06: 無垢の花束②

「なるほど、よくわかりました。辛い少年時代を過ごされたのですね」

鈴木さんは、ハンカチで額から汗を拭く、必要以上に。

集団生活に馴染めない事はよくある。彼の場合、特定の女子3人組にいつも虐められていた。ある時カツアゲされ、挙句に恐怖とストレスから漏らしてしまい、それをネタにまた虐められた。幼い心に強烈なトラウマとして残り、以降女性と会話することすら出来なくなる。

道徳的観念が形成途中であるが故に、理性のコントロールが効かず、どこまでも残酷になれる。それが小学生時代なのかもしれない。


「目眩や吐き気がしたらすぐにおっしゃってくださいね」

白衣を着たエイダが鈴木さんの逞しい腕にパッチを貼る。貼ったと同時にバイザー上でストップウォッチが作動する。私の視界の右下に数字が走り始める。

『ドリームキャッチャー』

数十年前に「思い通りの夢が見られる」と大流行した向精神薬だ。睡眠前にパッチを貼るだけ。カラフルな夢の中で、「空を飛んだり、憎い同僚や上司をいたぶったり、片思いの異性と逢瀬を重ねたり出来る」と、瞬く間に広がり、法外な値段で闇取り引きされた。しかし依存性が高く、睡眠中に昏睡状態に陥るもしくは死亡するケースが相次ぎ、多くの命を奪った。もちろん違法である。そして、戦時中に私の人生を変えた薬でもある。良い意味でも、悪い意味でも。


「鈴木さん、私たち人間の記憶とは、ビデオロガーみたいな、『経験した出来事をそのまま記録保存して、後で参照する』システムだと思いますか?」

ハンカチを折り畳んでは広げてを繰り返すのを止めて、少し考えてから鈴木さんは答えた。

「ええ、まあ、ふつうはそんな感じだと思いますよね」


私は、偉そうに組んでいた両手をほどき、鈴木さんの目に私の目をロックオンする。

「現在の科学では、人間の記憶は再構成プロセスだと言われています。思い出すたびに再構成され、補飾され、上書き保存されます。古い記憶ほど、わずかな事実と多くの補飾で出来ているのです。例えば、、、そう、鈴木さんの思い出せるうちの一番古い記憶はどんなものでしょうか?」


再びハンカチを折り畳み始める。

「えっ、急に言われても、、、う~ん、たぶん、僕が1~2歳ぐらいかな、母親に抱っこされていて、大好きなピンクの象の玩具を下に落として泣いてたという記憶があります」

典型的な幼児時代の記憶である。


私は、右下のストップウォッチをちらりと確認する。パッチを貼って3分。まだ時間はある。

「ふつうは2歳ぐらいまでに起こったことは、大人になってから思い出すことは難しいのです。もしかして、写真を見たとか、だれかにそのエピソードを聞かされたとか、心当たりはありませんか?」


鈴木さんはしばらく目をつぶって眉間しわをよせる。

「う~ん、そういえば確かに、古いアルバムに母が僕を抱っこしてる立体クリップがあったと思います。あと、ピンクの象はまだ実家の宝箱の中にありますし、、、それと、母からは『小さい頃、僕は泣き虫で大変だった』ってさんざん聞かされたし。でも、ちゃんと記憶もあるんです、象さん落として悲しかった記憶が」

ビンゴだ、手応えがあった。


私はマイクロfMRIの冷却装置の電源をさりげなく入れる。低く静かなハム音が狭い部屋を満たしていく。

「そこなんです、鈴木さんの記憶はあなた自身だけでなく、第三者によっても補飾されるんです。記憶とはウィキペディアのようなものなのです。現在のあなたも編集できるし、第三者も編集できる。そしてこれから少しずつ時間をかけて私とあなたで、過去の記憶を改ざんしましょう」


鈴木さんは目を潤ませて答える。

「はい、先生、よろしくお願いします」

やった!これで今月の家賃は払える。食費も払える!


「それでは鈴木さん、小学生時代に、どなたか好意をもった女の子がいませんでしたか?」

長い長い旅の始まりである。

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