全力を尽くすのは誰のため

 公園に着き、いつものベンチに座りギターを取り出す。いつものように抱え込み、チューニングを確かめた。どうやらエイコちゃんはちゃんとギターの手入れをしてくれていたようで、問題なく音が鳴る。

 チラリとエイコちゃんのほうへと視線を向けると、既にギターを取り出しているというのに、ケースをゴソゴソとまさぐり、何かを探しているよう。

 しかしエイコちゃんは特に何を取り出すでも無く、ケースと閉じて、地面に置いた。その時のエイコちゃんの表情が、少しだけ強張っていたように見える。

「……何か、忘れ物したの?」

「ううんー。大丈夫」

 エイコちゃんは首を横に振りながら微笑み、私と視線は合わせず、ギターを抱え込む。

 本当に、大丈夫なのだろうか。応えるのが面倒くさいから、そう言っているように思える。隠し事をされているかのような気分……。

 私達はまだ、親友なの?

 話せないような事があっても、まだ、親友を名乗ってもいいの?

「そっか」

 私は納得した風を装う為に、声を発する。しかしその声は、とてもとても、小さいものになってしまった。

「うん。練習しよっか」

 エイコちゃんは小さな体にギターを抱え込み、Gコードをおさえて、弦を鳴らした。エイコちゃんのギターの師匠である父親から最初に教えてもらったコードらしく、それはそれは、とても綺麗なGコードの音色だった。

 私は、その事さえも、悔しく感じている。

 言葉にすると、何故私が、エイコちゃんの、一番では無いのか……何故、私と一緒に血の滲むような思いで練習したFコードを鳴らさないのか……という思いが、溢れてきてしまう。

 エイコちゃんはなんの気なしに、鳴らしただけ。ただそれだけ。他意なんてある筈も無い。

 ある筈無いのに、どうしてこんな小さな事が、気になってしまうのだろう?


 ……いや、その答えは、分かっている。

 私はエイコちゃんに「束縛しないで」と言っておきながら、エイコちゃんに依存していたのだ。

 エイコちゃんを失ったという思いから、新たに親友を作ろうと思ってしまった私は、クラスの人に声をかけたり、声をかけて貰ったりしたのだが、やはり何か、足りない。彼ら、彼女らの中には、エイコちゃんが持っているものが、無かった。

 それが何なのかは分からない。きっとそれは、とても抽象的で、不確かなものなのだろうと思う。しかし確実に、無いのだ。

 私はこの人達を、本当の意味で好きになる事は出来ない……そう感じた。そして私は、エイコちゃんと親友になって三年間、エイコちゃんによって満たされながら生きていたという事に、気付いた。

 私が孤独なエイコちゃんを、見守ってきたつもりに、なっていた。そういった側面も、あったとは思うが、それだけでは無かった。

 ……親友って、片方だけが満たされるような関係では無いと、知った。

「前さ」

 エイコちゃんが突然呟く。

「……え?」

「新曲、作るって言ったよね」

 ……マズイ。覚えていない。

 先生の事や、最近のゴタゴタの事ばかりを考えていてしまい、曲の事なんて、考えていなかった。

「うん」

 私の生返事に気付いてか、エイコちゃんは私の顔をチラリと見つめ直ぐに視線を外し、目を細めた。

 美しいその横顔が、ほんの少し、さみしげに見える。

 ごめんなさい。ごめんなさい。私は親友、失格だね……。

「Fコード多用してやろうと思ってるんだよね。エイトビートでアップテンポで、だけどジャジーなやつ」

 エイコちゃんはそう言って、Fコードを弾く。

 ズッチャンズッチャン……その音はとても、耳心地がいい。

「いい曲作りたいな」

「うん」

「題材は、信念とか、譲れないものとか、他人には理解されなくても、骨太なものがいいな」

「うん」

「……サエちゃんさ、僕の事をまだ親友だと思ってるなら、これから僕がする事に、口出ししないでね」

 突然、なんだ?

 エイコちゃんは声色を変えずに、話題を突如として変えた。

 そして変わったその話題に、私はついていけていない。

 エイコちゃんは一体、何を言っているのだ?

「え……? どういう、意味?」

「僕を信頼して欲しいっていう、意味」

 エイコちゃんの視線は、前を見つめている。私はその視線の先を追う。

 そして私の視界は、先生がこちらに向かって歩いてきている姿を、捉えた。

 何故だろう……心臓が、バクンバクンと、高鳴っている。

 先生に会える時に感じていた、あの心地良いドキドキとは、全くの別物。

 このバクンバクンは、多分、危険や恐怖を感じた時に、起こるもの。

 ……エイコちゃんは、何をする、つもりなんだ?

 エイコちゃんはベンチから立ち上がり、ギターケースを開け、長細くて黒い何かを、取り出した。

 黒い何かのボタンを開け、中身を取り出す。するとソレはギラリと妖しく太陽の光を反射させる。

 エイコちゃんが持っているソレは、大きな、大きな、サバイバルナイフだった。

「えっ! えっ!」

 私は気が動転し、ベンチから立ち上がるも、ナイフを右手に持ち仁王立ちしているエイコちゃんの鬼気迫るその姿に、気圧される。

 ……近づく事が、出来ない。

「信頼して」

 エイコちゃんはそれだけを言い、先生へと向かって、ゆっくりと歩を進めた。

 私はエイコちゃんと距離を取るように、数歩後ろを、ついて歩く。


 先生を、殺す……?

 まさか、そんな。まさか。そんな。

 そんな事、ある筈がない。

 だけどエイコちゃんは、エイコちゃん、だぞ……?

 万が一が、無い事も、無いような……そんな嫌な予感が私の中に産まれる。


 先生はエイコちゃんが持っているものに気付いたのか、足をとめた。そして少し驚いた表情を作りながらも、私へと視線を向けて、また、歩を進める。

「……先生」

 エイコちゃんは歩きながら、ナイフを前に突き出した。

「良く、来れたね。僕から恨まれてるって、思わなかったの?」

「……思ったよ。だけど宮田は頭が良いから、話せば分かると、思ってた」

「頭が良いのと人が良いのとは別。僕は頭良いかもしれないけど、人は良く成れなかった。それは、お前のせいでもある」

 エイコちゃんは先生まであと数歩の所で立ち止まり、ナイフを先生に向けたまま、先生の顔を、これでもかというほど、睨みつけている。

 ……そんなに、そんなに、そんなに。先生の事が、嫌いだったんだ……。

「ごめんエイコちゃん……ごめんなさい……私のせいで、苦しめて、ごめんなさい……」 

 私は恐怖と罪悪感とでいたたまれなくなり、言葉を漏らす。するとエイコちゃんはチラリと私の顔を見て「口出ししないでって言ったでしょ」と、冷たい声色で言い放った。

 あぁっ……どうなって、しまうんだ……どうなってしまうんだ……。

「……お前に、言いたい事がある」

 エイコちゃんは再び先生を睨みつけ、低い低い声で、喋り始めた。

「……なんだ?」

「最初は僕は、お前とサエちゃんが二人で会ったり……つ……付き合ったりするのっ……反対だったっ……今でも心から、嫌だと思ってるっ……だけどそれは、感情論の部分も、あるっ」

 エイコちゃんの体が、ブルブルと震えだした。

「知り合いのお姉さんも、この事に関して心配してたっ……散々もてあそばれて、捨てられるんじゃないかってっ……それはお前が、教師だからだっ……学校にバレそうになったら、どうするつもりだってっ……サエちゃんの事、見捨てるんじゃないかってっ」

「……そうか」

「僕もそれは思うっ……親友だから、思うっ! サエちゃんが大切だから、思うっ! サエちゃんを傷付けたり穢されたりするのが、本当に嫌っ! お前の事ぶっ殺したくなるくらいに、嫌!」

「……そうだよな」

「だからこの先っ、もし仮に二人の関係がバレそうになったりした時はぁっ……お前が全部、罪をかぶれっ……サエちゃんの心と経歴に、一切の傷を、つけるなっ……同級生とかにバレてもっ……絶対に駄目だぞっ……からかわれて、イジメられるのは、目に見えてるんだからっ……サエちゃんがぁっ……大人になるまで……手をだすなぁっ……サエちゃんを、守る事を……一番に考えて……あげて」


 エイコちゃんは膝をつき、ナイフを落とし、手で顔を覆って、泣き叫んだ。

「ああああああっ! 絶対にぃっ! 守れぇっ! じゃないと殺すっ! 殺すからなぁっ!」

 それを見て、私も、泣いた。

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○○しい人間賛歌 中 ナガス @nagasu18

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