第34話【忘却の塔】

 腕を強く引っ張られる感覚で俺は目を覚ました。

 ルイッサだった。

 目覚める瞬間に、しがみついている腕を強く抱きしめる癖があるのだ。


 毎回こうである。

 何かにおびえているのだろうか。

 悪夢でも見るのであろうか。

 本人にも分からないようだが、彼女を不憫ふびんに感じる瞬間だ。




 ブラウン夫妻のもとを訪れると、巨大な体躯たいくの男が俺たちを出迎えた。

 テレンスだ。

 装備こそしているが、今日は部下を連れずに来ている。


 盗賊ブラックがいる『忘却の塔』には、説得をしに行くのであって、討伐に行くのではない。

 重装備の兵を連れて行けば、逆に警戒されてしまうだろう。


「おお! 諸君、おはよう!」


 相変わらず声がデカい。


「おはようございます、テレンスさん。」


「おはよう、テレンス。アイリスたちは?」


 するとテレンスは耳をそばだてる振りをした。


「ほら、聞こえるであろう? 非常に楽しく朝食中だ。」


 たしかに、家の奥からキャッキャッと騒ぐ声がする。


「ご機嫌なようだな。」


 良かった、いつものララだ。

 テレンスは笑顔で髭を撫でている。


「『ここの子になる!』と言っておった。」


「フフッ。迷惑をかけるとは思ったが、ブラウン夫妻に預かっていただいて正解だった。」


 だが、テレンスは顔を曇らせる。


「ララの喜ぶ姿を見るたび、余計に別れが辛くなる気がするのだ・・・。」


 俺は何も言わず、テレンスの肩を叩いた。




 食堂へ行くと、ララが口の周りをハチミツだらけにしてはしゃいでいた。

 自家製なのか、たしかに見た目にも美味しそうなハチミツがテーブルにある。


「おはようございます。こら、ララ、行儀が悪いぞ? すみません、ジョセフさん、ロージーさん、ご迷惑をおかけしてしまい・・・。」


 俺はララをたしなめ、ブラウン夫妻に謝罪をした。

 だが、彼らは至極、上機嫌であった。


「いやいやいやいや、気になさらんでください! こんなに楽しい朝食は、まさしく10年ぶりですわい!」


 俺たちは苦笑するしかなかった。


「ねぇねぇルーファス! このハチミツ、ほんとに最高なのよ? それにこの野菜も、今朝、私たちとロージーさんとで取ってきたばかりなのよ?」


 アイリスがいつもの2倍の大音量で報告してきた。


「お前まではしゃいでどうするんだ、アイリス?」


「あ・・・えへへへへ。」


 あきれ顔の俺に照れ笑いをするアイリスであった。




「・・・ララを生かしておくすべは、やはり無いのですかな?」


 ララとアイリスが菜園で野菜を摘つんでいる時、ジョセフはロージーの肩を抱きながらルイッサにそう尋ねた。


「私たちも同じように考え、研究を重ねましたが、結論はやはり・・・。」


「そうなのね・・・。」


 ロージーはジョセフの胸に顔をうずめる。


「パットという少年は10年間、姿が変わらぬままでした。」


 ルイッサが説明を続ける。


「変わらぬ理由・・・それは悪魔に殺され、すでに自らの肉体が存在しないためです。成長のしようがないのです。呪いを受けたそのままの姿で、永遠にこの世を彷徨さまようことになります。」


「死ぬことは無いと?」


 ジョセフの問いに、ルイッサは首を振る。


「魔王アスモデウスの復活が迫っています。魔法剣士パトリック・エルフィンストーンを蘇らせなければ、恐らく我々に勝ち目はないでしょう。そうなれば結局、ララは死ぬことになります。」


 震えるロージーを、ジョセフは強く抱きしめた。




「ララ、行儀よくしているんだぞ?」


「うん、もっちろーん!」


 俺たちはブラウン夫妻の厚意に甘え、忘却の塔から戻るまでの間、またララを預けることにした。

 いや、「厚意」というよりは「願い」に近いものだったように思う。


「あ、ルーファスさん!」


 馬車を出す直前、俺はジョセフに呼び止められた。


「役に立つ情報かどうかわかりませんが、盗賊ブラックはこの近辺の出身のようです。見かけた者も何人かおります。」


「なんと!? そうですか、ありがとうございます。」


 馬車を走らせながら、俺は考えた。

 近くに奴の身内などがいるかもしれない。

 交渉に使える可能性がある。


「じゃあ、お昼はピザをかまどで焼きましょうかね?」


「ええ!? ピザもできるの!? おばあちゃん、すっごーい!」


 ララのはしゃぐ声が遠くなっていった。




 それは、このレッドバレーから目と鼻の先にあった。

 ブラックがこの近辺の出身らしいという噂もうなずける。


 漆黒に染まる塔、『忘却の塔タワー・オブ・オブリビオン』。

 禍々まがまがしいその円塔は、高さが200メートルを超えているようだ。

 直径は50メートルといったところか。

 いったいどうやって、この砂漠にこれほどの質量を運んできたのか。


「お兄様の情報通り、やはり壁には暗黒のクリスタルが埋め込まれていますね。外からの魔法は完全に遮断、そして吸収されます。物理的防御力も我がガーランド城と同等でしょう。」


 難攻不落の要塞というところか。

 誰が作ったのか、誰の所有だったのかは記録に無かった。

 有史以前の塔のようだ。


「む? あそこに大きな扉がありますな?」


 テレンスが塔の入り口を見つけたようだ。

 巨大な両開きの扉がある。

 行ってみよう。


 近づくとそれは本当に巨大であった。

 高さは20メートル、横幅は10メートルもある。

 全面に装飾が施されており、2枚の扉が重なった中央付近には満月の文様がある。


「ど、どうやって開くのだ!? いくらわしでも、この重量の扉は開けられんぞ!?」


 テレンスが焦って叫ぶ。


「テレンスさん、これは魔法の扉です。こうやって開けるのですよ。」


 ルイッサが魔法の詠唱を始めた。


「月の女神ルディアよ、知識と鍵の神バシールトを遣わせたまえ! 反封印月輪光ユーヌセアル!!」


 丸い円の形をした光が、幾重にも重なって満月の文様に吸い込まれていく。

 突然、何百トンもあろうかという巨大な岩の扉が、轟音と共に開き始めた。

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