無念と共に生きる僕

 僕は自分の家の前を通り過ぎ、サエちゃんの家まで、足を運んでいた。

 二階にある、向かって右側の部屋がサエちゃんの自室で、その部屋の窓から明かりは見えない。

 カーテンを、閉めているのだろうか。それとも、部屋に居ないのだろうか。

 もしかして、今、この時、傷付いたサエちゃんは、先生に、身を寄せて、いるのだろうか。

「ああぁっ……!」

 僕は嫌な想像を振り払うように首を左右に振る。それでも嫌な考え、嫌な想像は、おさまらない。

 サエちゃんの体に触れる男の手。サエちゃんの心を引き剥がす男の手。サエちゃんの魂を穢す男の手。サエちゃんに余計な感情を植え付ける男の手。それらを思うだけで、胸が張り裂けてしまいそうになる。

 僕が綺麗とは言わない。僕だって十分過ぎるほど、醜くて汚い心を持っている。僕の本性は、自己中心的で傲慢。あの母親の娘らしく、どうにも救いようのないものだ。

 しかし、それでも、僕はサエちゃんを大切にしたいと、思っていた。その思いは本物だった。

 本物だったのに……サエちゃんを誰かに奪われる事が怖くて、恐ろしくて、どうにかなってしまった。

 自己中心的で傲慢な考えだけれど、僕と居る時だけ、幸せであって、欲しかった。僕だけに笑顔を見せて欲しかった。


 ……そうか。こうして言葉にしてみると、良く分かる。

 僕は、クズだ。


「サエちゃぁん」

 サエちゃんが伸ばした手を、躱してごめん。

 信頼を裏切ってごめん。

 押し倒してごめん。唇を奪おうとしてごめん。

 ごめんごめんごめんごめん。

「僕と仲良くなった事、後悔してる?」

 両目から涙が止まらない。ボロボロボロボロ、流れ出る。

「ギター……返して、もらうねぇ……」

 サエちゃんが弾いていたエレキギターは、元々僕のもの。僕が小六の時に貸していたものを、大切に大切に、使ってくれていた。

 そう思っただけで、更に涙が溢れてくる。どうしてそれだけの事で、涙が出てきてしまうのだろう。

 僕は二本のギターを担ぎ直し、自分の家に向かって、ゆっくりと歩き始めた。

「良かったらぁっ……また、借りにきてぇっ……」

 家までの帰り道に、これほど後ろ髪を引かれたのは、小六の時に赤ん坊を誘拐して秘密基地に置き去りにした時以来だ。あの時は泣き叫ぶ赤ん坊の声に呼ばれ、何度も引き返していた。

 今はチャイムを連打して、土下座して「ごめん」を連呼して、許しを乞いたい気分。

 しかしそれは、気持ちの悪い事なのだろうな。僕がされたら、多分引くんだろうな。

 想いを伝えるって、難しい事なんだな……。

 僕は「ズズッ」という音を立てながら鼻をすすり、後ろを振り返った。

 サエちゃんの部屋からは未だ、明かりは漏れていなかった。


 家の鍵はどうやら外れているようで、同居人が帰ってきている事を知り、僕は家の中へと入って鍵を閉める。

 同居人の部屋の前で「ただいまー」とだけ呟いて、僕は自室へと入り、荷物を置いた。

 僕愛用のギターをケースから取り出しスタンドへと戻し、サエちゃんに貸していたギターを、その隣に立てかける。

「サエちゃん……」

 僕は並んでいるギターを、くっつけた。

 不安定で危なっかしいが、僕が愛用しているギターに、サエちゃんに貸していたギターが、寄り添っているように見えた。

 いつかサエちゃんが受け取りに来ると信じて、このギターは大切に保管しておかなければ……そう思った僕は、部屋の掃除を始めた。

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