○○しい人間賛歌 中

ナガス

サエ 四月

プロローグ

 エイコちゃんは、小学生の頃とは変わっていた。

 小学生の頃の彼女は、いつも自信に溢れていて、男勝りという訳では無いが負けず嫌い。勉強も運動も常にトップ。明るくて気さくで沢山の友人に囲まれるような、リーダーの鏡のような子だった。

 しかし今は、そのような部分はすっかりと鳴りを潜めてしまっている。人の輪の中には決して入ろうとせず、別々のクラスになってしまった私のクラスへと休み時間毎にやってきて、ギターの話や髪型、ファッションの話をしている。中学生になってからというもの、エイコちゃんが私以外の同級生とまともな会話をしている場面を見た事が無い。

 変わったのは人付き合いだけでは無く、トップだった成績は今や平均を下回っており、現在は私以下になっている。しかも、あれだけ負けず嫌いだったエイコちゃんなのに、その事を気にもしていないよう。

 運動神経は生まれ持ったものらしく、出来なくなったりはしないのだが、団体競技には参加すらしようとしない。バスケットやフットサルの授業になると、隅のほうで座り込んで、ギターの指使いの練習をしている姿を目撃した事がある。


 彼女はちょっとした事がある度に「怖い」と、呟くようになっていた。自分から人を避けるようになっており、彼女が発するそんな雰囲気が、話しかけづらさを助長していた……と、思っていたのだが、彼女は以前よりも更に、異性から好かれる存在となっていた。その理由の第一に、容姿が挙げられる。

 幼少の頃から彼女の容姿は群を抜いて良いものだったのだが、今はなんと言えばいいのか……まるで天女の如く。後光がさすかの如く。美しい。

 力強くも優しい印象を与える、二重の目。スッと通った日本人にしては高い鼻。キュッと締まった血色の良い口元。美しい曲線を描いた、小さな輪郭。肩まで伸ばされた黒髪は手入れが行き届いており、ツヤツヤで美しい。どれもが完璧と言えるもの。

 共通の知人にカヨネェという美容院で働いている女性が居るのだが、そのカヨネェが悪戯で、とあるファッション雑誌にエイコちゃんの写真とプロフィールを送り、一発で一次審査を通過したという過去がある。「二次審査の面接が東京だから行くの面倒くさい」という理由で辞退したのだが、その噂が学校内で広まり、再びエイコちゃんは注目されるようになった。

 しかしエイコちゃんは誰に話しかけられても、ニコリと愛想笑いをするばかり。そしてすぐにその場から立ち去り、私の所に来るか、トイレへと逃げ込むかのどちらか。

 そういったコミュ障な所も、人気の理由のひとつとなっている。容姿が良くなければ許されないような態度も、エイコちゃんは魅力として身にまとってしまうのだ。中学校に入学してから告白された回数は二桁に突入したのだが、エイコちゃんは返事すらする事なく、得意の微笑みだけを浮かべて、その場を離れていた。

 冷たい態度では無く、微笑む。しかし何も話さない。そのミステリアスさが、また彼女の魅力となっているらしい。

 彼女の魅力はもう、小悪魔程度の表現では済まされないだろう。大人に近づいていくにつれて魔性の女となっているように思え、少し怖くなる。過去にその魅力が祟り、刺された経験があるからだ。

 親友の身にもう二度と、あのような事は起こって欲しくないと、心底思っているのだが……日に日に魅力を増していく彼女に対して、私の不安は日に日に膨れ上がる一方であった。


 そんな日々が積み重なり、私達は今年の春、中学三年生になった。


「サエちゅわぁーんっ!」

 帰りのホームルームが終わり廊下に出ると、いつものようにエイコちゃんが私の事を待ち構えており、私の腕をぐいっと掴んで自身に引き寄せた。そしてエイコちゃんより背の高い私の肩に自身の顔を押し付けて、顔を擦り付ける。

 私に対するこういった子供じみた態度は、昔から変わっていない。私とカヨネェの前ではエイコちゃんは未だ、小学六年生のままなのだ。

「ごめんね、いつも待たせちゃって」

「僕はサエちゃんが居ないと道に迷って帰れないから、待つのは仕方ないよー」

 エイコちゃんはニッコリと笑い、冗談を言う。この笑顔も冗談も、この学校では私にしか向けられる事は無い。

 そのせいでほんの一時期、私とエイコちゃんの有りもしない噂が立った事があるのだが、私が全力で否定してなんとか沈静化させる事が出来た。私もエイコちゃんも、紛れもなくノンケである。

 エイコちゃんには小学六年生の時から未だに思い続けている男の人が居て、私にも最近、思う人が、居る。

「ねぇねぇサエちゃん、ギター持って山に行かない? そろそろ桜が咲いてる頃だと思うんだよね」

「えー……? まだ全然先だと思うけど。山だと雪も残ってるよ、きっと」

「そうかな。でも今日は天気が良いから、ポカポカあたたかーいんじゃないかな」

「寒いよ。ぜった」

「あたたたたたかーい!」

 エイコちゃんは私の声を遮りながら、小さなジャブを何度も繰り返す。

 エイコちゃんは親しい人間に遠慮をしない。自分のありのままをぶつけてくる。

「あたたたたたかーいので、今日はチャキマルのお墓の前でギターの練習です! いいですね?」

「んもぉ、エイコちゃんったら、本当に勝手なんだから」

 私がほんの少しだけ落胆したかのような声を漏らすと、エイコちゃんは少しうつむいて自分の後頭部を二回、ポンポンと叩いた。

 この行為は一種の自傷行為であり、駄目な自分を自戒するものだ……と以前話しており、エイコちゃんの精神面が心配になったものだが、これは既にエイコちゃんの癖になってしまっているらしく、今はなんとも思わなくなっている。

「ふへへ……ごめんねぇーこんなんで」

「ううん。チャキマルの所に行きたいんだよね? 行こうよ。そう言えばいいのに」

「なんだろなぁ。サエちゃんなら僕の言いたい事、わかってくれるっていう安心感がね、あるんだよね。古女房的な」

「エイコちゃんがそういう事言うから変な誤解が生まれるんだよ? 私大変だったんだから」

「ふへへ……ごめんねぇーこんなんで」

 エイコちゃんは再び、自分の頭をポンポンと二度、叩いた。

 その時のエイコちゃんの表情は、満面の笑みであった。この笑顔を見る度に、側に居れて良かったと思える。

「ううん、防寒していこうね」

「あはー。シートも持っていく」

 エイコちゃんは、ご機嫌だった。


 山道にはやはり雪が残っており、空気自体がヒンヤリとしている。木々が生い茂っており、太陽の光が届きにくい。

 つまり、かなり寒い。全然ポカポカしていない。

 そんな中エイコちゃんは、重たいギターケースをものともせず、スキップをしながらズンズンと山道を突き進んでいった。彼女の体力は小学生の頃から衰えたりしていない。今でもサッカーをやらせれば、男子と混ざってプレイ出来るだろうと思う。

 大金を積まれても絶対に、しないだろうが。

「ちょっとエイコちゃん……早いよ」

「おぉーっと。一番大事なものを置いていく所だった。失敬失敬」

 エイコちゃんはクルリと振り返り、私へと近づいてきて、私の手を握った。エイコちゃんの手のぬくもりが私へと伝わってきて、かじかんでいた私の指を温める。

「うわっ! しゃっこーい! なんで手袋してないの?」

「エイコちゃんもしてないし、大丈夫かなって思って」

「もぉー、サエちゃんの指はゴールドフィンガーなんだから、大事にしないと駄目でしょぉ?」

 鍵盤楽器と弦楽器を演奏出来る私の指を、エイコちゃんは度々「ゴールドフィンガー」や「ゴッドハンド」などと大げさに表現する。そしてその事がなんだか誇らしくて、嬉しかった。大切にされているんだなと、実感が出来た。

「おーよしよし。しゃっこいねー。温めましょうねー」

 エイコちゃんは歩きながら、まるで小さな妹か弟にそうするような口調で、私の手を擦り温めてはじめる。その歩き方はとても不格好ではあるのだが、この山道の事なら全速力で駆け抜ける事も出来るくらいにエイコちゃんは知り尽くしているので、転んだりは決してしない。

「あたたかくなーれーあたたかくなーれー」

 冗談を言ったり、ふざけたり、わがままを言って困らせたりしてくる時もあるが、慈愛の笑顔に染められているエイコちゃんの表情を見ると、心の底にあるものはやはり優しさなんだろうなと、思う。


 チャキマルのお墓へと到着した私達は、エイコちゃんお手製である木製のお墓の上に乗っている雪を落とし、軽く磨いた。サンドペーパーがかけられ、仕上げとしてニスまで塗られているお墓は、少し撫でただけでピカピカの状態になり、エイコちゃんは満足そうに首を上下に動かした。

 続いてお墓周りを少し掃除し、雪をどけ、そこに大きめのレジャーシートを敷く。ギターケースを開け、ギターを取り出す。

「指冷たくて動かなーい!」

 エイコちゃんは手をブラブラとさせながら、当然の事を叫んだ。

「だってエイコちゃん素手でやるから」

「失敗したーっ!」

 エイコちゃんは再び叫び、レジャーシートの上へと寝転がり、座っていた私の膝の上に頭を乗せる。

 そして両手を私の顔の前に突き出して「はぁーってしてぇ?」と、甘えた声を漏らす。

 本当に、私やカヨネェの前では、遠慮をしない子である。

 しかし、これが昔からのエイコちゃんの姿なので慣れたものだし、学校での息苦しそうなエイコちゃんを見ている分、こういった無邪気な部分を見ると、安心する。

 エイコちゃんの他人には見せない本性を目の当たりにすると、私がエイコちゃんの受け皿になろうと、何度も誓える。

「はぁーっ……はぁーっ……」

「あはー。あったかぁい」

 エイコちゃんは指をグニグニと動かした。

 安心しきったかのようなエイコちゃんの表情に、私は癒やされた。


「木漏れ日が、眩しい」

 エイコちゃんは寝転がったままの状態で、自分の目の前に手をかざし、太陽の光を遮った。

「寒いけどね」

「……ううんー、あったかぁい。好きなものに囲まれて、僕は幸せだなぁ」

 幸せ、らしい。

 少し寂しそうにも見えるのだが、幸せらしい。

「私も」

「私も?」

「幸せ」

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