第19話【独り言】
夜が更けた。
大臣たちとの戦術会議のあと、俺とルイッサ、そしてパトリックは王宮書庫に立ち寄った。
そして俺は、1冊の本を借りた。
騎士団室に帰ってみると、騎士団の面々が浮かない顔でテーブルに着いていた。
テーブルの隅を見やると、アイリスが泣いている。
アイリスはずっと泣き続けていたようだ。
カイルが困り果てた顔をしている。
「(すまなかったな、カイル。)」
俺はカイルの肩を叩き、アイリスの向かいの席に座った。
女性給仕にワインを注文し、俺は無言で飲み始めた。
そして俺は独り言のようにアイリスに話しかけた。
「俺は、アイリスに礼を言わなければならなかった。」
アイリスは俺に見向きもせず、ただただ涙を流している。
「『俺の命をくれ』と言ってくれたろう? あの礼だ。」
アイリスは無言のままである。
俺は独り言を続けた。
「パトリシアの仇が破壊王ハルファスだと知り、お前は俺にそう言ってくれた。」
場所はこの騎士団室の前だった。
パトリシアはハルファスに殺されたと、俺が口にした時のことだ。
「俺にパトリシアの
ドラゴン戦の時、王と自分を救ってもらった礼に、俺はアイリスに命を捧げると言った。
そしてアイリスはその申し出を断っている。
そのアイリスが突然、俺の命をくれと言ったのである。
アイリスは無言のままだった。
だが、涙は止まっているようだった。
「ハルファスはお前の叔父さんの仇でもあったはずだ。だが中庭での戦いで、俺にとどめを刺させてくれた。お前の力なら、あのまま倒すことも出来たろうに。」
アイリスは無言のまま、しかし俺の話は聞いているように思えた。
「アイリス・・・ありがとう。」
俺の独り言はそこで終わった。
独り言の後、俺は1人でワインを飲んでいた。
あとでカイルに聞いた話だが、アイリスは誰が話しかけても答えず、俺が来るまでずっと泣き続けていたらしい。
「パットはね・・・。」
突然、アイリスが話し始めた。
彼女の視線は、ただ漠然と前を見ている。
「10年間、ずっとあの姿のままだったの・・・。ずっとあの可愛いまま、全く成長しなかったの・・・。私だけ大きくなっちゃって・・・ね。」
アイリスの口元は笑っていた。
だが、それは悲しい笑顔だった。
「私、パットが成長しないのは呪いのせいだと思ってたの。呪いさえ解けば、きっとパットも大きくなるんだって思ってた・・・。」
アイリスの目から大粒の涙がこぼれだした。
そして大声で泣き叫ぶ。
「でも違った! 違ったの! パットが成長しないのは呪いのせいなんかじゃなかったの! パットは・・・パットの『時』は―――。」
アイリスはこの時初めて俺の目を見つめ、そして叫んだ。
「10年前に止まったままだったのよ!」
騎士団室内が静寂に包まれた。
パットは10年前、破壊王ハルファスによって殺されている。
すでに死んでいる彼が、成長するはずもなかったのだ。
「パットは本当にいい子だったのよ・・・。」
アイリスがまた語りだす。
しかしその目は正気を失ったままだった。
「シャイで全然しゃべらない子だったけど、ちゃんとお手伝いをしてね・・・。私がご飯を作ってあげて『おいしい?』って聞くと、とても嬉しそうな顔をしたの・・・。」
俺はただ黙ってアイリスの話を聞いていた。
「それとね、優しいところがあってね。私が転んだ時とかね、本当にビックリして駆けつけてくるのよ? ものすごく心配そうな目をしてくれるの・・・。」
過去の思い出を話すアイリス。
彼女にはもう、あふれる感情が止められない。
涙が
「ルーファス・・・私ね・・・あなたみたいに強くない・・・。」
顔を両手で覆うアイリス。
しかし涙は、その小さな手では拭いきれなかった。
「出来ない・・・私には出来ない・・・『忘れる』なんて出来ない・・・。幽霊になってでもいいから、ずっと私のそばにいて欲しかった・・・。パット・・・ああ、パットーーー!」
そしてアイリスはまた泣いた。
大声で泣いた。
「コリン・イーストン・・・。」
泣き止んだアイリスの前に、持ってきた本を開いて置き、俺はそう言った。
アイリスは訳の分からぬ顔をして俺を見る。
「それがパットの本名だ。父親の名はセシル・イーストン、そして母親はクレア・イーストン。資料によれば、彼らは仲の良い家族であり、優しく
王宮書庫から持ってきたその本は、10年前の魔導戦争を詳細に記録した歴史書である。
被害状況から犠牲者までを詳細に記述してある。
アイリスは口を手で覆った。
あまりのことに驚き、声も出ない様子だった。
「パトリシアが言ったことを覚えているか、アイリス?」
天使になったパトリシアが残した言葉がある。
「『ハルファスに殺された者は全て天国に行った』と。」
俺を見つめるアイリスの目からまた涙がこぼれた。
しかし、その涙に悲しみの色は無い。
「そうだアイリス。パットことコリン・イーストンとその家族は、今、天国で幸せに暮らしている。」
アイリスは俺を見つめながら、ただただ涙を流していた。
「お前のお陰でパットはやっと両親に会えたんだ、悲しんでどうする?」
涙を流しながらアイリスは、本に書かれているコリン・イーストンの名を
何度も何度も撫でた。
「ああ、パット・・・。コリンって名前だったのね・・・。可愛い名前をしてたのね・・・。そうなの、パパとママに会えたのね・・・。良かったね・・・良かったね・・・。」
翌日は司教の
讃美歌が流れる中、俺たちはパットの冥福を祈った。
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