車窓、それから

 自分を殴って倒れた彼は、しばらくしてむくりと起き上がり、悲しげに小さくため息をついたあと、女の死体を片付けて着替えた。森の奥に引きずっていき、穴を深く掘り、埋める。それだけのことだった。彼は手際よくそれを済ませたあと、車に乗り込んで、助手席に座った私をなでた。私は「にゃあ」と鳴いて嫌がった。鉄の錆のような血の匂いがして悲しくなる。いつまでこんなことを続けるのだろうか。


「ごめん、待たせちゃって」


 彼は、私が待たされたので怒ったのだと勘違いしたのか独りごとのように謝ると、車のエンジンをかけた。カーステレオからは古典といわれる何世代も前のロックバラードの名曲が流れていて、彼はそれに耳を傾けている。ボーカルの声はやさしく諭すように歌っていた。


「この曲、懐かしいな」

 彼はそう言うと口ずさむ。高速道路の路面はぬれていて、車はそれをすべるように走った。そのとき、すこしだけ平穏な時間が流れていた。まるで人なんて殺していなくて、遊園地に行って遊び疲れて帰路についているような、そんな平穏で幸せな幻想が少しの間だけそばにあった。私は窓から後ろに流れていく景色を見ながら、まるで過去にさかのぼっているようだと思う。

 彼はどこから迷路に迷い込んでしまったのだろう。私よりずっと寿命の長い彼は、何を見て、何を聞いて、何を殺したんだろう。

 しばらくして曲が終わると、ラジオのDJがバンドの説明を始める。日本人のくせに、流ちょうな英語を使うものだ。それをうっとおしく思ったのか、彼は次々にラジオのチャンネルを切り替えた。


「――人魚の絵が発見されました」

 はたとニュースでそう言っているのが聞こえ彼は手を止めた。彼は静かにニュースキャスターの言葉を待った。


「世界的に有名な画家であるK氏の自宅から人魚の絵画が発見されたそうです。これが彼の最後の作品ではないかと言われており、来月からS市の博物館にて公開されることが決定した模様です」


 ニュースキャスターが次の話題を話し始めたところで彼はラジオのスイッチを切った。ふとその所作に違和感を覚え、彼の顔を覗き込む。彼はいつものようにフロントガラスの向こうを眺めていたが、注視すると、その瞳には薄暗い光がともっているのが見える。彼は人を殺すとき、いつもそんな顔をするのだった。窓の外の景色の流れが加速していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る