第46話【雨】

「(もう、持ちそうもないな・・・。)」


 帰りの馬車の中、犬のネルがまた苦しみだした。

 ルイッサの治癒魔法によって、今は落ち着きを取り戻している。

 だが、俺は彼女の表情から希望を見出すことが出来なかった。


「一旦、レッドバレーに向かう。テレンスとカイルは先に城へ帰って王に報告してほしい。」


 城まではまだ遠い道のりだ。

 死の淵にいる小さな犬に耐えられる道程ではない。

 ブラウン夫妻にはまた面倒をかけることになるが・・・。


 テレンスたちはすぐに俺の意図に気づき、二つ返事で了解してくれた。

 ネルにとっても故郷で死ぬのは本望のはずだ。

 だが、その言葉をララの前で言うわけにはいかない。


 ブラックは、ネルの前で泣きじゃくるララをただ見つめていた。

 彼の心中は複雑であろう。

 果たして彼は、ララが死ぬと分かってモロクスをてるのだろうか・・・。




「おじいちゃん、おばあちゃん! ネルが大変なの!」


 ブラウン夫妻には俺から事前に説明しようと思っていたのだが、ララに先を越されてしまった。

 迎えに出たジョセフとロージーの老夫婦は、何が何だか分からず、面食らっている。


「ええっ!? ネルって!? ララ、その犬・・・?」


 慌てるジョセフ。


「おうちで飼ってたネルよ!」


「飼ってた、と?」


 その時、ロージーがハッとして気づいた。


「あああ・・・そうですよ、ジョセフ! ララが抱いて見せに来てくれたことがありましたよ? このワンちゃんにそっくりな子犬を!」


 ロージーは当時のことを思い出したようである。

 その言葉を聞いたジョセフも、同じくハッとした顔をして頭に手をやる。


「おお、あの時の犬か!? おお、そうかそうか、良く生きながらえていたものよのぉ~!」


 彼女の言葉にジョセフの記憶も繋がったようだ。


「見てあげるわ、ララ。」


 ロージーがララに手を差し伸べ、ネルを受け取る。

 瘴気を発するネルの傷に、ロージーは一瞬たじろいだ。

 だが、ララを心配させまいと彼女は平静を装った。


「まぁこの子、体温が低くなっているわ。じゃあララ、一緒に暖炉のそばで温めてあげましょう。アイリスちゃんたちもいらっしゃい。」


「うん! ありがとう、ロージー!」


 ララとアイリス、そしてルイッサはロージーに連れられて家の中に入っていった。

 だが、ジョセフは冷や汗を垂らしながら俺の後ろを見ている。


「ル、ルーファス殿・・・後ろの御仁ごじんは、どなたですかな?」


 視線の先にはブラックがいた。

 馬車から降りてきたところだった。


 我々はもう慣れているが、初めて彼を見た者は一様に恐怖を覚えるだろう。

 弾ける魔力、体にまとった瘴気、鋭い眼光―――。


「・・・以前お話ししました、牙狼盗賊バンデッドマスターブラック・ウェインです。」


 ジョセフが青ざめた。


「と、盗賊ブラック!?」


「ご心配には及びませんよ。彼は子犬のネルを治療し、ララの代わりに育てていてくれたのですよ。」


「な、な、なんですと!?」


「フンッ・・・。」


 ブラックはそっぽを向いた。

 ジョセフは唖然あぜんとしながらブラックを見つめていた。

 少々説明を省略しすぎたか。

 ジョセフには余計な混乱を与えてしまったかもしれない。


「ああ・・・面影が・・・。そういえば以前、何度かララの家に入っていくのを見た記憶があります。」


 ジョセフの記憶はブラックの説明と合致がっちする。

 やはりララとブラックには、家族ぐるみの付き合いがあったのだ。


「何よりララがブラックをこの上なく慕っています。ララを救うためにモロクスを追い払ったのが、このブラックなのですよ。ジョセフ?」


「なんと!? じゃ、じゃあ、あの時の・・・?」


 ブラックがモロクスを追い払ったからこそ、この村は半壊程度で済んだのである。

 彼がいなければ、この村は廃墟と化していただろう。


「フンッ、救えなければ意味がない。ただの負け犬だ。」


「ブラック、それは違う。お前はララにとってのヒーローだ。」


「フンッ・・・。」


 ブラックはまたそっぽを向いた。

 ジョセフは我々のやり取りを茫然ぼうぜんとしながら聞いていたが、やがて大きなため息をついた。

 その顔には安堵の表情が広がっていた。


「私どもの村は、そちらのブラック殿に救われたのですな。ブラック殿、ありがとうございました。ネルの様子がご心配でしょう、どうぞお上がりください。」


「・・・ブラック、お邪魔させていただこう。」


「フンッ・・・。」


 その時だった。

 アイリスが血相を変えて家から飛び出してきた。


「ルーファス! ネルが! ネルが!」





 ルイッサはネルに治癒魔法をかけていた。

 だが、もはやそれがただの痛み止めにもならないのは、魔法の使えぬ俺が見ても分かった。


 ネルは、ロージーが用意してくれたタオルにくるまっている。

 そしてそのままの状態で意識を失ったようだ。


「ネル! ネル! ネル、死んじゃダメー!!」


 そばについて悲痛な叫びを上げるララ。

 アイリスは、かける言葉も見つからないまま、ただララの背中を抱きしめていた。


 両親を失い、愛犬を失う。

 5才の子供には辛すぎる。

 いやむしろ2才か3才であれば、死というものが分からないだけましだったかもしれない。


「ああ、ネル!? ネル!? 私が見える!?」


 ララの必死の叫びが通じたのだろうか、ネルが目を開けたのだ。

 だが、ネルのうつろな瞳には、きっとララの姿は映っていないだろう。


「ネル! 私よ! ララよ!」


 きっともう、声も聞こえまい。


 しかしネルは、最後の力を絞って匂いを嗅いだ。

 己の愛するララを、その身で懸命に感じようとした。


 ついにララの匂いをかぎ取ると、ネルは一際ひときわ嬉しそうな声を上げた。

 そしてそれきり、動かなくなった。


「いやあああああ! ネル! ネルー!!」


 外はいつしか、雨が降り始めていた。

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