十二歩目 子猫と街で
*
何をやっているのでしょう。
ようやく雲のすき間からもれ始めたまぶしい光を見て、マノルは思いました。空から細く伸びた朝日は、まるで銀の糸のようです。
こんな時間に街に来たところで、ナツキはいないと分かっているのに。
昨日は彼女のことを気にかけながらねむったせいか、夢にまで出てきて、早くに目が覚めてしまったのです。辺りはまだもやにつつまれ、ドライトもまだとなりでねいきを立てていました。
もう一度ねようにも、妙に頭がさえていて無理でした。このままぼーっとしていてもしかたないと思い、狩りをして朝食を済ませた後、さっそく街に出てきたのです。
ドライトにきちんと声をかけてきませんでしたが、街へ行くということは昨日の夜に伝えておいたし、マノルの行動範囲はテリトリーから街の中までに限られています。きっと大丈夫でしょう。
それにしても、早く来すぎてしまったでしょうか。そう思いながらもマノルは歩を進め、いつものパン屋の前に座りこみました。
これから陽がかたむくまで、ずっとナツキを待っていなければなりません。こぼれそうになったため息をこらえるため、マノルはあわてて首を横にふりました。初めてひとりで街に来た日のことを考えればいいのです。あのときも、こうして彼女を待ち続けたではありませんか。
体がとけてしまいそうなほど暑かった夏に比べれば、今はずいぶん過ごしやすくなっているはずです。だからこんなのへっちゃらです。
自分にそう言い聞かせてしばらく胸を張っていたマノルでしたが、そのうち、まぶたが重くなってきました。さすがに早く起きすぎたようです。どうせナツキは夕方にならないと来ないのだし、ちょっとおひるねでもしましょう。
マノルは、ひんやりとかたいコンクリートの上にうつぶせでねそべると、ゆっくりと目を閉じました。
かん高くかわいらしい音が背後でひびきます。
――あれ? ボク、ねてたんだっけ?
ねぼけ半分で音のしたほうをふり返ると、いつも見るくり毛のお兄さんが、お店の入り口に立ってマノルを不思議そうに見つめていました。ナツキが「テンチョウ」と呼んでいる人です。
「キミ、今までずっとここでねてたみたいだけど、またナツキちゃんにパンをもらいにきたのかい?」
お兄さんの言葉に、またねすごしてしまったのかと空を見上げましたが、青をかくすようにひつじ雲がずらりと並んでいるだけでした。
「残念だけど、今日は来ないよ。ナツキちゃんだけじゃなくて、だれもね」
お兄さんはお店の外に出てくると、かるく腰をかがめてマノルに言いました。両手に茶色のほうきとちりとりを持っています。
だれも、来ない?
マノルが首をかしげると、
「定休日だからね」
ほうきで地面をはきながら、マノルの疑問に答えるようにお兄さんがつぶやきました。
「まあ、ボクは動いてないと何かとなまけちゃう性格だから、休みの日もこうやって出てきて色々やってるんだけどさ。一応店長だし」
そういえば、今日のお兄さんはいつもの白い服を着ていません。白地に黒いよこしま模様が入った服に、ゴムのゆるそうなズボンをはいています。きっとお店がお休みだからでしょう。
「ナツキちゃん、今ごろカレシと手でもつなぎながら歩いてるんじゃないかな」
お兄さんの重々しいため息と、ほうきをはく音が重なりました。小刻みな音とともに、風にふかれてダンスでもしているかのように地面をまっていたかれ葉たちが、ひとつの場所に集められていきます。
「……いいよね、かわいい女の子は。ボク、デートなんてもう何年してないだろう……」
お兄さんの言っていることはよく分かりませんでしたが、ナツキが来ないのならここにいたってしかたありません。
「そういうことだからさ、エサがほしいなら他を当たってくれないかなぁ……」
お兄さんはそう言って、集めたかれ葉をちりとりの中に収めると、また大きなため息をつきました。
ええ、そうしますとも。そもそも今日は、パンをもらいにきたのではなく、ナツキに会いに来たのですから。
マノルはお礼のつもりで、お兄さんを見つめながらひと鳴きしてみましたが、本人はまったく気づいていないようです。何をそんなに落ちこんでいるのでしょう。
ヘンな人だなと思いながら、しょんぼりとうなだれる後ろ姿に背を向けて、マノルは再び秋の街を歩き出します。
結局、時間のムダ使いになってしまいました。とりあえず今日は帰ろうと思います。意味もなく街に居続ける必要もないですし、お兄さんに起こされたせいで、まだねむけが残っていました。早く帰ってぐっすりねむりたい気分です。
初めての再会のときみたいに、あきらめかけたころにひょっこりナツキが現れたりして。
そんな小さな期待を心のすみでいだきながら歩くマノルの横を、一匹の黒猫が反対方向に通り過ぎていきました。
――――ハッとします。
「……ねえ!」
気づいたら、後ろをふり返ってさけんでいました。
大声で呼ばれ、足を止めて同じように後ろをふり返った黒猫は、マノルと目が合った瞬間、怖いものでも見たように全身を強ばらせます。
やっぱりそうです。目の前にいる黒猫は――マノルの兄弟のひとりでした。目つきがあまりするどくないので、おそらく二番目の弟猫でしょう。
「もしかしてキミ――」
話しかけようとしたそのとき、弟猫は一目散にかけ出しました。
「あっ、待って!」
ここでくじけてはいけません。マノルも足に精いっぱいの力をこめ、アスファルトの上をすべるように走り出しました。
ごめんね、と伝えるために。
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