだ。

 ロベルトはなんといったらよいか分からず彼女を見ていた。先ほどまでとは明らかに様子が違う。…いや、にやにやしていたのは最初からだが、先ほどの何倍も意地悪な顔になっている気がする。

 戸惑うロベルトに、彼女は笑いながらこう言った。

「あのね、あたし、ほんとはロッテって言うの。エルネスティーネとかエストレルラっていうのは、あたしが好きなシューマンの曲から取った名前よ。それから、」

 彼女は満面の笑みになって言った。

「ひっかかってくれてありがとう、ロベルト。さっきの話、シューマンを敬愛しているってところ以外、ぜーんぶ、嘘よ!いるわけないじゃない、お化けなんて!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エルネスティーネ かのかの @Robert-06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ