世界一のお姉ちゃんと僕

 カヨネェとの下らない雑談の最中、僕はずっと、心ここにあらずの状態だった。

 まるで、僕の中にプログラムされている「言語」が、僕の意志とは無関係に働いているだけの、とても無為で、無意味な時間。

 そんな時間が、早く終わって欲しいような、そんな風に思っていたかも、知れない。カヨネェと過ごす、大切で大好きな時間だと言うのに。

「そんじゃ、そろそろ電話切るねー」

 カヨネェがこの言葉を言った瞬間、嬉しかったような、気がする。そのくせ、僕の中に延々と存在し続ける「助けて欲しい」という甘ったれな思いが、ギャアギャアと騒ぎ立てている気がする。

「あ、うん。わかった。じゃあね、カヨネェ」

「はいはーい」

 耳から携帯を離し、通話終了のボタンへと、指を近づける。

「……ずかし……じゃない……ね……は……ただぞぃ」

 受話器から、カヨネェの声が未だ、聞こえ続けていた事に気付く。正直、何を言ったのかは、分からない。

 僕は仕方なく再び携帯を頬に当て「ごめんカヨネェ、聞こえなかった」と、問いかける。

「えーっ? 二回言わせんのー? んまったくもぅ……」

 カヨネェは「んんっ」と喉を鳴らす。

「助けを求める事は、恥ずかしい事じゃないからね。私はエイコの味方だぞ……って、言ったんだよ」

「……最後、ぞぃって……言ってたじゃん」

「んなっ! 聞こえてたんじゃんかぁっ! んもーやめてよねー、私こういう事言うキャラじゃないの、エイコも知ってるでしょーっ? 私はおバカでチャランポランな」

「……おバカでチャランポランで誰よりも優しい、お姉さんだもんね」

 カヨネェは「うーっ」だとか「あーっ」といううめき声をあげながら、どうやら身悶えているらしい。ガサガサという音が受話器から聞こえてきた。


 可愛い。可愛い。

 カヨネェ、可愛い。

 その可愛さに触れて、僕はつい、笑顔をつくり、そして涙を流した。


 カヨネェ。本名は坂口佳代。今年で二十五歳になる、高校二年生の時以来、何故か彼氏が出来ない、超絶美形でモデル体型の、面白くて心優しい、世界一のお姉ちゃん。

 僕が中一の頃、通販で買ったナイフを部屋で振り回してストレス解消をしていた時期があり、その事は誰にも言っていなかったのだが、カヨネェは何故か僕の異変に気づき、突然僕の部屋まで来て、悲惨な僕の部屋を見て、膝を付いて、泣いたのだ。

 そして「ごめんね! エイコごめんね!」と謝りながら、僕を思い切り、抱きしめてくれた。

 その後、僕の部屋の修繕や模様替えを手伝ってくれて、流石にそれをナイフで傷つける事は出来ないなーと思い、それ以来僕はナイフに触れてもいない。

 何故僕の異変に気付いたのか、何故僕に対して謝ったのか、未だに分からない事ではあるのだが、この人は本当に、本当に、本当に。

 本当に本当に本当に。

 本当に本当に本当に。

 本当に本当に本当に。

 僕を、思ってくれているんだなという、実感が、湧く。


 そんな事を思っていると。

「助けて欲しい」が、勝ってしまった。


「ひぐっ……あは……カヨネェ、明日、会えるっ……?」

「うん、会えるよぉー」

「うんっ……明日、会おーっ……会いたいぃーっ……」

「私も会いたい」

「うんっ……うんっ……じゃあ、切るねっ……」

「うん。おやすみエイコ」

「おやすみぃっ……おやすみなさいっ……」

 電話を切り、涙を流しながら天井を見上げる。

 少しの間そのままボケーッとしていると、メールが届く音がした。その音は、カヨネェからのメールを知らせるものだった。


「私はエイコが可愛いんだよ。本当の妹のように思ってる。エイコが変になった時くらい、すぐに分かるよ。必死で隠そうとしてるんだろうけど、私から見たらバレバレだぞぃ。

 お姉ちゃんにくらいは、本当の事話して欲しいな。話せない事なんて無いって、思われたいよ。

 だから今日の電話、ちょーっと寂しかったぞぃ。明日はちゃんと、話してね。姉妹なんだからっ」

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