6. 第4の事件

 大学でのやりとりから数十分後、私は警部に言われた現場である鴨川の河川敷にまでやってきていた。ちなみに紫木が私に見せたLINEのIDとやらは、私の携帯が6年物のガラケーだったために受け取れなかった。なので代わりに彼から電話番号とメールアドレスの書かれた名刺を貰うことになった。

 現場に着くと既に一帯には規制線が張られていた。草木が季節を顧みず鬱蒼と生い茂る真っただ中にブルーシートの囲いも出来上がっている。川のすぐそばというだけあって風が冷たい。私は野次馬とマスコミ(こんな寒いのにご苦労様だ)を泳ぐようにかき分け、規制線をリングインするボクサーのごとくくぐる。

「ああどうも神園さん。おはようございます」

 踏みつぶされた雑草の道を通りブルーシートまで近づくと後輩の刑事が軽く会釈しながら話しかけてきた。確か川島といった気がする。寒さのせいか、あるいは他の原因のためか、彼の顔は真っ白だった。

「ホトケさんはこの中?」

「いえ、もう運び出しました。でも直に見ずに済んでよかったかもしれませんよ。酷かったです」

 川島(おそらく)はそう言うとうんざりしたような顔をして早足で立ち去った。彼の顔の白さは凄惨な死体を見たためだったようだ。

 私は彼と入れ替わるように囲いの中に入った。囲いの内側は風がシートに防がれているせいで寒さが少しましだった。中央には白線の縁取りがあり、そこに遺体があったのだろうと思われた。雑草には血がこびりついている。それを囲むように警部と晶が立って話し込んでいた。

「よう来たか。遺体の状況から見て第三の、いや第四か? ともかく今回の通り魔と同一犯であることは違いないだろう」

「死亡推定時刻は昨晩から今朝の未明にかけてだって。遺体、一応見ておく?」

 警部が白い手袋をした手をすり合わせながら話しかけてくる。晶も警部と全く同じ仕草をしているのが少し滑稽だった。私も冷えた手をこすり合わせながら、

「じゃあ、そうしようかな」

 と答えた。それを聞くと晶が首から下げた一眼レフを小さな手で操作し、画面に遺体の写真を映し出した。

 写真に写っていたのは大学生くらいの年齢の女性の、血塗れの遺体だった。私は心の中で手を合わせてからカメラを手に取り女性だったものを観察する。刺し傷のようなものが胸に数か所あり、そこから噴き出したのであろう血液は服と雑草を汚していた。その服は下着と共に乱暴に切り開かれており、生気を失った乳房が晒されていた。

 ボタンを操作して別の写真に切り替えた。顔のアップの写真だ。癖の強い黒髪に半ば隠れた顔は凄惨な事件に遭った割には穏やかに眠っているように見えた。被害者が比較的童顔のためだろうか。なんにせよ苦悶の表情を張り付けた遺体と遺族が対面することはなさそうで、それがせめてもの救いに思えた。

 私の胃袋に重たいものが詰め込まれる感覚が戻ってきた。復職し親友に会って、大学に行って紫木とやり取りする間に少しずつよくなっていった精神状態に、再び陰りが見えてきた。あるいは、さっきまでの回復は空元気だったのかもしれない。

「大丈夫?」

 私がカメラを手にしたまま何も言わないので、心配になったのか晶が覗き込んで話しかけてきた。

「うん? ああ大丈夫だよ……。で、手がかりは何か見つかったの?」

 私は落ち込んだ気分を誤魔化そうと少し明るめの声を意識して彼女に返事をした。そんな私の様子に晶はますます怪訝な顔をしたが、あまり踏み込まないことにしたのか目線を私から外して話し出した。

「川をさらっていた捜査員がカッターナイフを見つけたって聞いているわ。司法解剖しないと確かなことは言えないと思うけど、傷口の大きさからいってそれが凶器で間違いなさそう。それと、遺体の指を見て」

 晶がカメラを私から受け取って別の写真に変えた。遺体の右手の指のアップだ。被害者の指の爪は綺麗に手入れされていたが、爪の間に何かが挟まっているのか赤黒くなっていた。

「爪の間に血液が付着していたの。多分、抵抗したときに犯人をひっかいたんだと思う。一昨日の事件の現場からもDNAは採取できているし、今DNAを調べているから結果が出れば今までの事件の犯人と同一人物かはっきりするわ」

「まあ、同一犯に決まってると思うがな。こんなことする犯人が何人もいてたまるか」

 晶の説明に警部が口を挟んできた。私もその点に関しては同感だった。

「ところで神園、もう1つビックニュースがあるぞ」

「ビックニュース?」

 オウム返しする私を警部はにやにやと笑って見てきた。警部の笑顔はなぜか私をイラッとさせるが、ここでそれを表に出すと最悪来年を待たずに首が飛びかねないのでその感情は腹の中に収めた。

「目撃証言があったんだよ。しかも決定的だ。夜中に付近を散歩してた爺さんがな、大学生くらいの不審な男を見たって言うんだよ。顔もはっきり覚えてるって言ってたし、現に服装はかなりしっかり覚えてたぞ。あとはそれに合致する奴パクってゲロさせれば終わりだなぁ」

「目撃証言? 今までなんにも出なかったのにですか?」

「ああ、一度や二度完璧に犯罪を誤魔化したせいで犯人にも慢心が出たんだろ。こっちにとっちゃありがたいことだ。ともかくこれで雨の中駆けずり回って車にひかれる心配もしなくていいぞ。よかったな」

「そうですか……」

 警部はスーツのポケットをまさぐって、タバコの紙箱を取り出していた。私はそれを見ながら、皮肉めいた発言にイラッとしつつも事件解決の兆しが見えたことに安堵を一瞬覚えた。けれど直後に、強大な不安が襲いかかってきた。

 あれ、これってやばくない?

 このまま目撃証言通りの容疑者が逮捕されたら、私が手柄を立てるタイミングはどこに?

「うーん……でも本当にこれって同一犯でしょうか……うまく言葉にできないけど、なんか違和感あるというか」

 私のマイナス思考を遮ったのは晶の呟きだった。彼女は立ち上がり、遺体のあった場所とその周囲を俯瞰するように眺めながら首をかしげていた。

「違和感?」

「ううん、そうなんだよね。どうしてだろう?」

「気のせいだろ。俺はそろそろ署に戻るぞ。こんな寒いところにいつまでも居られん。あとはやっとけ」

 目を閉じて眉間にしわを寄せる晶を見下ろしながら警部がぶっきらぼうに言った。そしてタバコに火をつけるとさっさと去っていった。


 私は警察署に帰る途中、コンビニに寄って煙草を買い求めていた。警部が吸っているのを見て私も吸いたくなってしまったのだが、家から持ってくるのをすっかり忘れていたのだ。あの警部に誘発されるのは癪だったが、そんなことは煙草への欲求の前にはどうでもよく思えた。そういえば普段は結構吸う方なのに、停職になってから今に至るまで煙草を吸った記憶もあまりない。多分意識せずにやっていたのだろう。停職は本当に私からいろいろなものをふるい落としていたらしい。

 コンビニには私が普段吸っているピースが置いていなかったので仕方なくメビウスを買った。コンビニから出るととりあえず一本箱から引き抜いて咥え、一緒に買った安物のライターで火をつける。息に煙草の煙と白くなった吐息が混ざる。吸いなれていない銘柄のせいか、あるいは久々に吸ったせいかあまりおいしく感じられなかった。けれど胃の中に溜まっていた鉛のような重さが無くなっていく感じがした。

 警察署に戻ると私はオフィスには戻らずに真っ直ぐ喫煙室へ行き、冷たい椅子に腰掛け煙草を吸いながら資料をめくった。もし今回の事件の犯人が今までの事件と同一犯だったら私の手柄の芽は消えたも同然だが、それでも一応紫木に言われた通り今までの事件の特徴を洗い出してみることにしたのだ。諦めがつかなかったというより、紫木の発した「早すぎる」と晶の言った「違和感」が気になっていたためだ。

 紫木はさておくとして、晶は直感的に物事を見る傾向があるというのが十年近く付き合ってきた私の感想だ。そしてその直感は決していい加減なものではなく、彼女も意識下では気がついていない手がかりを反映したものであることが多い……気がする。ともかく私は晶の直感をおおむね信用していたし当てにもしていた。それには復活の機会を逃したくない私のエゴが入っていると言われればそれまでだけど。

 何枚か紙をめくると被害者の遺体の特徴をまとめたページが出てきた。半年前の事件の被害者と十一月の事件の被害者、つまり結城望実の遺体の特徴を一覧できるように作られていてわかりやすかった。これを作った刑事はさぞ書類仕事が得意と見える。そういうのは馬鹿にされがちだが案外重要だ。

 私はもう半分ほど燃えた煙草を大きく吸い込んでからそれを眺める。半年前の事件の被害者もまた女子大生だった。そういえば私が事故に遭った六月の被害者もまた女子大生だった気がする。

 二人の被害者はいずれも刃物で何度も胸を刺されて殺されていた。そして殺害されたあと性的暴行をされた跡があるとも書かれていた。私はその、気持ちよくない文字列をあまり見ないようにしながら続きを読んだ。

 他の特徴としては被害者の身に着けていたアクセサリーが一部見つからないままになっていること、凶器となっている刃物は依然見つかっていないこと、目撃証言もほとんどないことが書かれていた。この辺は資料を作った刑事もあまり重要だと思わなかったと見えて、隅の方に纏めて小さな字で書かれていた。

 とりあえず現場の状況と資料の内容を紫木へ報告すべきだろうと思った私は、資料を一旦脇においてさっき貰った名刺にある番号に電話をかけた。呼び出し音が三回なってから電話口に紫木が出る。

「もしもし、紫木です」

「もしもし先生? 私です。神園です」

 彼の呟くような声は電話を通すと余計に聞こえにくかった。私は声が聞こえやすいように携帯を右耳にぎゅっと押し当て左耳には指を突っ込んで耳栓にして話す。

「いや、それにしてもすごい野次馬でしたね。ご苦労様でした」

「本当ですよまったく……ってなんで先生がそのことを知ってるんですか?」

 紫木があまりにも当たり前のような口調で言ったのでついつい素通りしかけてしまった。なぜ現場大学にいるはずの彼が現場の野次馬のことを知っているのだろうか。

「なんでって、現場に行ってみたからですよ。刑事さんと別れたあと、やっぱり気になってしまいまして」

「気になってしまいましてって……」

 観光気分と言えるほど気楽な紫木の口調に私は少しむっとしたが、すぐに自分が彼に支援を頼んでいる立場であることを思い出して感情を抑えた。部外者の真剣味なんてこんなものなのだろうかと不安になる。

「まあ人が多すぎて全然現場を見られませんでしたけど。刑事さんと合流できるかもとも思ったのですがそれも叶わず、完全に無駄骨でしたね」

「……野次馬がいなくても部外者の先生は現場に入れないと思いますけど」

「あ、そうですよね」

 紫木が今まさにそのことに気がついたという口調で答えるので、私は頭を抱えてしまった。彼は一つの物事に集中すると周りが見えなくなるタイプなのだろうか。それとも私が思っているよりも彼が馬鹿なだけなのだろうか。

 とりあえず私が現場のことと今までの事件の情報を簡単に紫木に伝えると、彼は唸るような声をしばらく出した後に口を開いた。

「ううん、一つ聞きたいのですけど刑事さん。今回見つかった遺体って、今までのと同じように性的暴行の跡ってありました?」

「性的暴行の跡ですか……あれ、私そのこと話しましたっけ?」

「言ったと思いますけど……確かプロファイリングの説明をしている時だったと思いますが。まあちらっとって感じでしたけど」

 私は頭を働かせてつい先ほどのことを思い出した。確かに言ったような気がしなくもない。なんだかさっきというより、十年も遠い過去のように思い出されて妙な気がしたが、きっと久々に働いたせいでまだ頭の動きが十分ではなかったせいだろう。どのみち今までの事件では被害者が性的暴行を受けていたというのはさっき資料で確認した通り事実だ。

 私はそうやって一人で勝手に納得するとさっき見た遺体を思い出すことにした。確か上半身の衣服は切り裂かれていたが、下半身の衣服は手つかずだったはずだ。だから性的暴行の跡はなかったのだろう。

 私がそのことを伝えると紫木はもう一度唸るような声を上げた。

「ううん、そうですか。ちなみになんですけど今回の事件の凶器はカッターナイフなのですよね。今までの事件に使われた刃物が何か具体的にわかりますか?」

「刃物刃物……そうですね……。前回前々回の事件で使われたのは、包丁のようなものだろうって司法解剖の結果にはありますけど。見つかってないので何とも言えませんが」

「少なくともカッターナイフではなさそうですか?」

「うん、それはそうっぽいですね」

 電話の向こうの紫木はそれを聞くと満足げにうんうんと言った。

「よかったですよ刑事さん。こんなことを言うのも不謹慎な気がしますが、ともかくよかったですよ」

「え? どういうことなんですか?」

 紫木の少しうれしそうな口調に、私は戸惑った。一体何が良かったというのだろう。

「ええっとですね、それは……」

「神園さーん! 警部が呼んでますよー」

 紫木が説明しようとしたとき喫煙室の外から男の声が聞こえてきた。扉を開けて外を見てみると、さっき現場であった川島がこちらに駆けてくるところだった。

「ああすいません先生……どうした?」

 私は電話を一旦離すと川島に聞いた。彼は軽く息を整えると少し焦った様子で口を開いた。

「自首です! さっきの現場の殺人の犯人だっていう男が自首してきたんですよ」

「なんだって?」

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