学校の僕
学校に到着した僕達は、二人してサエちゃんの教室へと入っていく。
サエちゃんは席に座り、僕はその隣に立ちながら、さも当然のように、延々とサエちゃんと会話を続けていた。
授業と給食以外の時間は大抵、僕はここに居る。ここに居ないと、落ち着かない。
「僕、そろそろ新曲作ってみようと思うんだよね」
「うん」
「マイナーコードを使わない方向で考えてるんだけど」
「うん」
「Fコードを多用してやろうって思ってるんだよね。エイトビートで、ちょっとジャジーだけど、アップテンポな感じ。ずっちゃんずっちゃん」
「……エイコちゃん、悪いんだけど、私今日、日直でね、色々とやる事があって」
鳴らすのに最も難儀したFコードの指を作りながら嬉々として話していると、サエちゃんはとても小さな声で、申し訳なさそうに、声を漏らした。
その声を聴いた僕はチラリとサエちゃんの方へと視線を向けると、眉毛を垂れ下げて、とても申し訳無さそうな表情をしているサエちゃんの顔があり、その顔を視た瞬間、僕の胸がチクリと痛んだのを、感じた。
何故、痛んだのだろう。迷惑かけているという、罪悪感? それとも、突き放されたとでも思ったのか?
「あ、職員室行くの? だったら付いていくよ」
「……でも、運ぶものがあるって言ってたし、男子の日直の人と一緒に行くよ?」
サエちゃんが更に申し訳無さそうな表情を作り、僕の顔を見た。
……そうか。男子と一緒なのか。それは、嫌だな。
「んー男子の人に全部持ってきて貰うっていうのは?」
僕が冗談っぽくにこやかにそう言うと、サエちゃんは一瞬だけ眉間にキュッとシワを寄せ、口角を下げた。
その表情を見た瞬間、僕の背中に悪寒が走る。確かに冗談でも、こんな事を言うべきでは無かったとは、思う。
僕は両手を胸の前で開き、ヒラヒラと左右に振って、ごまかすために笑顔を浮かべた。
「あー冗談冗談だよぉっ。そんな怖い顔しないでー。ねっ?」
「……怖い顔、してた? ごめんねエイコちゃん。そんなつもりは、無いけど」
僕の「怖い」という言葉を聴いたサエちゃんはハッとした表情を作り、両手で自身の頬を持ち上げ、先程よりも更に申し訳無さそうに眉毛を垂れ下げた。
あぁ、迷惑かけているな……と、アホの僕でも察しがつく。僕はなんでもかんでも「怖い」と言い過ぎだ。その度にサエちゃんに気を使わせている。
「いやいやっ。じゃあ僕は自分の教室に戻るから。休み時間にまた来るね?」
「……うん、ごめんねエイコちゃん」
「ううん。じゃあまたあとで」
申し訳無さそうに頭を小さくペコペコと下げるサエちゃんに小さく手を振って、僕はカバンを手に持ち、サエちゃんのクラスを後にした。
正直、胸の中には納得行っていない事を示すかのように、モヤモヤとしたものが湧いてきているのだが、僕はそれを心の奥へ、グッと押し込む。
流石にあそこで我儘を言うと、愛想を尽かされてしまいそうだ。
自分の教室へと入る瞬間は、いつも嫌な気分が湧いてくる。まるで戦場に足を踏み入れるかのよう。
教室の後ろにある扉を開き、コッソリと入室しようとするのだが、僕が扉を開いただけで、皆が僕のほうへと視線を向ける。まずは一人が見つめ、それにつられてもう一人が見つめる。それが連鎖され、最終的にはクラスに居る全員が、僕の事を視線で汚す。
それはとても短い時間。刹那の事なのかも知れないが、その一瞬のうちに、僕の心の中に黒い感情が湧き上がる。
ニヤニヤ笑ってる人もいるし、鋭い視線を送る人も居る。何を考えているのだろう……と思うと、更に心が汚れていく。
カヨネェに言わせると、奴らの視線と思考に悪意は無く、僕の事を半ば芸能人のように思っているから、視線を向けるらしい。カヨネェの「私だってエイコが教室に入ってきたら、見るね! ジロジロ! 可愛いから!」という力強い言葉が無ければ、挫けていた所だ。
僕は短い歩幅で窓際にある自分の席へと向かい、机の上にカバンを置いて、椅子へと座った。
以前まではその間にこっそりとクラス中を見渡して、自分に近づいてくる人間をチェックしていたものだが、今はそんな事はしない。そんな事をしても、嫌な気分を助長するだけ。近寄ってくる奴は近寄ってくるし、傍観するだけの奴は、傍観してる。
穏やかではいられない心を必死に押さえつけながら、僕は何でもない風を装い、カバンから音楽の本を取り出し、それに視線を落とす。するとすぐさま「なぁー」という男の声が僕の耳に入ってきて、僕は奥歯を噛みしめた。
「宮田ってどうして軽音部に入らねぇの? 音楽やってんだろ?」
僕はほんの少しだけ視線を上げて、話しかけてきた男に向かってニッコリと微笑みを向けた。そして再び本を見つめ、ページをめくる。
「なぁー……なんで無視すんの? 宮田昔はそんなんじゃなかったべ」
男はどうやら僕の前の席に、僕のほうを向きながら腰をおろした。
「何か悩んでんなら、話聞くぞ? 俺は見た目ほど薄情じゃねぇからさ」
僕はニコッと微笑んだままの表情で、本を手に取り立ち上がり、出口へと向かって歩いた。
僕の周りにはいつの間にか話しかけてきていた男の友人たちも集まっており、触れないように歩くのはとても難儀する。
「なぁー宮田待てよー。なんで逃げる?」
呼び止められたが、僕は構わず歩き続ける。
僕が今、逃げてる理由。それが分からない人間が、話しかけてきた。だから、逃げる。それくらい、分かって欲しい。
「なぁー待てって。音楽の雑誌持ってきてるからさ」
誰かが僕の肩に、手を置いた。
それはとても、とても、軽いチカラ。風に吹かれた枯れ葉が乗った程度の、チカラ。
しかしそのチカラが僕に与える影響は、とても大きい。僕は瞬時に、心が割れ、砕け、黒く変色していくのを、感じる。
「うわあああっ! あああっ!」
僕は叫び、持っていた本を放り投げ、教室の外へと向かって駆け出した。
「怖い怖い怖い怖いっ! 怖いっ!」
僕の視界は狭まり、トイレだけを見つめている。
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