ケイジと僕

 サエちゃんの言葉を受け、弾けるような感覚が、体全体を支配した。

 僕はいつの間にかサエちゃんの両手首を掴み、うつ伏せ気味にうずくまっていたサエちゃんの体を仰向けにして、サエちゃんの体の上に馬乗りになった。

「フーッ! フーッ!」

 僕の開かれている口の両端から、ヨダレが垂れているのが目に入った。そしてそのヨダレが、サエちゃんの服に付く。

 サエちゃんの表情は、強張っていた。ホラー映画で、恐怖に怯える演技をする女優のように、見えた。

 その表情を見ると、なんだろう。なんだろう。

 メチャクチャにしてやりたく、なってくる。

「やっ……! やだっエイコちゃんっ!」

「……アイツに奪われるくらいならっ」

「何っ? 何っ? えっ? エイコちゃんっ?」

「僕が」

「エイコちゃんっ? エイコちゃ」

「サエちゃんを、奪うっ」

 僕はサエちゃんの唇に、自分の唇を、近づける。

 何をされるか気付いたサエちゃんは「いやあああああっ!」という大きな声を上げ、体をジタバタと動かし、激しく暴れた。

 体重の軽い僕は、本気で抵抗するサエちゃんのチカラに耐えられず、レジャーシートの外へと突き飛ばされる。

「ああぁあっ! ああああっ!」

 サエちゃんは立ち上がり、全ての荷物を置き去りにして、舗装道へと向かう山道を、全速力で走っていった。

 僕はその後ろ姿を、雪にまみれながら、ただ、ただ、じぃっと、見つめていた。


 太陽が沈み、気温が下がり、すっかり夜となった頃。

 僕はようやく突き飛ばされた場所から自身の体を起こし、僕とサエちゃんのギターをケースにしまい、レジャーシートをたたむ。

 荷物をまとめ、持ち、フラフラと、フラフラと、家への道を歩き始めた。


 あんなつもりじゃ、無かった。

 あんな事言うつもりじゃ、無かった。

 あんな事するつもりじゃ、無かった。

 僕はただサエちゃんと、仲良くしたかっただけ。

 本当に、それだけ。それしか、望んでいない。

 それは純粋で、透明で、綺麗な感情だった筈なんだ。

 それが……どうして、こんな事に、なってしまったんだ……。

「あああっ……! あああああぁぁっ!」

 涙と嗚咽が、止まらない。


 ケイジが僕をフッた時「一時の感情に身を任せると、絶対に後悔する」と言っていた。

 その言葉を、守ってきたつもりだった。サエちゃんが先生と仲良くするようになったり、クラスの男子と仲良くするようになったりしても、我慢してきた。

 だけど、どうして、今になって、ケイジの言葉と、サエちゃんの信頼を裏切るような事を、してしまったのだ……そんなに、許せない事、だったのだろうか?

 サエちゃんは、いつも僕を優先してくれていたじゃないか。休みの日は家族で出かける事もせず、僕に付き合ってくれていたではないか。その上でサエちゃんは「幸せ」とまで、言ってくれたではないか。

 何が、不満だったんだ、僕は。

「ああああっ! ああああああっ!」

 僕は、頭が、おかしい。

 ケイジはきっと。僕に同じものを感じて、忠告、してくれていたの、だろうな。

 僕を思って忠告してくれたのに、守らなくて、ごめんなさい……結果、こんな事に、なっちゃった……。

「ケイジ……ケイジ……会いたいよ、ケイジぃ……」

 僕は夜空を見上げ、ケイジの名前を、何度も呼んだ。

 空は青黒く、静かだった。

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