時間が動き出した僕
「……怖く、無いんスか?」
特殊警棒の先端を地面に叩きつけ短くし、拾ったカバンの中に入れながら、セイヤは呟いた。
「何が?」
「俺……っていうかセイヤが、鉄の棒で人の頭かち割ったんですよ。俺の顔見た瞬間、走って逃げると、思ってた」
「あー……まぁ、確かに怖いっていうか……ギョッとはしたけど……なんだろ、痛みにも恐怖にも、慣れたかなー……はは」
僕は打たれた頬をさすりながら、いつもの作り笑いを浮かべていた。
何を笑っているのだ、僕は。相手は僕の元ストーカーで、僕の脇腹を彫刻刀で刺した男だぞ。
会話をするような間柄でも無い筈だ。さっさとこの場を立ち去るべき。
しかし、何故だか逃げ出そうと思えない。会話をするのも、嫌悪感が沸かない。
不思議である。
「慣れるって……どんな生活、送ってるんスか」
「あっ、普通だよ、フツー。普通に過ごしてるつもり」
僕は何故、セイヤに気遣って「普通」なんて言ってしまっているのだろうか。
普通な訳、ないじゃないか。セイヤとの一件以来、人間嫌いになり、他人と関わらないように生きている事の、どこが普通なのだ。
「普通……じゃないでしょ。普通、男からあんな事されたりしない……しませんよ」
セイヤはスクールカバンを肩にかけ、僕が帰る方向とは逆方向に歩いていった。
よく考えてみると、セイヤの家はこの先にある十字路を、僕とは違う方向に曲がった先の、高級住宅街と呼べる場所にある。田舎道丸出しのこの道は、本来セイヤが来る所では無い。
……もしかして、コイツは、同級生が僕の後をつけている事を知り、僕を助けた……?
「……確かに、普通には過ごせてないよ。アンタとの事で、人が嫌いになった。嫌い続けてたら、あんな目にあった」
「……すんません」
「罪悪感を感じてるなら、あの時のアンタの話、聞かせてよ。施設での話も、聞かせて」
僕がそう言うとセイヤは立ち止まり、僕のほうへと振り返った。
セイヤの目からは、先程のギラつきと刺々しさが抜けている。変わりに瞼の下にある酷いクマが、目立っていた。
……苦労、しているんだろうな、コイツも。
「……やっぱりエイコさんは、変な人だ……普通じゃない」
「は?」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまうが、当のセイヤは口元を緩め、毒気の無い瞳で僕を見た。
「普通、逃げるんです。あの場面で、逃げるんです……少なくとも俺はそう、想定していました。それなのにエイコさんは逃げないばかりか、憎い筈の俺の処分と、俺の過去を、気にしてる。普通じゃない。どうか、してる」
「なっ? 何? なんでアンタにそんな悪口」
「悪口じゃなくてっ……ですねっ……そんな貴方が……凄いって、言いたいだけ」
セイヤは視線を落とし、右手でギュッと、自分の胸を掴んだ。
そしてしばらくして顔を上げ、小さな声で「あの公園、行きませんか……? そこで、話す……話しますよ」と、呟いた。
あの公園という単語だけで、どこの公園だかが、分かった。
僕が赤ちゃんを誘拐した、あの公園だろう。
「聞かせてって言っといてなんだけど……今日これから用事があるから、ちょっとしか話せない。それでいいなら」
「……俺はこうして少しだけ言葉が交わせただけで、結構、満足してるんで……無理にとは、言いません」
セイヤはそう言いながら、ゆっくりと歩いていってしまった。
……その後ろ姿を眺めていたら、胸に黒いモヤモヤが湧いてくるのを、感じる。
今この時を逃すと、恐らくもう二度と、あの時のセイヤの動機を、知る機会は無い。そう直感した。
「セイヤ君待って!」
僕は自分のカバンを開き、ノートに自身の電話番号を書き、そのページを破き、セイヤの後ろを駆け足で追いかける。
「これ、番号」
僕はセイヤの制服のポケットに、番号を書いたノートをねじ込んだ。
僕のその行動に、セイヤは驚いた表情を作り、目を大きく見開く。
「……え」
「夜九時以降にかけてきて。悪いけど、質問攻めにするからね」
「え……え……」
「……助けてくれて、ありがとうね。んじゃ」
僕はそれだけを言い残して踵を返し、自分の家へと向かって少し早足で歩き始めた。
なんだか、時が動き出すのを、感じている。
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