間章:メロンソーダとコーヒー
放課後ある人に呼びだれた僕は、自転車で十分少々の距離にある、最寄駅のロータリーに来ていた。待ち合わせ場所は、どこにでもある全国チェーンのファーストフード店。最寄駅は線路を隔てた先にもう一カ所ロータリーがあり、待ち合わせ場所はそこにある。
僕は、どことなく重くなる心とともに自転車を引き摺って、踏切を渡って、線路の向こう側へと出た。ロータリーは、地下鉄から地上を走る電車へ、またはその逆で乗り換える人々の往来でごった返している。自転車を押して、なんとか潜り抜けると目的地は目と鼻の先だった。
「いらっしゃいませー」
店内に足を踏み入れると、店員の明るい声に出迎えられた。そこで僕は一瞬、先に注文するか、合流して後で注文しに行くか悩んだ。腕時計で時間を確認すると、待ち合わせとして提示された時間を少し過ぎていた。が、後でといっても、荷物を置いてから注文しにいくのもそれはそれで二度手間な気がする。相手が相手なだけに、気を使わせるのも嫌で。いや、そんな気を使ってくるような人でもないのだが……。
結局僕は少しの罪悪感と、まあ許されるだろうという甘えに押されて、先に注文することにした。
そういえば、この前小説を買ったときのレシートと一緒に渡されたクーポンがあった気がする。システムはよく分からないが、大体の店で使えるポイントカードを出すと、ファーストフード店以外にも、洋服店やコンビニで使えるクーポンがたまに発行されるのだ。レジを待っている間、レシートの束を漁って探すと、すぐにこの店で使えるブツが出てきた。期限は今月末まで。大丈夫そうだ。
「いらっしゃいませ! ご注文お伺いいたします」
「……これを」
順番が来て、クーポンを差し出すと、店員は「ありがとうございます!」と言いながら、慣れた手つきでレジを操作する。プロレベルだな……、なんて思って眺めていたら「ドリンクをお選びください」とにこやかに言われ、僕は迷わずコーヒーを指定した。
「以上でよろしいですか?」
「はい」
「お会計は――」
提示された金額を支払ってから、数分ともしないうちに用意されたポテトとコーヒーを載せたトレーを受け取って、僕は二階へ向かった。夕方で、しかも駅前というだけあってか、テーブルやカウンターでは見慣れた制服に身を包んだ高校生や、雰囲気的に大学生っぽい人達がレポートらしきものを広げていたり、談笑に勤しんでいて、とどのつまり店内は騒がしかった。
「……、」
辺りを見回して、どこかに座っているはずの待ち人を探すと、すぐにその特徴的な髪色が目についた。
混みあう店内をものともせず、一番奥にある四人掛けのテーブル席を堂々と一人で陣取っている人のもとへ、僕は向かった。
「――真冬さん」
「……あ、政樹」
僕が声を掛けると、赤い髪がさらりと揺れると同時に、緑の瞳と目が合う。
「遅くなってすみません」
「別にいいわよ。急に呼び出したあたしが悪いし」
「いや……まぁ、」
「……とりあえず座ったら?」
「……はい」
真冬さんに促されるまま、僕はトレーをテーブルに置いてから、彼女の対面に座った。荷物を置いて、それから真冬さんに視線を向ける。すると彼女はストローを咥えてずずっ、と音を立てながらジュースを飲んでいた。ストローを通る緑色の液体からなんとなく、メロンソーダ――真冬さんはメロンソーダが好きらしい。以前涼がそんなことを言っていた――を飲んでいるんだな、と思った。僕も冷めないうちにコーヒーを飲もうと思って、カップの飲み口を開けて、口にする。うん、苦い。すごく苦い。けど、ミルクや砂糖を入れるとそれはそれで甘すぎて飲めないから、我慢するほかなかった。そういえば、レジで砂糖とミルクは必要ないことを伝えるのを忘れていた。しまった、もったいないことをしてしまった――なんて、そんなことを考えていると、真冬さんが口を押えてけぷっ、と小さくげっぷをした。
「……」
聞いてませんよ。そう思いながらポテトを一本、手に取って口へ運んだ。なんとなく、じとっとした視線を向けられていた気がするけど、無視した。
「……ところで、今日は一体……」
空気を切り替えようと、本題に入ろうとしたら、真冬さんは分かりやすいくらいに肩を揺らした。そんなに急だっただろうか。だとしたら申し訳ないことをした。もう少し、彼女のペースに付き合うべきだった――
「……から、見て、」
「え?」
思考に意識を飛ばしていたのと、単純に店内の喧騒に紛れて聞こえなかったせいで、反射的に聞き返してしまった。真冬さんは、むすっとした表情で僕を睨みつける。僕はそれにすみません、と一言謝った。状況的に僕は悪くないと思ったけど、言い返したところでなんの利益もないし、気にせず流すことにした。
真冬さんははぁ、と溜息を吐くと、ストローを咥え、視線を窓のほうへと向けながらこう言った。
「――政樹から見て、あたしと時沢ってどう見える?」
「……えっ?」
なにを、言った?
脳が言葉の意味を理解するよりも先に問い返してしまったことに、僕は少し遅れて気付いた。しまった。そう思ったときにはもう、真冬さんは――と思って、おそるおそる視線を向けると、彼女は窓のほうを見たままメロンソーダを口に含んでいた。
「……」
「…………」
「……どうなの、」
「え、……」
どうって、言われても。急にそんなこと言われて、答えれる奴がいるだろうか。というか、なんでまた僕にそんなことを。聞く相手を間違えていやしないか。そんな、いくつかの疑問が頭を過ったけれど、目を細めて、僕を静観する彼女の視線に耐えきれなくて、僕はとりあえず当たり障りのない返事をすることにした。
「……友達じゃ、ないんですか」
そう言って、僕は誤魔化すようにカップに口をつけた。
「っ、」
一気に口に流したせいで、熱々の液体に舌が焼かれるような感覚に襲われた。吐き出しそうになったのをなんとか堪えて、ごくん、と喉の奥へ流し込んだ。その勢いに任せてカン、とわりと大きな音を立ててカップをトレーに置くと、真冬さんが少し眉根を寄せたのが見えた。ごめんなさい。思わず出かけた言葉は、寸でのところで飲みこんだ。いや、何か誤解をされたような気がしたが、会話の流れを切ってまで弁解する必要はないだろう。とりあえず、今は彼女の話に耳を傾ける。
「……そう、よね」
やっぱり、と口にした真冬さんはそれから何か考え込むように、窓のほうへと顔を向けて黙り込んでしまった。僕は、切るまでもなかった会話に少しの理不尽さを感じながら、彼女の質問の意図を読み解こうと頭を回した。
一つ、今の質問の形式に対して思いあたるものがある。女子が好意なり、嫌悪を向ける相手――まぁ大体は前者なのだが、とにかく、自分と一緒にいる人との間柄について、第三者からはどう見えているのか聞かれた、ということだろう。
――正直僕から見て、真冬さんと時沢は仲の良い男女に見える。というのは建前で、時沢が真冬さんに対して恋愛感情を抱いていることくらい、僕でも知っている。しかし、真冬さんが時沢のことをどう思っているのかまでは知らないし、なにより彼女は――。
思考するうちに脱線しかけていたことを自覚した僕は、頭を振って邪念を払った。
「……」
ざわざわと騒がしい店内で、僕と真冬さんは黙り込んでいた。
――そんな中僕は、どうしてまた急に時沢の名前が出てきたのか、真冬さんにその理由を聞いてよいのか、少し悩んでいた。
そもそも今日は何のために呼び出されたのかもよく分かっていないし、ただ何か相談したいことでもあるような雰囲気でもないし、こんなことを聞くために呼び出したのなら学校でもよかったんじゃないか、というのが正直な気持ちだ。
……わざわざ学校から離れた場所の店で、男女が二人、待ち合わせる。誰かが聞いたら勘繰ってきそうな内容だが、生憎僕と真冬さんはそんな仲ではないし、第一こんな放課後に遊ぶほど仲が良いわけでもないから、余計にどうしていいのか分からなくなる。
「…………あと、さ」
「……はい」
徐々に温くなりつつあるカップに口をつけようとした瞬間、ストローの袋を弄っていた真冬さんが口を開いた。僕はカップをトレーに静かに置いて、彼女の言葉を待った。
「……あたしと涼のことは、どう思う?」
袋を適当に折ってバネのようなものを作った真冬さんは、それだけ言うとストローを咥えて静かに飲み始めた。
僕は、予想していなかった言葉に、喉が詰まる。
「……なんで、そんなこと聞くん、ですか」
時沢の話じゃなかったんですか。そう意味を込めて問いかけると、真冬さんは目を伏せて、それから「いいから答えて」と不機嫌そうに言った。
僕はそんな彼女の態度にさすがに苛立ちを感じたけれど、逆えるほどの胆力もなく、結局折れてしまった。
「……仲の良い、幼馴染、だと思います」
絞り出すように答えると、真冬さんは一瞬目を見開いて、僕の顔を驚いたような、何とも言えない表情で見てきた。
「……真冬さん?」
「っ、なんでもない。そ、そうよね……あんたから見ても、そうよね……」
「……」
最後のあたりは何を言っているのか分からなかったが、真冬さんは安堵したような表情を浮かべて、胸を撫で下ろした。
僕は、彼女の一連の反応に、少し違和感を覚えた。
そう、なんというか、何かを確認するような問い方なのだ。僕の意見を聞きたいというよりは、己の胸の内にある解答と答えあわせするような。それなら、まだいい。何か不安なことがあって、涼や時沢、桃では頼りにならなくて、僕を頼ったなら。だが、内容が内容なだけに、なぜ僕を選んだのかが分からなくて。
「……あの、真冬さん」
――さすがに、これは聞いてもいいだろう。そう判断した僕は、彼女に問うことにした。
「何か、あったんですか」
端的に、短く。そう意識して問うと、真冬さんはびくりと肩を揺らした。
「…………別に、」
ビンゴだったらしい。苦々しい表情で顔を背けた真冬さんは、「ちょっと、聞きたかっただけ」と付け加えると、僕のトレーにあった、ほとんど手つかずのポテトを一本取って、食べ始めた。
「……そう、ですか」
それだけ返すと、真冬さんは「……悪かったわね」と言いながらもう一本ポテトを咥えた。もそもそ食べ終えると、机上にある紙ナプキンを手に取って、口を拭う。鞄からリップを取り出して、僕から顔を背けてそれを塗ると、キャップを閉めてまた鞄に仕舞った。
その、どうみてももう帰るような素振りを見せる真冬さんに、僕は一度時間を確認した。
……嘘だろ。まだ三十分も経ってないぞ。さすがに一時間は経っていないと思っていたが、それ以下どころの話じゃないぞ。
そう思っても、さっきまでの会話の量からしてみれば、確かに時間は経っていないようにも思えてきて、僕は謎の脱力感と、結局なんだったんだという疑問に苛まされることになるのだった。
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