エイコ 四月中旬

思春期の僕

 朝の六時半にセットされた目覚まし時計が鳴り、僕の睡眠を妨げる。開いた僕の視界は目覚まし時計を捉え、手を伸ばして時計の頭に付いているボタンを押した。

 いつもここで、再び眠りたいという欲求が湧いてくる。それは脳のほうから湧いてくる欲求で、僕を甘やかせるもの。

 しかし同時に、胸のほうから湧き出してくる責任感という名の感情もあり、それが僕に二度寝をさせない。責任感に後押しされるかのように体を起こし、上半身を仰け反らせるほどの伸びをして、大きな大きな欠伸をする。

「くわぁーあ……」

 目をゴシゴシとこすりながら立ち上がり、顔を洗うためにノソノソと歩き、洗面所へと向かう。

 鏡の中に映る僕の顔は、憂鬱を絵に描いたかのように、瞳が半分も開いていなかった。

 まるで不貞腐れているかのような表情を見て、自分の顔だと言うのに、少し腹が立つ。一体何が不満で、そんな表情をしているのか。

 左胸の中心に、確かに有るモヤのような正体不明の不満は、形に成らないまま僕の中で存在し続けており、僕の表情を曇らせる。

「学校、行きたくないなぁ……」

 明らかになっている不満の一部分を言葉にして、僕は水道の蛇口をひねり、水を流した。

 行きたくなくても、行かなくてはならない。そして洗顔は、学校に行くためには必要な行為。洗顔しなければ学校に行けない。だけど学校に行きたくない。これぞ思考の無限ループ。

 そんな下らない事を考えていると、左胸は更に黒いモヤが充満し、気分を落ち込ませ、それにつられて体も重くなる。

 僕は仕方なく洗顔フォームのチューブに手を伸ばし、蓋を開けて中身を出し、泡立てた。


 テレビの電源を入れ、狭いキッチンに立ち、フライパンを取り出し、油をひいて火にかける。熱されたフライパンに卵をふたつ落とし、水をいれて蓋をする。食パンを二枚トースターに入れ、つまみをひねる。マグカップをふたつ取り出し、片方にはポタージュスープの粉を。もう片方にはコーヒーの粉を入れる。電気ケトルに水を入れ、お湯を沸かせて、それぞれのマグカップに注ぐ。

 出来上がった朝食をリビングのテーブルまで持っていき、それらを並べる。まだ眠っているもう一人の住人を「ご飯出来たよー」と少し大きめの声で呼び出し、僕は自分の席へと腰をおろして、テレビを見つめながら食パンを頬張った。

 テレビを見ていると「週の真ん中水曜日。まだまだ寒い日が続いております。体調に気をつけて、いってらっしゃい!」という、アナウンサーの嫌味無い元気な声が聞こえてきて、それを受けた僕は肩を落とし「はぁー……」という、深い溜息をついた。

 まだ、週の真ん中なのか……今日、明日、明後日と、学校に行く日が続くのか……そんな事を瞬時に考えてしまい、気分が落ち込んでいくのを感じる。


 最近の僕は、なんでもかんでも、嫌な方に考えてしまう癖が付いてしまっている。それもこれも、人生観を変えるほどの出来事であった小六の事件のせいだろう。あの時の絶望感が、僕を人間嫌いに。そしてネガティブにさせている。

 その事件を受けて、クソミソな精神状態になってしまっていた時に知り合った、カヨネェというポジティブの塊のようなお姉さんには「エイコは人生を。美貌を。そして青春を無駄にしている!」や「今度デートに誘われたら、男に高い飯を奢らせてやれ! それが人間嫌いを克服するチャンスでもある! もしもの時のために、スタンガンを貸すから!」等と何度も説教をされてしまっているのだが、正直、そんな事言われてもなぁ……という風に考えてしまう。

 僕にとってはサエちゃんやカヨネェと一緒に居る時間のほうが、遥かに楽しいし、大事なのだ。その時間を削ってまで、苦手としているモノに接するという事に、価値を見出だせない。

 そもそもアイツラは、僕がクソミソな時に何をしてくれた? クソミソになる原因に直接的な関わりが無いとは言え、サエちゃんやカヨネェのように、手を差し伸べてくれたか? どうせ僕の悪い噂を耳にし、嘲笑していたに違いない。

 それなのに、だ。カヨネェの店の前に張り出された僕の写真に、デカデカと書かれている「女性誌専属モデルオーディション一次通過!」の文字を見た奴らが、今度は僕の良い噂を流しだした。そして、色んな人から連続で告白された。他の中学、高校の人からメールアドレスが書かれた手紙を渡された事もある。

 どんだけ節操が無いんだと思ってしまうし、お前らにチヤホヤされたくないと思ってしまうし、そして何より、人間は裏切るから怖いという意識が、働いてしまう。

 サエちゃんとカヨネェ以外の人間から声をかけられただけで背筋がゾクッとし、鳥肌が立ち、冷や汗が吹き出る。そして小刻みに体が震え出し、声すら発せなくなる。なんとか微笑みを浮かべてその場を立ち去る事が、僕に出来る精一杯の対応なのだ。

 男女関係なく僕に話しかけてくるようになったのだが、どちらも総じて、怖い。だから学校に行くのが、憂鬱だ。

「はぁー……」

 カヨネェに写真を撮らせる事も、雑誌に投稿する事も、一次通過という一文を加える事も、全部許してしまった僕の落ち度ではあるのだが、ちょっとだけ、後悔している。

 しかしカヨネェの、あの人懐っこくキラキラした瞳でお願いされたら、どうにも、弱い。それに断って、嫌われたら……という意識も、働いてしまう。

「はぁー……」

 僕はテーブルの上に置いてあるキッズケータイを手にし、ホーム画面に設定している僕とサエちゃんとカヨネェが写っている写真を眺めた。

 カヨネェは出会った時の印象のまま、大人で美人なのに、可愛い表情で笑っている。

 カヨネェが僕にしてくれる事は、全部僕の事を思ってしてくれている事なのだ。妹のように愛してくれているから、してくれているのだ。

 それは、わかっている。わかっているから、文句も言えない。

 だから僕は今日も、憂鬱になりながらも、学校に行かなくてはならない。

 僕が学校を休んだら、絶対にサエちゃんからカヨネェにその事が伝わる。そうするとカヨネェに、心配かける。カヨネェは僕に詰め寄る。誤魔化してもきっと、僕の本心は見抜かれる。そもそも僕は、カヨネェに「話さない事」は出来ても「嘘」は付けない。全て話させられるだろう。そうすると、カヨネェを傷付けてしまう……カヨネェに色々と後悔、させてしまう。それはとても、嫌だ。カヨネェを傷付けるような自分は、絶対に許せない。自分を殺してやりたいくらいに、許せなくなる。

 だからカヨネェには「万事オッケー。素敵なスクールライフをおくっている」と、思わせなければならない。

 ……どこかが、矛盾しているように感じるのだが、少なくとも僕ブームが落ち着くその時までは、そうしなければならない。

「……ふぅーぅ」

 朝食を終えた僕は立ち上がり、起きてこない同居人の部屋に向かって「早く起きて」とだけ声をかけ、行きたくない学校に行くための準備をするため、自室へと向かった。

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