第51話【死神】

 ララは輝いていた。

 わずかに残されたその命の日々を、一瞬たりとも無駄にすることなく生き抜いていた。

 朝から夕方までブラックと魔術を練習しているかと思えば、帰ってくるなり給仕のエイミーに字を教わっている。


 正直、この小さな少女にそんなことができるとは考えていなかった。

 身が引き締まる思いだ。

 我々大人がいかに堕落していたか、それを見せつけられている気がしてならない。


 突然、エイミーがクスクスと笑った。

 見ると、ララが机にして寝ている。

 疲れたのだろう。

 まだ5才だ、1日に10時間程度の睡眠は必要なはずなのだ。


 そのまま寝かせておくつもりだったが、ララはすぐに目を覚ましてしまった。


「あ、寝ちゃった・・・。ダメダメ、もっとやるの! ねぇエイミー、次の字を教えて!」


 さすがに無理をし過ぎだ。


「ララ、少し休んだ方がいい。朝からずっと訓練をしていたんだろう?」


 俺のねぎらいに、眠い目をこすりながらララは答える。


「うん、でも大丈夫! もっと教わりたいの!」


 ララの気持ちが俺の心に突き刺さった。

 だが、やはりここは休息を取らせるべきだろう。


「ララは頑張り屋だな。本当に立派だと、俺は感心している。だが、モロクスがいつ攻めてくるか分からないのだ。いざその時に、そんな寝不足な状態で戦えるのか?」


 ララはハッとした。


「そうだララ、何よりも大事なのは、モロクスを倒してご両親を天国に連れていくことだ。それを忘れてはいけないぞ?」


「・・・うん、分かったわルーファス。じゃあちょっと寝るね? えーと、えーと・・・。」


 ララは時計を見つめながら悩んでいる。

 何時まで寝たいと言おうとしているようだが・・・。

 ああそうか、まだ時計を読めないのだな。


 俺は仕事の手を休め、時計の読み方をララに教えてやった。

 わずか10分かそこらの短い講義だったが、ララはあっさり習得してしまった。

 この子は非常に頭の良い子だとは気づいていたが、まさかここまでとは感心するほかない。


「わーっ、ララちゃんスゴーイ!? 私が時計を読めるようになったのはもっとずっと後ですよ!?」


 エイミーも感嘆の声をあげた。


「えー? そんなにスゴイのー? ・・・じゃあ、パパとママに言ったら、褒めてもらえるかな?」


 エイミーは返す言葉に詰まってしまった。

 仕方ない、俺が代わりに返答しておこう。


「ああ、もちろんだララ。アイリスみたいに腰に手を当てて足を開き、大威張おおいばりして来い。」


「アハハハハハ、やーだー! あれ、カッコ悪いもん! アハハハ!」


「ハハハ! アイリスのやつ、きっとどこかでクシャミをしてるぞ?」


 3人で大笑いをした。

 そしてこれが、この3人で笑った最後だった。





「あ、私、もう上がらないと・・・。」


 エイミーは帰宅する時間が来たようだ。


「ん? そうか。」


「ああ・・・ララちゃんに悪いことしてしまいますね。」


「仕方がないさ。起きたら俺から言っておく。」


「ありがとうございます。それでは失礼します。」


 エイミーが騎士団室を出ようとした時、ちょうどアイリスが帰ってきた。


「たっだいまー! おー愛しのエイミー、今日はもう上がりなの!?」


 エイミーは人差し指を口に当ててアイリスをたしなめた。

 アイリスはララが奥で寝ていることに気づき、慌てて手で自分の口をふさいだ。

 だが、時すでに遅く、ララは目を覚ましてしまった。


「あれー? エイミー、帰っちゃうのー?」


 慌ててエイミーが答える。


「ああ、ごめんね! 今日はもう帰らないといけないの・・・。」


「そっかー・・・じゃあまた今度教えてね?」


「うん、必ず教えるわ! 今日はごめんね?」


「ううん、またねエイミー!」


 エイミーはアイリスを睨みながらドアに向かった。

 アイリスは気まずそうに苦笑するしかなかったようだ。


「ああ、そういえばアイリス、今日はクシャミをしなかったか?」


 俺の問いにエイミーがクスクス笑う。


「え? どうして知ってるの、ルーファス?」


 エイミーは必死に笑いをこらえながらドアを閉めて帰っていった。





「ねーねーアイリスお姉ちゃんー?」


「んー、なーに?」


 エイミーの代わりにアイリスが字を教えている時に、ララがアイリスに問いかけてきた。


「アイリスお姉ちゃんとルーファスって、いつ結婚するの?」


 アイリスは硬直していた。

 2、3秒だが、全く動けないでいた。

 予想だにしない質問だったからであろう。


「・・・え? ・・・え?」


「ん?」


 たじろぐアイリスだったが、ララはそんな彼女の行動が理解できず、不思議な顔でアイリスを見つめていた。


「わ、私とルーファスが・・・結婚!?」


「うん! いつするの?」


 アイリスはどぎまぎした顔のまま俺を見た。

 そして顔を赤らめ、慌てて視線を背けた。


「し、し、し、しないわよ、そんなこと!?」


「えー? どうしてー? あんなに仲いいのにー?」


「な、仲良くったって、それで結婚するわけじゃないのよ!?」


「えー? そうなのー?」


 アイリスはその問いには答えず、顔を赤くしたまま立ち上がった。


「さ、さぁ、一緒にお風呂入ろっ!?」


「うん、入ろ!」


 騎士団室には風呂がついている。

 数キロメートル離れたところに小さな火山があり、城の近くに温泉が湧き出ているのだ。

 大汗をかく訓練の後に、これほどありがたいものも無い。


「ル、ルーファス!」


 突然アイリスが俺の名を呼んだ。

 いや、「叫んだ」に近いか。


「ん、なんだ?」


「私たちお風呂入るから、覗かないでよね!?」


 普段はそんな言葉を口にすることはなかった。

 宣言だけして、すぐに入浴していたはずだ。

 ため息をつきながら俺は答えた。


「はーっ・・・覗くわけがないだろう?」


 俺はまた書類に目を通した。

 だがアイリスは浴場の入り口で立ち尽くしている。


「なんだ、どうした?」


「・・・興味、ないの?」


 アイリスは茫然とした顔をしている。


「はぁ? なんだ覗いてほしいのか?」


 アイリスは顔を真っ赤にして怒りだした。


「覗いてほしいわけないでしょ!? ルーファスのエッチ、バカ、ヘンタイ!!」


 そして猛然と浴場に入っていった。


「えっち、ばか、へんたい!」


 ララがニコニコしながら真似をし、アイリスの後に続いて浴場へ入っていった。


「ねーねーアイリスお姉ちゃん、へんたいってなーに?」


「えーとねー、ヘンタイっていうのはねー・・・。」


 やはり意味が分かっていなかったようだ。

 余計なことを吹き込むと、ララの両親に怒られそうだ。




 俺は既視感デジャブを感じていた。

 以前にもこんなことは無かっただろうか。

 こんな時間がいつまでも続けばいいと思ったことが。


 そうだ。

 そして突然、死神によって地獄に突き落とされるのだ。


 その来訪は、アイリスたちが風呂から上がった直後だった。


「ルーファス団長! モロクスの陣営に動きがありました!」

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