2

「うっ……」

 呻き声を上げる時沢は、床に手をつけて立ち上がろうとしたけど、それは馬乗りになった女の子の「だめー!」という拒否の声とともにあえなく阻まれた。

「もぉ~なんで逃げるの?」

「……お前が、追いかけて、くる……から、だろ……」

「えー! 時沢くんが逃げなかったら追いかけないよぅ」

「はぁ…………」

 ぷくっと頬を膨らませて、口を尖らせる女の子のいたちごっこのような切り返しに、時沢は深い溜息を吐いた。それから、今度こそ無理矢理にでも立ち上がろうとしたのか、腕を立てて身体を起こす。女の子はその拍子に、「わぁ」なんて可愛らしい声を上げて尻餅をついていたけど、すぐに飛び跳ねるように立ち上がって、スカートについた砂埃を手で払った。

 ――あたしはというと、目の前で繰り広げられた一連の流れを黙って見ていた、っていうよりは、状況が把握出来なくて、ただ立ち尽くしていた。

「……誰?」

 あ、と思ったときには心の声が漏れていた。すぐに口を押さえたけど、しっかり聞かれていたらしい。それまで時沢のほうを見て満面の笑みを浮かべていた女の子が、勢いよく首を回してこちらに顔を寄こしてきた。そのあまりのレスポンスの早さに、思わず喉が引きつる。

「あれ、はじめましてだっけ?」

「っ、」

 そんなあたしはお構いなしと言った風に、女の子は「んー?」と唸りながら一歩踏み込んで、顔を近付けてくる。仰け反る背中に重心が持っていかれて、一歩引き下がると、丸くくり抜けそうなくらい綺麗で大きな円形の瞳と、ぱちりと視線が交合う。

「えーと、志野真冬さん、だよね?」

 こてんと首を傾げた女の子は、猫のように口をきゅっと結ぶと、不敵な笑みを浮かべた。

「そ、うだけど……あんた、は、」

「わたし? わたしはE組の佐生知未(さおともみ)だよ。よろしくね、志野さん」

「……、」

 女の子――佐生さんはにこりと笑いながらも目を細めて、なおもじっとこちらを見つめる。

 ――見られている。

 そうはっきり自覚すると、じわじわと、肋の奥くらいがくすぐられているような、痒いような、そんなもどかしい気分に陥れられて、気持ち悪かった。


 今しがた初めて会った人間をそんなに観察して、何が楽しいのだろうか。得られるものなんて何もないでしょうに。


 というか、なんであたしの名前――


「――なんであたしの名前知ってるの、って顔だね?」

「!」

 出した覚えのない心の声がして、衝撃で身体が固まる。

「ふふっ。知ってるよ。だって調べたもん。邪魔されたくないから」

「えっ……?」

 鼓動が早くなる。ドクン、ドクンと今にも飛び出しそうなくらい強く脈打つ心臓がうるさくて、佐生さんの言葉の意味を理解しようとしても、出来なかった。

「佐生、やめろ。志野が困ってるだろ」

「ぷえっ」

 奇声のようなものが聞こえたと思うと、時沢が呆れた顔で佐生さんの腕を引いて、あたしから彼女を遠ざけた。はっとしたときには、佐生さんは「なんでぇー!」と眉根を寄せて抗議していたけど、時沢は軽くチョップして黙らせていた。

「悪いな、志野。こいつちょっと変わってるんだ」

 ジタバタと暴れる佐生さんの頭を掴んで、時沢は苦笑しながらそんなことを言う。あたしは、そんな時沢がなんかちょっと嫌で、誤魔化すようにマフラーを引っ張って口元を隠した。

 ――なんで、あんたが謝ってんの。

 そう思ったけど、口にはしなかった。なんか、その言い方だと佐生さんは時沢のなんか――ペット? 所有物? 子供? みたいな感じがあって、変だ。そんな疑問が、胸の中で燻る。

 けど、いちいちそんな細かいことを気にしても仕方なくて、あたしはすぐに消化した。

「……別に」

 あたしがそう言うと、時沢はあはは、といつもみたいに困ったように笑った。すると、佐生さんが「えー!」と大声を上げる。

「なんで時沢くんが謝るの? なにも悪いことしてないでしょ?」

 あたしは言わなかったその一言に、時沢は唖然とする。こう、お前は何を言ってるんだ、何も分かってないのかって感じに。佐生さんはそんな時沢に向かって「どうしたの?」と言って、首を傾げる。

「あのなぁ……。はぁ……」

 時沢は何か言おうとして、言葉が出なかったのか、溜息を吐いた。その間も佐生さんは目をぱちぱちと瞬かせて不思議そうな顔をするだけで、何も言わない。


「――あ、」

 一瞬の間の後、タイミングよくチャイムが鳴った。佐生さんが「ほんとだー」と呑気な声で言うと、時沢が「戻るか、」と口にした。

「ちぇー。せっかく時沢くん捕まえれたのにぃ……まぁ、仕方ないか。じゃ、また後でね、時沢くん!」

 佐生さんは早口でそう言うと、ぴゅーん、と擬音みたいなものを発しながら、傍の階段を駆け上がっていった。

 軽やかな足音はあっという間に聞こえなくなって、その場に取り残されたあたしと時沢は、しばらく放心してしまう。

「…………なにあれ」

「……はは……」

 チクチクと棘を刺すように言うと、時沢は乾いた声で笑う。

 あたしは、なぜだかそれにイラついて、時沢の脇腹を軽く突いた。ぐえっ、なんて情けない声がしたけど、そんなもの無視だ。

「……まあ、別に、詮索はしないけど」

 聞く気はない。

 そう意味を込めて言うと、時沢は目を見開いて「えぇ……?」と声を漏らす。

「……聞いてほしいの?」

「いや、別に……そういうわけじゃ……」

 口ごもる時沢に、あたしは余計イライラとしてしまう。いや、自分で聞こうとしておいて聞きたくないなんて言ってるんだから、そりゃあ解答に困るのも分かるんだけど。でも、時沢とあの女の子の関係を今知ったところで、あたしには何の得も利益もメリットもないし、時沢もそれは同じだから。ならそんな無駄なこと聞かないほうがいいし、それより早く教室に戻らないとさすがにまずい。

「……ならいいでしょ。戻るわよ」

「あ、ああ……」

 明らかに困惑の色を見せる時沢の横をすり抜けて、あたしは人気の無くなった静かな廊下をなるべく静かに、だけどさっさと歩いた。時沢も後をついてきているのがなんとなく気配で分かった。


 A組の教室であることが書かれた看板――というよりは札な気もするけど――が見えてきて、あたしが大人しく前の扉から入ろうと手をかけたら、時沢が後ろのほうから入ろうとしてるのが横目に見えて、思わず睨みつけてしまった。時沢は小声で「……だめ?」と聞いてきたけど、あたしはそれに首を横に振って答えた。


 ダメに決まってんでしょ。後ろから入ったところで先生には見つかる運命だし、そもそもあんたがそうやってコソコソ入ったら、あたしもそれに合わせないと変に思われるでしょうが。だったら素直に前から入って、正々堂々「話してたら遅れました」って言って席に着けば、余計なことを言われずに済む。たぶん。

 それに、時沢のそういう悪いことをしたことに対して、コソコソとしてなんとか言い逃れできないかとか、誤魔化せないかなってとこ、あたしはあんまり好きじゃない。どうせ見つかるものは見つかるし、バレるものはバレるんだから、素直に、けど簡潔に伝えれば、先生もそこまで気にしないもんでしょ。あたしたち二人だけの先生じゃないし、あたしたち以外にも遅れたりなんだりして来てる子がいるはずだから、いちいちそんな細かいこと、向こうは気にしていないはずだ。だからそういうもんだと思って、堂々としていればいい。悪いこと――今回は不可抗力みたいなところはある気もするけど――をしたのは、こっちなんだから。


 時沢の行動を咎めて、あたしは勢いよく扉を開けた。ガラガラと音が鳴ると同時に、音に釣られたクラスメイトの視線が一気に集中する。けど、あたしは気にせず教室に足を踏み入れた。気付いた担任のかっちん――加藤勝先生のあだ名だ――が、じろりとこちらを睨みつける。

「おう、志野かぁ。大丈夫かぁ~」

 間延びした声でそう言ったかっちんは、出席簿を開いて、ボールペンをノックする。あたしは、教室後方に座るアイツ――桃に目を配る。視線に気付いた桃はにこりと微笑んだ。

 『大丈夫か』――この意味はまあ、とどのつまり腹の調子は大丈夫か、みたいなものだろう。

 大方、出欠確認の時に桃が「真冬はお腹が痛いそうなので、お手洗いに行ってます~」って言ったんだろう。女子が、お腹痛い。その二つを並べたらこれ以上詮索しようとする教師はまずいまい。いや、語弊どころかめちゃくちゃ誤解しかないし、その前にそういう意味で理解されてる前提で考えるのもすごく癪なんだけど……。

 そうはいってもわざわざ訂正するのも面倒で、結局あたしは友人による虚偽の報告を受け入れることにして、「…………まぁ、なんとか」と返事をした。かっちんもそれで納得したのか、次に後ろにいるやつに視線を移す。

「……で、お前もか?」

 ――時沢だ。時沢は面倒くさそうに溜息を吐くと、「ちっげーよ……」と口にした。かっちんがじゃあなんだよ、みたいな視線を送ると、時沢は気怠そうにこう言った。

「……寝坊だよ。だから遅刻。それでいいだろ」

 時沢はそう言うと、自分の席に向かう。あたしもそれに乗って自分の席に座った。かっちんはへいへい、と軽く言って出席簿を閉じると、プリントを配り始めた。

「真冬、大丈夫ですか?」

 筆箱からシャーペンと消しゴムを取り出して、机の中から出したノートを広げていると、隣の席の桃がひそひそ声で話しかけてきた。

「……あんたが心配するほどのことじゃない」

「……そうですか」

 素っ気なく言うと、桃はそれ以上何も言ってこなかった。


 ――なんだか、朝からひどく疲れた。気疲れ、というのか。慣れない目に遭ったのと、無駄に緊張したせいでドッと疲れが押し寄せる。思わず机に突っ伏したくなったけど、中間試験が数週間後に控えてる今、さすがに寝るわけにはいかない。そうじゃなくても授業は寝るものじゃないけど。


「先に言っとくが、明後日小テストやるからしっかり勉強しとけよー。範囲は今日やるとこまでな」

 ――は? 今なんつった……?

 重要なことをさらりと言ってのけたかっちんは、教室中を飛び交うブーイングを異も介さず、教科書を開いて黒板に文字を書きはじめた。その態度に、次第に声は収まり、授業を受ける空気へと変化していった。

 あたしはとりあえず範囲はここまで、とざっくり書いた付箋をノートの右端に張り付けて、どんどん書き進めるかっちんの文字を急いでノートに書き写すことにした。



◇◆◇◆◇



 その日の昼休み。弁当を食べ終えたあたしは、「私も行きますぅ~」という桃を放置して、保健室に来ていた。扉の前に散乱する上靴を適当に足で避けて、自分の上靴をつま先をそろえて置いてから、保健室に足を踏み入れた。

「あら、志野さん。どうしたの?」

 気付いた小枝ちゃんが、にこりと微笑む。すると、周りにいた女子の何人かがこっちを見たかと思うと、すぐに談笑に戻った。

「あー……昨日の、あれ、返しに来た」

 どう言おうか迷って、歯切れ悪く言ったあたしに、小枝ちゃんは一瞬きょとんとした顔をする。そしてすぐに、ああ! と声を上げた。

「別に気にしなくていいのに~」

 眉尻を下げて苦笑した小枝ちゃんは、律儀ねぇ、なんて言いながら、あたしの横にそびえ立つ白い棚を指差す。

「そこの棚開けると籠あるから。そこに入れといて」

「はーい……」

 指示された棚を開けると、上段のほうに色とりどり、厚さもバラバラの小包装されたブツが置かれていた。あたしはそこに桃色の花柄プリントがされたやつを、スカートのポケットからささっと出して、素早く棚の扉を閉めた。いや、よくあることだと思うから恥ずかしがることじゃないとは思うんだけど、やっぱこういうのはあんまり見られたくない。

「失礼します」

「はーい。お大事に~」

「…………」

 小枝ちゃん、クセで言ってるんだろうな……。

 別に体調が悪いわけじゃない――ちょっと腰は重いけど、今回はまだマシなほう――のに、気遣いの言葉で送りだされて、あたしは保健室を後にした。


 遠くで聞こえる笑い声や叫び声を聞きながら、あたしは渡り廊下を歩く。遠目に見える運動場では、制服のカッターシャツを着たまま、サッカーやキャッチボールをする男子連中が見えた。

 ――そろそろ、暑くなってきたな。

 校舎の間を吹き抜ける生温い風と、ずっと当たっているとじんわりと汗を?く陽のせいで、マフラーを巻いてる首が汗ばむ。

 ……この時期になってもマフラーを巻いてるのがおかしいことくらい、分かっている。でも、分かっていても今更外せるわけもなくて。だから毎年、暑くなってきたときだけ外すようにしている。汗で生地が傷むのも嫌だし。

 たぶん、次の洗濯でしまったほうがいいかな。

「ふぅ……」

 なんとなく、肺に溜まった空気を吐き出す。代わりに吸い込んだ空気は、やっぱり生暖かい。もうすぐ六月だし、梅雨になる前に美容院に行ってトリートメントしてもらいたいな……。


 そんなことを考えながら、渡り廊下から校舎に足を踏み入れたところで、前方のほうから人影が迫ってきているのに、あたしは少し気付くのに遅れた。

「あ、志野さんだ!」

「……?」

 呼び止められて、導かれるまま顔を上げると、今朝ぶりの顔があった。

「……佐生さん……と、時沢?」

「今朝ぶりだね~!」

「…………ええ」

 佐生さんの明るい声を余所に、あたしの視線は彼女の隣に立つ時沢にあった。時沢は、苦い顔で立ち尽くしていて――正確には、佐生さんに腕を組まれて身動きできない様子だった。

「あ、これ? 気になる?」

 あたしの視線に気付いたらしい。佐生さんはあっけらかんとした声でそう言うと、時沢の腕をそれはもう大切そうに、うっとりとした表情で抱き締めた。時沢が「おい!」と叫んだけど、佐生さんはそんなのお構いなしに言葉を続ける。

「えへへー、いいでしょ、これ。羨ましいでしょ」

 そう言うと、佐生さんは時沢の腕に顔を摺り寄せる。時沢は心底鬱陶しそうに「や、め、ろ……!」と言って引き剥がそうとしていたけど、佐生さんのほうが上回っているのか、離れそうになかった。


「…………なにが?」


 ――瞬間、場の空気が凍りつくのを感じた。いや、元々あたしたち三人しかいない廊下だから、全員言葉を失った、みたいなのが近いかもしれない。


 あたしは、何を言ったんだろう。分からない。ただ、佐生さんの言葉の意味が理解出来なくて、思うがままの言葉を吐いた。そんな気がする。あの子は何を言っているんだろう。何を、あたしに向けているんだろう。

 分からない、分からない、分からない――。


「――とぼけてるの?」

 しんと静まる廊下に、佐生さんの声が響く。その、明らか喧嘩を売ってるようにしか思えない発言を処理しようとして、


「志野さんは、時沢くんのこと好きじゃないの?」


 佐生さんはそう言うと、大きな瞳をさらに見開いて、人形のようにカクッと首を傾げた。

「っ、な、に……」

 気道が痙攣を起こしたみたいで、喉がひくつく、ような気がした。


 何を、何を言っているんだろう。あの子は、何を――

「だーからぁ、志野さんは時沢くんのこと、好きなんでしょ?」

 あたしが正しく理解しようとする前に、佐生さんはさらに畳み掛ける。

「でも譲る気はないよぉ? だって、わたしのほうがずぅーと前から好きだもんっ!」

「っ、」

 想いを込めた声で、力いっぱいに言い切った佐生さんは、時沢の腕をさらに抱き締める。それはもう、まるで彼が自分のものであるかのように。主張するように。


「――佐生!」

「いだっ!」

 時沢の怒号と佐生さんの悲鳴が、ほぼ同時に響く。

「ぶぅ~だめなの? センセンフコクするのは、だめなの?」

 佐生さんは口を尖らせて、時沢に迫る。時沢は、いつの間にか解放されてた手で頭を抱えて、溜息を吐いた。

「いや、その前にな、お前、」

「……別に、」

「んえ?」

 ぽつり。時沢の言葉を遮って、あたしは言葉を紡ぐ。


「別に、あたしは、時沢なんか好きじゃないし……」

 あたしは、どうしてか、二人から目を逸らした。

「ただの友達……そうでしょ、時沢」

「え? いや、俺は、……」

 言葉を付け足すと、場はしんと静まり返る。誰かの息を呑む音と、渡り廊下から吹いた逆風がビュウ、と音を立てて通り過ぎた。


 ――あたしは、その一瞬のような間のおかげで、ようやく思考が追い付いた、ような気がした。あたしは、佐生さんになにか、言いがかりのようなものを吹っかけられて、それから――。


 あたしはとにかく、今起きた事態をまとめようとして――それは、遮られた。

「ふーん……じゃあ、わたしが時沢くんとどうなろうが関係ないよね?」

 あたしの思考を切り裂くように、佐生さんの声が耳を通じて、脳を通り過ぎていった。あたしはどうしてか、反射的に顔を上げてしまった。

「ね、時沢くん♡」

 にこっと時沢に笑いかけた佐生さんは、驚いた表情のまま動かない時沢の腕を絡みとろうと手を伸ばす。瞬間、時沢は弾かれたように一歩後ずさった。佐生さんはわっ、と言って、その手は空を切った。

「……」

「…………」

「……」

 何度目か分からない静寂が、あたしたちを支配する。時沢の腕を掴もうとした体勢のままぴくりとも動かない佐生さんと、それを何とも言えない表情で見つめる時沢と、……あたし。


 何を言えばいいのだろう。というか、なんだこれ。あたしは佐生さんに、喧嘩をふっかけられたまでは分かっているんだけど、その先は――なんだこれ? まったくもって意味が分からない。あたしが時沢を好き? そんなわけあるか。あたしと時沢は友達で、佐生さんは何を勘違いして――というか、なるほど、これは女子あるあるか。男女が一緒にいたらすぐ「あの二人って付き合ってるのかな」って解釈するみたいな、あれ。きっとそうだ。加えて佐生さんは時沢のことが好きだって言ってたし、それで余計に誤解したみたいな。

 うん、きっと、そうだ。そうに、違いない。


「……ねぇ、佐生さん。誤解してるみたいだから訂正しておくけど、あたしと時沢は、本当にただの友達だから。だからあんたがどうしようがあたしには関係ないし、好きにすればいい。――違う?」

 なるべく佐生さんと目が合わないように。けれど、真剣に言っていることが伝わるように、あたしは彼女の眉間辺りを見つめて、そして首を傾げた。

「……うん? そうだね?」

 佐生さんは目をぱちくりとさせて、それから頷いた。あたしはそれを確認して、さらに言葉を続ける。

「だから、いちいちあたしを巻き込まないでくれる? 迷惑なのよ、そういうの」

 なるべく優しく、けれど突き刺すように。あたしは佐生さんに釘を一打ちした。――いや、これは『女子』に対するものだったかもしれない。あたしと時沢の仲を、そういう風に誤解する女子に向けての。


「ふーん……そっか。それもそうだね!」

「……」

 佐生さんは、からっと笑うと、ごめんねぇ、と一言謝罪を述べた。それから、さっきから困惑した表情で何も言わない時沢の手首を掴んで、「じゃ、いこっか!」と言って歩き出した。

「あ、し、志野っ、俺、」

「…………、」

 引き摺られていく時沢が、あたしの横を通り過ぎる時に、何か言おうとしているのが聞こえた。けどあたしは、何も言わずに二人とは反対のほう、廊下のほうへと歩き出した。


 ――疲れた。疲れた、本当に疲れた。二人と別れて、一人になってようやく落ち着いてきて思ったけど、あたしは一体何に絡まれていたんだろう。いや、単純に見たくもない他人の色恋沙汰を見せられた挙句に、巻き込まれただけなんだけど。それも友達の、時沢の。

 というか、なんか前もこういうことあったような――と思って、そういやこの前、時沢が公開処刑されてたときに、桃にも似たようなこと聞かれたなっていうのを思い出した。


 なんだってみんな、あたしと時沢のことをそう、変に勘繰ってくるのだろう。……そりゃあ、時沢が学内の女子にやたら滅多にモテていることくらい、あたしでも知ってる。さすがにそこまで鈍感じゃない。大体その理由も、あいつが世間でいうところの『イケメン』だからっていうのも、分かってる。顔が良いとやっぱりそれだけ好印象をもたれるし、それにあいつはまあ、一応優しい性格ではあるから、そういうのもあって余計にモテるのかもしれない。

 でも、それだけだ。あたしには関係ない。――確かに、あたしと時沢は一緒にいる機会が多いけど、もう一人、涼もいる。元々あたしと時沢は、涼を通じて知り合っただけだから。あいつがいなかったら、無かったような縁で、一緒にいるだけだから。

 それにもしかしたら、二年になってから涼だけ別のクラスになったせいで、変に目立っているのかもしれない。けど今のクラスは桃だっているし、いつもはあたしと桃と時沢の三人で喋ってることのほうが多いから、そんな誤解されるようなほど二人でいる時間は無いはずなのに――。


 悶々と考えているうちに、あたしは、自分が苛立っていることに気付いていた。さっきまで流れるような時間を受け流していた、まさに平静というような心が、じわじわと、しかし迫り上げるような感情に荒らされているのが分かる。


 あたしは時沢のことなんか、友達が知りえる以上のことしか知らないし、それ以上のことなんか興味もない。あいつの世界なんて、欠片も興味ない。あいつがどこの馬の骨とも知らない女の子と仲良くしてようが、あたしには関係ない。だって、知る必要がないじゃない。あたしと時沢は、ただの友達なんだから。


「知らないわよ……あんなやつ……」


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