β06 空手部の門戸☆負けないよ・前

   1


 入学して間もなく、美舞は空手部の門を叩くべく、日菜子と向かった。


「ひなちゃん、ちょっとトイレで道着に着替えて来るね」


 しっかり持って来ている。

 やる気満々だ。


「うん、行ってらー。私は先ず家政部に用事があるのね。後で空手部にお邪魔しますよ」


 迎えに来るのか程度に美舞は思った。

 後に、日菜子の友情とやる気を感じる事になる。


「うん、悪いね」


 美舞は、パタパタと個室へ行った。


   2


 徳川学園空手部は、男子も女子もかなりのレベルで、高校総体で全国制覇する事数度にも及ぶ。

 卒業生には、オリンピックに出たり、プロレスラーになったり、有名になる者も数多い様だ。

 男子空手部には、百八十センチの大男等珍しくなかった。


「おおー、皆さん立派な体格ですね」


 美舞は、愉快になった。


「僕は、百三十五センチ、三十五キロですよ。スリーサイズは内緒ね。小人みたいに見えますか?」


 その美舞が道場に入って行った時、空手部員の顔は見物だった。


「すいません。一年D組、三浦美舞! 入部希望します」


 胸に手を当てて、お辞儀をする。


「僕は、この男子空手部に青春を感じます」


 美舞の場違いな可愛い声は、今まで騒がしかった道場を静寂の場に変えてしまった。

 見た目の問題もあるだろう。

 背丈がかなり低く、非力そうな女の子だ。

 道場の入り口で、驚くべき言葉を発したのだから、無理もない。


「あの、どうかしましたか」


 美舞はきょとんとして、近くにいた一人の男に訊いた。

 男は、美舞の言葉で正気を取り戻したのか、唐突に笑い出す。


「はっはっは、はっはっは」


 大笑いの声を皮切りに、道場中が笑い声に包まれる。

 美舞は、不思議そうに見ながら、暫く聞いていた。

 けれども、収まる気配がないので、男に尋ねるしかない。


「何が、おかしいんですか」


 男は笑い疲れたのか、暫く呼吸が整わなかったが、肩で息をしながら美舞に話し掛けた。


「君が? はっはっはっ。うちに、ふっはっはっ。入部するのかい」


「はい」


 美舞は元気がいい。

 僕は間違っていないと思っていた。


「でも、ここは男子空手部だよ」


 苦笑いされたのにピクンとしたが、恐らく美舞の見た目の事だろうと、我慢した。

 それよりも用件を伝えよう。


「ええ、知ってます。ダメですか」


 男は、美舞の真剣な眼差しと真摯な物言いに、思わず真面目な顔になった。


「いや、ダメではないさ。徳川学園は老若男女問わずがモットーだからね。それはうちにも当てはまる事だから」


「それなら――」


 破顔一笑で快諾だと思ったが、条件があるようだ。


「だが、見ての通り、男子部には体格が違い過ぎる者しかいない。君の身の為にも女子部に行った方が良いと思うのだが」


   3


「いいえ、是非ここで取り組みたいのです」


 男は少し考えた後、提案した。


「それならこうしよう。部員の一人と組み手をしてみてから考えよう」


「分かりました。お相手は何方ですか」


 美舞がそう言うと男は一人の男に手招きをした。

 その男は、部員の中でもかなり大きな方だ。


「いいんですか、松井まついさん」


「ああ、真面目にやってやれ、加藤かとう。身の程を知れば諦めるだろう」


 松井と加藤が、美舞を追い払おうとしているのは、流石に分かった。

 加藤の方は少し心配をしているが、それでも松井の言い分を認めたのか、美舞の前に立ち礼をした。


「君に恨みはない。大怪我する前に、一度、自分の立場を知っておいた方が良い」


「その言葉、忘れないでよ。加藤さん」


 美舞はそう言うと、静かに礼をして構えた。

 その構えは、右半身を前に出し、少し腰を下げ、右手は口の辺りに、左手は胸の辺りに置くものだ。

 両手には指無しの黒い革手袋があり、謎めいている。

 一方、加藤の方は、足を肩幅に広げ、心持ち左半身が出ていた。

 更に両手は顎の前に軽く握って置いている。

 美舞はスピードを生かした攻撃型の、加藤は守りの型だ。

 守り一辺倒ではなく、加藤はその巨体で美舞を威圧し、無言の攻めをしていた。

 少しずつだが、美舞は退がって行った。

 対峙してから一分程して、突然、美舞は動く。


   4


「やあっ」


 掛け声と共に美舞は加藤の左脇腹に右フックを打ち込んだ。

 鈍い音と共に加藤の脇腹はへこんだが、加藤は何食わぬ顔で立っている。


「その体の割りには効くパンチを持ってるな。ふふふ。君程度が、俺を倒す事は出来ないぞ」


 加藤は鼻息を荒くして、右正拳を繰り出した。

 美舞は躱し、左正拳を繰り出す。

 加藤はそれを右肘でブロックした。

 美舞はすぐさま左中段回し蹴りを繰り出し、加藤がそれを躱すと、蹴り足を降ろし、それを軸足にして右上段後ろ回し蹴りを繰り出す。


「ぐう」


 蹴りは加藤にヒットした。

 しかし、普通は顔面に当たる筈のものが、この二人だと脇辺りになる。

 加藤は一瞬顔を歪めたが、直ぐに真剣な顔をし、再び構えた。


「加藤さん、強いね」


「ああ、まあな。これでも全国でも十指に入るぞ」


「燃える相手で嬉しいね。そろそろ、本気出すよ」


 美舞は、いきなり加藤の懐に入り込み、右正拳を腹部に打ち込んだ。

 続けて、右下段蹴りを打ち込み、蹴り足を軸にして、左上段跳び後ろ回し蹴りを打ち込む。

 全ての技が、加藤の腹部や左足と顔面にヒットした。

 次の瞬間、加藤は右膝をつく事になる。


「ぐ、う……」


 加藤は唸りながらも立ち上がり、構え直すと呼吸を整える。

 徐に左正拳を繰り出し、続けざまに右正拳を繰り出した。

 勿論、美舞は拳をブロックする。

 加藤の大きな力で、右中段回し蹴りを繰り出し、美舞のブロックごとふっ飛ばした。

 美舞はうまく着地する。

 だが、加藤の攻撃が効いたのか、暫くその場に留まっていた。

 幾らブロックしようとも、体重が三倍近くもある男の攻撃を三度も受けたのだから、ただ事では済まない。


「はは……」


 美舞はそう言って、笑い出した。

 微かに俯いた顔を上げる。


「ん? 頭でも打ったのか」


「ううん。嬉しくって」


 見ている者は、ヒヤッとする。

 可愛い少女が、桜の様な満面の笑顔を咲かせたのにだ。


「嬉しい?」


 加藤は不思議に思って訊いた。


「うん、今まで両親以外の人と闘った事が無くって。他の人と闘えるのが嬉しいんだ。それも加藤さんの様な強い人とだよ。だから、ここは勝たなきゃね」

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