β07 空手部の門戸☆負けないよ・後
5
美舞は改めて構えた。
先程からの構えとは違う、心持ち後ろに重心を置いた構えだ。
加藤はそれに対して正面を向いて右拳を引いている。
「じゃあ、行くよ」
美舞が、左上段回し蹴りを加藤の右顔面に向けて繰り出す。
仕掛けられた加藤は、顔面からはかろうじてブロックしたが、弾かれて左後方につんのめた。
「はっ」
勢いをつけ、すぐさま体勢を立て直した。
だが、美舞が続けて繰り出した跳び右後ろ回し蹴りが来ていた。
今度は、まともに顔面に食らってしまう。
スパーン。
美舞は、体勢を崩した加藤の左顔面に、右正拳を打ち込んだ。
拳は、加藤の頬を歪め、口の中に傷を負わせる。
勢いで、右後方へ仰向けに倒した。
加藤は口の中に鉄臭い血の味を感じたが、益々、闘争本能を
「ふふっ」
加藤は、不敵に笑い、勢いよく立ち上がると左拳を引いて構えた。
先程までの防御を目的とした構えではなく、空手の本懐とする“一撃必殺”を目指した構えだ。
美舞は、一瞬、背筋に冷たいものが伝うのを感じたが、それも一種の高揚感だと知っている。
「僕は負けないよ」
左肩を加藤の方に向け、重心を右足に置き、左手は地面に垂直に、右手は脇に添えて構えた。
加藤は、次の一撃に全神経を傾けている。
美舞にも躱せぬ攻撃をすると教える様な構えをして来た。
勿論、受けて立つ。
どちらも次の瞬間に決着を狙っていた。
「ふはは、君に降参させたい」
「僕は負け知らずなんだ」
二人の緊張は傍からも感じられる程で、どちらも気が満ちて来ている。
どちらかの気が揺らいだ時動く筈だった。
ツー。
数十秒後、美舞の頬を伝っていた汗が地面に落ちる。
次の瞬間、加藤が吠えた。
6
「ううおお……」
加藤の左正拳が、か弱い乙女の顔面めがけて唸る。
まるで大砲の砲丸の様な一撃だ。
「おい、加藤!」
可愛い顔が打ち砕かれるかと、見ている者の気持ちがざわついた。
しかし、小柄な女性の手痛い報復で応酬される。
美舞は、左腕で加藤の正拳を受け流すと、同時に右上段回し蹴りを放った。
「ガーッ」
加藤の左側頭部をカウンター気味に蹴り抜いた。
反動で右へ吹き飛ばされて、うつ伏せに倒れる。
暫く目を覚まさなかった。
「あ、加藤さん、目が覚めたね。大丈夫?」
先程までのバトル相手は、ゆっくり起き上がる加藤に、心配の目を向けている。
男の方は、左後頭部の辺りを左手で擦って、側にいる美舞の顔を見つめた。
美舞は、どうやらバトル相手が無事なのを確認して、胸を撫で下ろす。
「さあ、どうぞ」
右手を差し出して、加藤を起こしたいと意思を伝える。
加藤は、黙って右手を握り、引く力に任せて起き上がった。
「ふう」
そして美舞を改めて見つめ直し、ゆっくりと話し出す。
「参ったよ。君がこんなに強いなんて。今まで、女には負ける筈はないと思っていたが、世界は広いな。ましてや、男勝りの大女でもなく、こんなに可愛い小さな女になんてさ」
「加藤さんは、今まで闘った人の中では、強い方だよ。僕の両親は元々凄く強いし、父の友人にしても同業者だからとてつもなく強かったもの。比べてみてもかなりの強さだから、自信持っていいよ」
7
「へえ、君のご両親は何をなさっているんだい」
加藤は、柔道等の格闘家かと思っていた。
「今は、ただのおじさんとおばさんだよ。けれども、昔、戦争に参加していたって」
けろっと美舞は言った。
「戦争だって? まさか、第二次世界大戦じゃあ」
加藤には、びっくりな話だ。
「違うよ。僕の両親は、まだ三十六と四十六歳だもの。何の戦争かは分からないけど。確か――。傭兵とか言っていたなあ」
「そうか、その中でも強い方なのか」
驚いた後で、美舞の武道のセンスに感心した。
「うん。お世辞じゃなく、本当に強いよ」
美舞は真剣な顔をし、自分の片手で、男の両拳を握った。
加藤は可愛らしさに微笑みを浮かべ、照れ臭くって美舞も微笑みを返す。
そして、二人は改めて握手を交わし、お互いの健闘を讃えた。
他の空手部員も二人の闘いぶりに闘う事の面白さを再確認し、拍手を巻き起こす。
「松井さん」
加藤は松井に向かい、一言伝える。
松井の方も加藤が言わんとしている事を了承し、美舞と向かい合った。
「参ったよ。君の入部を認めよう。うちでもついて行けるレベルだ。それに、女子部じゃ物足りなく感じるだろうから、うちでやる事を薦めよう」
「わあ! やったあ! ありがとう。松井さん、加藤さん」
美舞は十五歳の少女に戻り、思いっきりはしゃいだ。
先程までの険しさは全く感じられない。
それどころか一目見ただけでは、この少女が大男と対等に闘えるとは分からないだろう。
8
「しかし、この強さは桁外れとしか言いようがないな」
松井が顎に手を当てて言った。
「ええ」
加藤は、歓喜の声に、声を上ずらせる。
「日本の女子空手界では敵なしだろうな。それでも、女子部に行く事など考えず、ただ強い人と闘いたいという一心だけで男子部へ来た」
松井は嬉しいばかりだ。
「うちに入る事を考えたなんて、面白い奴ですね」
美舞の可愛いらしい風貌が余計に加藤のみならず皆に感じさせていた。
「ああ。しかし、あの子がうちに入ってくれたお陰で、他の部員のレベルも上がるだろうな」
流石は部長の観点だ。
「楽しみですね」
格闘家としての加藤も負けない。
「何が?」
松井はひょいと思った。
「あの子がどこまで強くなるかです」
闘ったからこそ盛り上がって加藤が答えた。
「そうだな。それを俺たちが見守るか」
松井は部長として、こうなったら空手の本懐を学んで欲しい等、色々と夢を巡らせていた。
「ええ」
加藤は大きく頷いた。
美舞がはしゃぐ姿を見ながら、松井と加藤は真剣かつ楽しげな表情で話し込んでいた。
二人は、これからの美舞が乗り越えなければならない試練の数々を知らない。
だが、彼女の運命の出会いを助ける判断になるだろう。
9
「ひなちゃん、来てくれていたの」
又、トイレで着替えていると、日菜子がノックして来た。
「うん、さっきだよ」
「ちょっと待ってねー。はい、お待ち! 帰りましょう」
美舞は、ブレザーを着て出てきた。
てくてくと歩いて徳川学園前駅に向かう。
「さっき、男子空手部の部長さんに、栄誉マネージャーの許可を貰ったよ」
「ええ! 本当に。嬉しいな」
学生鞄の重さは、まだ感じていない。
部活に楽しみを覚えていた。
「うん、私は、俗称ハイジ部を申請して部長になりました! 普段は、お菓子を焼いたり、裁縫をしたりする家政部ですよ。その中でも一番は、畜産部と共同で、羊毛から染色までして、デザインセーターを作りたいなって」
一番に、美舞に話したかった様だ。
「うわっ! 凄いな、ひなちゃん。それで、男子空手部栄誉マネージャーなの?」
「そうよ、兼任よ」
ふくくと笑い転げていた。
二人とも楽しそうだ。
「がんばってくだしゃんせ」
美舞は、友達ががんばっているのをとても嬉しく思う。
直ぐに、駅に着いた。
「美舞、明日、新入生歓迎大会だね」
「うん、楽しみだよ」
にこにこしている二人。
ちまちまと手を振る。
「またねー」
「またねー」
声が揃う可愛い新入生は、お互いに反対方向に別れて電車に乗る。
その晩、わくわくし過ぎて、美舞は珍しく遅くまで起きていた。
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