第28話【番犬】

 俺の言葉はルイッサの思念を通じてブライアンに伝わった。


「何だって!? はっ、まずい!? 総員撤退!! 野郎ども、城へ戻れ!!」


 迫り来る黒い影を視認したブライアン団長が、予備兵団に撤退命令を出す。

 だが、部隊が前に出過ぎている。

 気付くのが遅すぎた―――。


「何てことでしょう・・・。私のせいです、私があんな提案をしなければ・・・。」


「違うルイッサ、お前のせいじゃない! この作戦の責任者は俺だ、俺のせいだ!」


 バカだった。

 沼地と言えば飛竜ワイバーン棲み処すみかではないか。

 そこに頭が回らないとは・・・。


 ワイバーンはその名の通り、翼の生えた竜である。

 竜とはいっても体はそれほど大きくなく、尾を含めた全長で10メートルほどである。

 頭は竜で、腕が翼となっており、足には巨大な鉤爪かぎづめがついている。

 尾の先はとがっていて矢じりのような形をしている。

 その爪と尾には毒があり、それと口から吐く毒ガスブレスが奴らの攻撃手段となっている。


 城塞都市は上空がガラ空きのように思えるだろうが、実はそうではない。

 城壁に塗り込められたクリスタルを利用すれば、魔導士は都市の上空に巨大な障壁を出現させることが出来るのだ。

 その障壁は、ワイバーンごときに破れるものではない。

 だから我々としては一刻も早く、全軍を城塞都市の中に避難させる必要がある。


 そう、当初から籠城しておけば、こんなことにはならなかったのだ・・・。

 魔神モロクスは、恐らくオークとワイバーンで陸と空から同時に攻撃するつもりだったのだろう。

 移動速度の遅いオークを先に出し、後からワイバーンで追いかける寸法だ。


 城外に出て、先にオークを倒したのが裏目に出た。

 結果的に、ワイバーンに奇襲された形になってしまった。


「マイルズ、予備兵団が帰投するまでの時間稼ぎをするぞ!」


「魔導士たち、ワイバーンは炎に弱い怪物です。火炎魔法で騎士団を援護してください!」


 先陣を切ったブライアンを救出すべく、俺は馬を全力で走らせた。

 ルイッサは思念で部隊に指示を与えている。


「ふざけるな、お前たち! ここは俺の見せ場だ、邪魔すんじゃねーよ! 戻れ!」


 ブライアンが予想外のセリフを言った。


「何を言っているんだ、ブライアン!? ワイバーンは大群だ、お前だけでどうにかできる数じゃないだろう!?」


「ああ、よーく見えてるさ・・・。ざっと数えて、その数2000だ。」


「なっ・・・2000匹だとっ!?」


 10メートル級の怪物が2000匹である。

 俺はモロクスを甘く見ていた。

 とてつもない軍勢だ。


「だから『戻れ』と言っているんだ・・・。たしかに魔導士の火炎魔法は効くだろうさ。だが、1匹を倒している間に他のワイバーンに食われる。犠牲が多くなり過ぎる、無駄に・・・な。」


「ブライアン・・・。まさか、お前―――。」


「へっ、殿しんがりは武人のほまれよ! 一世一代の花舞台だ!」


 殿―――。

 つまり予備兵団が帰還するまでの間、最後方でワイバーンを引きつけると言っているのだ。


 殿は、たしかに名誉あるものである。

 だがその性質上、極めて生存率が低い。

 ましてや、ワイバーン2000匹が相手では・・・。


「・・・ブライアン、今から貴様をぶん殴りに行く。待っていろ!」


「ハハハ、お人好ひとよしだなぁ、ルーファスは。だが、もう遅い・・・。白虎太極流奥義、偃月斬空撃えんげつざんくうげき!!」


 遠くの前方が青く光った。

 ブライアンの偃月刀えんげつとうが奥義を放ったのだ。


「そこか、ブライアン! 今行くぞ!」


 俺は全速力で青い光を追いかけた。

 急がねば―――。


 ブライアンの奥義は空を切り裂く奥義。

 かたうろこで覆われたワイバーンも、一撃の下もとに20匹が倒された。


 しかしブライアンに群がっているワイバーンは200匹以上。

 とても倒しきれない。

 そしてかわしきれない。

 ついには愛馬が爪の餌食となり、ブライアンは馬上から振り落とされた。


「グフッ・・・どうやらここまでのようだ。ルーファス団長、キャシーに伝えておいてくれ。」


「ふざけるな、女房には自分で言え! あと300メートルだ、俺らが行くまで持ちこたえろ!」


 だが、ブライアンからの返事は無かった。

 そして俺の目に飛び込んできたのは、絶望的な光景だった。


 群がるワイバーンに必死で奥義を繰り出すブライアン。

 だが、数が多すぎる。

 奥義を放った隙に、後ろから別の個体に爪で攻撃され、右腕をもがれてしまう。

 なおも残った左腕で奥義を繰り出すブライアンだったが、胸と背中に尾を突き刺され、彼はそれきり動かなくなった。

 全身を猛毒が回ったのだろう。


「ブライアンーー!?」


 間に合わないのか―――。

 2匹のワイバーンがブライアンをつかみ上げ、その体を引きちぎろうとしていた。




 その時だった。

 辺りが急に暗くなったと思うと、後方から飛んできた巨大な火炎がブライアンに群がっていた200匹のワイバーンを消し炭にした。


「ファ、ファイアードラゴン!?」


 轟音とともに現れたのは巨大な炎竜だった。

 火炎攻撃後、上空を旋回している。

 ワイバーンはドラゴンを恐れ、パニック状態になっている。


 新手か?

 いや、城のほうから飛んできた。

 それに、俺達には目もくれていない様子だ。


 何はともあれ、この隙にブライアンを救出できる。

 そう思った俺は、また奇妙なものを目撃することになる。


 ブライアンが宙に浮いていたのだ。

 そしてその隣に、見慣れない長身の男が浮いている。

 男の前には、巨大な本が開かれた状態で浮かんでいる。


「やれやれ、回復系の魔法は苦手なんですがね・・・。えーと、どこのページだったかな?」


 男は眼鏡を左手の指で押さえながら、右手をさっと横に払った。

 すると、本のページがひとりでにめくれ、あるページで止まった。


「ああ、これですね。えーと、神天浄聖光コン・バール!!」


 詠唱も無しに呪文が放たれた。

 そしてブライアンが光に包まれる。


「これでよし、と。」


 そう言うと男は、本、そしてブライアンと一緒にこちらへ飛んできた。


「一応、解毒と応急処置はしておきました。あとは神官に回復させてもらってください。私はを始末してきます。」


 ブライアンの体を俺に渡したあと、その男は空高く飛び上がった。

 そして上空を旋回していた炎竜の背中に乗った。


「なっ、あのドラゴンに乗ったぞ!? ルイッサ、奴は何者なんだ!?」


「あ・・・あ・・・あ・・・。」


 ルイッサは激しく動揺していた。

 何かを知っているようだが、目を見開いたまま、何もしゃべれずにいた。


「えーと、あの呪文はどこでしたかね? うーん・・・。」


 男は上空でまた本をめくっているようだった。


「ああ、これだこれだ。では行きますよ!」


 そう言うと炎竜の頭をワイバーンに向け、そのまま上空で静止した。

 男は本を読み上げる。


「冥府を守るは三つ首の狼、放つ炎は地獄の業火。我、汝を召喚す。我、汝を召喚す・・・。」


 突然、我々の目の前の地面がゆがんだ。

 そして黒く、巨大な穴が開いた。


「いや、穴じゃない!? なんだあれは!?」


 見ると、穴だと思っていた黒い空間が盛り上がっている。

 そしてそれは巨大な四つ足の獣の姿となった。


「狼!? いや、まさか!?」


 漆黒の体は全長100メートルはあろうか。

 三つの首を持った巨大な狼がそこに現れた。


「ケルベロス!? 奴はケルベロスを召喚したのか!? ぐうぅっ!?」


 狼から放たれた巨大な妖気に吹き飛ばされそうになった。

 ケルベロス―――。

 地獄の番犬がそこにいた。


「スリラル・ギロス・テレストダラス・ターナー・ガーナー・デ・スム・シトルド!!」


 ケルベロスが三つ首をワイバーンに向けた。

 その三つの口の前に、強大なエネルギーを持つ黒い球体が浮かび上がった。

 それは直径50メートルにも及ぶ、巨大な黒い炎の塊だった。


「燃え尽きよ、轟炎爆熱冥界波ヘイディーズブラスト!!」


 黒い球体は目に見えぬほどの速度で射出され、ワイバーンの群れに突き刺さった。

 そして轟音とともに爆裂した。


「まずい、衝撃波が来るぞ!? みんな、伏せろ!!」




 土煙が収まった。


 ワイバーンの群れは消滅していた。

 そしてケルベロスも、炎竜の姿もなかった。


 男は空中にいた。

 そして肩をみながら、ゆっくりと降りて来ていた。


「この大陸に召喚士サモナーは、わずかしかいません。」


 動揺していたはずのルイッサが口を開いた。


「そして炎竜やケルベロスを召喚できる者は1人しかいません。」


 ルイッサは涙を流していた。

 男のほうを見て泣いていた。


「ああ、面影おもかげがございますね・・・。お久しぶりでございます、お兄様。」

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