第一章 第六話 零道彼方、雨の中を全速力で走る

 火曜日に栞先輩に俺の予知夢について打ち明けてからというもの、栞先輩が事故に遭うことはなかった。というよりも、雨がまず降っていないのである。それは金曜日である今日も同じだった。


「よし、今日も晴れだな」

 ちらほら雲が見えるがそれでも雨が降るほどとは思えないような空が地平線の向こうまで続いている。今日も問題なく過ごせるな。

「ちょっと彼方。何ボーっとしてるのよ。行くわよ」

「おう」


 雪と肩を並べて学校まで向かう。寝坊することがなくなった俺にとってこれが日常になりつつあった。だが、下校は違う。雪はどうやら野球部のマネージャーになったようで、部活動に勤しんでいる。よって、俺は一人帰路に着くことが多かった。かといってこの一週間、ただ下校していたわけではなかった。栞先輩がトラックと衝突する例の交差点を探していた。そして無事見つけることが出来た。思ったよりも近場で、だいたい家と学校の間くらいにその交差点は存在していた。


 これで万が一のとき、駆けつけることが出来るな。といっても万が一なんてないか。栞先輩も流石に気を付けてるだろうし。

 そんなことを思いながら学校へ続く上り坂を登っていると、目の前に見覚えのある背中を二つ見つけた。


「よう、栞先輩に香桜里先輩」

 俺が駆け寄りながら呼ぶと、二人共振り向いてくれた。

「あら、彼方君」

「おはようございます」

「おはようございます」

 香桜里先輩に挨拶を返しつつ二人の様子を見る。二人共かなり近い距離で肩を並べている。それを見て俺は苦笑した。


「栞先輩、まだ香桜里先輩の監視は解かれないんですね」

「ええ、困ったものだわ」

「当たり前です。何かあっては困るんですからね! 栞ちゃん、分かってますか!」

「ずっとこの調子よ。まったく、一体誰のせいなんだか」

 栞先輩からの恨みがましい視線を俺は横を向いて回避する。


 香桜里先輩に頼んだ登校中に栞先輩を見ていてくれというお願いは、栞先輩が事情を知った今も続いていた。事情を知った後に栞先輩は断ったそうだが、香桜里先輩は一歩も引かず有無を言わさず一緒に登校している、いやさせているらしい。それほど栞先輩のことが心配なんだろう。たとえ何が起こるのか知らないとしても。


「いいじゃんか。それほど姉妹愛が強いってことだろ」

「そうですよ、私は栞ちゃんにもし何かあったら死んでしまいます」

「そんな大げさな……」

 栞先輩が苦笑するが、香桜里先輩の顔はいたってまじめだった。

「大げさなんかじゃありませんよ!」

「はいはい、それじゃ彼方君、またね」

「おう」

 栞先輩がすたすたと先に校門をくぐっていく。

「こら、栞ちゃん! 真面目に聞きなさい!」

 その後を香桜里先輩がてくてくと追いかけていった。


 その二人を立ち止まって見送った後、俺は後ろを振り返った。

「で、何で会話に入ってこないんだ?」

 少し遠くにいる雪に語り掛ける。雪は俺が栞先輩達に話しかけに言った直後、距離を取って待機していたのだ。

 雪が拗ねたように口を尖らせながら呟く。

「だって、立花先輩達と会話するなんて出来ないもん」

「あの人達はマジモンのアイドルかよ。話すくらいどうってことないだろ?」


 だが、雪はそう思っていないらしい。

「彼方は何も分かってない! 周りを見て見なよ! すっごい注目されてるんだから!」

「え?」

 雪に言われた通り、周りを見渡してみると確かに生徒達の視線がこちらに向いていた。それも特に男子の嫉妬にも似た視線が。


「……マジモンのアイドルかよ」

「ほら見なさい、立花先輩達と話すってことはそれだけで目立つことになるの。悪いけど、私は目立ちたくないのよ」

「転校初日に飛び蹴りかましてきた奴が?」

 俺が馬鹿にしたように笑うと、雪の顔に青筋が浮かぶ。

「もう一度してあげようか?」

「遠慮しておきます!」

 言葉と共に学校へと全力疾走する。

「あ、待ちなさい!」

 その後を追ってくる雪。きっと雪は気付いていない。この状況もまた目立つ要因になるのだと。


 走ったせいか、今日の授業は異様に眠たかった。かといって寝るわけにはいかない。俺は必死に起きようと努力した。だが、その努力も四時間目にして遂に無に帰すこととなった。その授業は国語。だいぶ歳のいった教師の緩く穏やかな声は俺を夢の世界に誘うには十分だった。俺はようやく目を閉じることになる。いや、なってしまった。


 次に気付いた時は、辺りから喧騒が聞こえてきていた。

「ん……」

 俺は伸びをしながら体を起こす。すると、隣にいた絵美が苦笑しながら話しかけてきた。

「彼方、寝過ぎよ」

「そうか?」

 あくびをしながら返事すると、絵美が今の時刻を教えてくれた。

「もう一時よ」

「一時ね……一時!?」


 時計を見てみると、確かに時計の針は一時を指していた。

「まじかよ、絵美も海斗ももう食堂で食べた?」

「もちろんよ。その後海斗は体育館でバスケしに行ったわ」

「俺を起こしてくれても良かっただろ!」

「だいぶ気持ちよさそうに寝てたから。あの海斗も―――」

 その時、俺の耳にとある音が聞こえてきた。それは今週中には聞かないはずの音だった。まだ話している絵美の声ももう俺には聞こえていない。


「嘘だろ……」


 慌てて俺は外に目をやった。そこには、ざあざあ降りの雨空が広がっていた。先程まで覗いていた水色の空はいつの間にか全てを灰色に包まれていたのである。


「天気予報は何してやがんだ……!」

「ちょっと、聞いてる?」

 眉をひそめて俺に尋ねる絵美の肩を俺は両手で掴んだ。

「え、え……」

「いつからだ!」

「な、何が……」

「いつから雨がこんな降ってるんだ!」

「え、えーっと、昼休み始まったころくらいかな」

 昼休みが始まるのは十二時四十分から。つまり降り出してから二十分は経っているということである。


 俺はすぐに栞先輩が学校にいるか確かめるため、二年三組の教室へと急いだ。

「ちょっと、彼方!?」

 後ろから絵美の声が聞こえてきた気がしたが、そちらに返答している暇はない。学校はまだ終わってないから栞先輩があの交差点に向かうことはないと思うが、やけに嫌な胸騒ぎがしていた。


 二年三組の教室に着くなり、俺は大きな声で栞先輩の名前を呼んだ。

「栞先輩は!?」

 突然の大声に誰もすぐに言葉を返してくれない。

「栞先輩はどこにいるんだ!?」

 頼みの和泉先輩も今は教室にいなかった。すると、ようやく知らない女の先輩が答えてくれた。


「立花さんなら、さっき忘れ物をしたって帰ったけど……」


 帰った……?

「何で帰ってんだよ……!」

 それを聞いた直後、俺は二年三組の教室を飛び出して昇降口へと走る。

 何で忘れ物ぐらいで帰ってんだよ……! そんなの気にするタマかよ!


 すぐに靴を履き替えて外へと飛び出す。その瞬間に雨水が体中に纏わりついた。早く例の交差点へと向かわなくちゃいけないのに、雨のせいでいつもより体が重い気がした。それでも俺は全力で学校前の下り坂を駆け抜けていく。


 栞先輩は自分に何が起きるのか分かっているはずだから、流石にトラックと衝突することはないだろうけど、それでも何か嫌な感じがする。

 そして俺は例の交差点へと続く道まで来た。すると、案の定交差点の一角には赤い傘を差した人が。栞先輩だ。栞先輩は信号待ちをしていた。そんな栞先輩へ俺が走りながら大きな声で叫ぼうとした時だった。


「っ!」


 見えてしまったのだ。栞先輩の命を奪うトラックが。そして、そのトラックに乗る女の幽霊が。

 だが幸運なことに、栞先輩もそのトラックを凝視していた。そのことに気付いた俺は避けてくれるのだと一瞬安堵した。そして安堵した直後、俺は絶望する。栞先輩はそこから一歩も動かなかったのだ。


 その間に、ついに女の幽霊の手によってトラックの進行方向が栞先輩へと変えられてしまった。

「何してんだよ……栞先輩!」

 俺は全速力のままで栞先輩へと飛び込んだ。直前で栞先輩が俺に気付いて目を見開く。そのまま俺は栞先輩と一緒に道路の方に吹き飛ぶように倒れた。その瞬間、耳のそばを轟音が通り過ぎる。そして直後に起こる破壊音。


 俺はすぐに顔を上げようとしたが、その時俺達に迫りくるもう一台の車が目に入った。トラックの陰になっていて見えなかったのだ。そして俺達は今道路に横たわっている。

「っ!」

 俺は栞先輩を守るように被さった後、目をぎゅっと瞑った。そして聞こえてくるタイヤが焼ける音。その後は雨の音と、人々の喧騒が聞こえてくるのみで強い衝撃が伝わってくることはなかった。


 もう一度顔を起こしてみると、俺達の少し前で車は止まっていた。その車から運転手が降りてくる。

「君達、大丈夫かい!?」

 その声を聞いて俺はホッと一息をついた。

「……助かったー」

 すると、俺の下にいた栞先輩も体を起こした。思いっきり倒れた際にあちこちを少しすりむいてしまっているが、無事には変わりなかった。

「栞先輩! あんたは一体―――」

 文句の一つでも言ってやらないと気が済まないと、俺は栞先輩へと少し怒った口調で話しかけた。だが、それは栞先輩の質問で掻き消される。


「トラックに乗ってた人達は!?」


 栞先輩は心配そうにトラックの方を見る。トラックは電柱に思いっきりぶつかっており、運転席の辺りが大破しているのが後ろからでも見て取れた。

「……分かんねえ。たぶん―――」


 その時だった。栞先輩の言葉が引っかかったのだ。栞先輩はトラックに乗ってたのは「人達」と複数である言っている。確かに一人は運転手、でももう一人は……この世に生きてはいない―――。

 俺は驚愕の事実に目を見開いた。


「栞先輩、もしかしてあんたも霊が見えるのか?」


 俺のその言葉に栞先輩もまた目を見開く。


「『も』ってもしかして……彼方君も?」


 驚き合う俺達をよそに交差点には警察やら救急車やらが集まってきていた。

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