別れ話をしましょう

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別れ話をしましょう


「別れ話をしましょう」

 衝撃的だった。

「そうだね」

 二人にとって、それは衝撃的な事実だった。

「こういう時、どんなことを言えば良いのかわからないのだけれど」

 そして仕方ないことだった。そうするしかないのだという空気が二人の間にあった。

「思い出話でもするんじゃあないかな」

 たぶんね、と男は付け加える。その表情は穏やかだった。怒りも悲しみもなかった。

「そうね。そう、今ままでいろんなところに行った」

「今日みたいな小洒落た喫茶店だけだよ」

 それも毎週のように奢らされた。市内の喫茶店を巡った労苦を思い出し、呆れた声で男は言う。どんなに良くても毎回違う店を要求された。今思えば、彼女のなりの甘えだったのかもしれない。

「海にも行った」

「日帰りだけどね」

 つっこむ言葉は周囲の騒がしさにかき消されて、彼女の耳には届いてないようだった。長すぎる髪も邪魔をしているんじゃないかと、男は思ったが言わなかった。

「似たもの同士で仲が良いわね、ってたくさん言われたよ」

「まるで家族みたいね、って」

「なかなか頼もしかった」

「バスの乗り方も知らなかったんだから、そうだろうね」

「誰だってはじめてはある」

「遅すぎるんだよ」

 男の声が騒がしかったはずの店内に響いた。二人はここで初めて、わかりやすい気まずさを感じた。唐突に訪れた静けさに二人は黙りこむ。腕時計の針の音が聞こえてきそうな静寂。それを打開するかのように、注文したパフェがテーブルに置かれた。赤と白が目に痛いよくあるもの。どこへ行っても彼女は同じものを頼んでいた。そしていつも美味しい言っていた。それ以上も以下もない。平らな評価。そんなことを思い出しながら、男はいつものように店員にコーヒーを追加で頼む。

「今日は何も食べないんじゃないの?」

「飲みはする」

 会話は続かなかった。二人のこれまでは決して短くはなかったけれど、語り続けるほどの濃さはなかった。普通、であればお互いの鼓動や吐息の音が聞こえてくるようなシチュエーションなのかもしれない。けれども、彼女はただただ普遍的な雑音を周囲に感じており、男は腕時計の針の音ばかりが気になって少しばかり嫌気が差していた。機械のようにパフェを口に運ぶ彼女を、ただただ男は眺めていた。彼女はその視線を気にしていない。彩り豊かなパフェに比べて、彼女はいつにもまして、着飾りのない格好だった。服装から爪にいたるまでまで、整えられているだけで彩りはない。このまま面接にいけるほどだと、男は思うも、茶化す気分ではなかった。スプーンから苺が転げ落ちるときに思わず出た声以外、二人は無言だった。もう一回転げ落ちそうにならないものかと思うものの、苺の数はそれほど多くなく、彼女もそこまで不器用でもなかった。

 恐ろしいほどの時間が流れた感覚を覚えて、男は彼女の腕時計を見る。針は僅かにしか動いていない。

 注文したコーヒーがテーブルに置かれた。少し乱暴だった。そして、男が取り戻した時間感覚から言うと、あまりにも早かった。インスタントを疑いながら、多すぎる氷を男は意味もなくかき混ぜる。思案に暮れる。これからの事について男はまだ決意できない事があった。

「飲まないの?」

 話しかけるきっかけを見つけた彼女。

「飲みはする」

 本日のおすすめコーヒーは男には苦すぎた。酸っぱくもあった。誤魔化すように窓の外を見ようとするものの、眩しすぎて逸らすしかなかった。

「そのパフェ、美味しい?」

 男は今までそうしてきたように、他愛もない言葉をかけることにした。頬を膨らませた彼女は曖昧な頷きを繰り返した。言わなくても感想はわかっていた。その後もあまり会話は弾まない。しかしそれはいつもの事だったし、これからもそうだと、二人は思っている。店内は相変わらず騒がしかった。二人のテーブルだけに静けさがあった。誰もそんなことを気にはせず、彼女も気にする事無く、底の湿ったフレークを無表情に口に運ぶ。それから器が空になるまで、言葉はなかった。




「別れ話をしました」

 衝撃的ではなかった。二人にとって、それは。きっと薄々わかっていたのかもしれない。こうなると感じていたから、あまり深い関係にならなかったのか。思えば手も繋いだことがない。根拠の無い雑念に、男の頭の中は渦巻いていた。

「そうだね」

 そう言うしかなかった。こうなると男はわかっていた。

「あなたの父親のせいね」

「君のお母様のせいでもある」

 二人はお互いの軽口に笑った。静かに、目を逸らしつつ、そしてため息が交わされた。その意味が違うことを彼女が知ることはない。

「案外、上手くやっていけそうね」

 彼女は静かに言う。かき消されそうな小声でも男は聞き漏らさなかった。衝撃的だった。それは男にとっては衝撃的な事実だった。

「……そうだね」

 絞り出した一言に彼女は気づいていない。長すぎる髪が邪魔をしているんじゃないかと、男は思ったが言わなかった。




 懐かしいメロディが流れだす。窓の外を二人が見ると手を繋いで帰っていく子供達が見えた。

「もう、こんな時間だね」

 腕時計を見ながら彼女は呟く。

「帰る。帰ろうか」

 去年の誕生日に贈ったものとは違う時計であることに、男は今になって気がつく。そしてこの鈍さが別れる要因であれば、どれほど良かっただろうと切実に願っていた。

「そうだね」

 残っていたコーヒーを男が一気に飲む。溶けた氷ですっかり薄くなっていた。それでも苦くて、酸っぱかった。

 二人は立ち上がる。

「私が」

 財布を取り出した男を彼女が止める。一瞬の静止があった。

「癖でね」

 男はそう言うと、少し得意げだった彼女を残して、先に店から出ていった。




「遅かったね」

 男は店の前で待っていた。見上げた空はひどく赤く染まっている。

「これつくってた」

 彼女は喫茶店のスタンプカードを見せた。質素な作りをしていた。

「一回行く度にひとつ。三百円毎にまたひとつ」

 並んで帰り始めた。通りを行く人からしたらカップルだと思うかもしれない。さっきまではそうだった。確かにそうだったと男は強く思った。

「それで、何が貰えるの?」

 歩きながら男が言う。

「本日食べた苺パフェ」

 いいじゃん、と言った男に彼女は肩をすくめる。

「あれは少し甘すぎたわ」

「……そう、なんだ」

 彼女の言葉に男は戸惑った。続ける言葉がわからなかった。

「でも、また来ようね」

 男は首を縦に振る。毎週は無理だけど、と彼女は付け加えた。

 空は燃えるような赤から沈んだ青に変わっていく。星はまだ見つからない。

「これからもよろしく」

 絞り出した――けれども、そうだとは悟られないように。男の言葉に、彼女はゆっくりと返事をした。

「……これから、よろしくね」

 その意味を上手く飲み込めず、男は視線を逸らす。煮えるように熱くもどかしかった。

 二人の影が伸びて、そして消えていく。

 冷えていく空気のなかで、そっと彼女は男の手を握った。

「バス停はこっち」

 ぼんやりしている弟を引っ張りながら姉は右へと歩き出す。

 帰り道はこれからずっと一緒。

 その言葉の甘美さと実情への感情の差に、男は吐き気を感じる。

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