β36 運命の娘★両手に痣が仇に
1
「カルキが敵に回ったと考えていい」
玲は、真剣に今後について、コーヒーを飲みながら考えていた。
「相手は姿を隠してしまった」
手詰まりに近いと顎を擦り、自らの頬を二度叩く。
「この事は、ウルフお義父さんやマリアお義母さんに、まだ、話すべきではないな」
心配させてはいけないと思った。
――ぱーぱ、かんがえごとですか?
「お、沐浴、さっぱりしたかな? むくちゃん、びっくりしたよ。もう、首がすわりかけているよ」
にこやかな玲は育児も安定している。
「スーパーベイビー、むくちゃーん!」
ノリノリで踊る様に言った。
少し玲にも疲れが出たのか。
――むくちゃんは、はやくせいちょうしそうです。
「どうなっているのかね? 本当にスーパーベイビーだね。親のせい?」
ちょっと照れ笑いをした。
――むくちゃんにも分からないです。おなかにいたときから、はやく、まーまやぱーぱと、おはなししたかったのをおもいだしてきました。
「そうなんだ。そう言う気持ちが、そんな頃からあったなんて、むくちゃんは、優しい子だね。パパも会いたかったよ」
にこにこしている。
カルキの事は辛いが、我が子とこうしている事は悪くなかった。
――むくちゃんは、はずかしいです。
「じゃあ、ねんねの時間だよ。暗くするからね。ミルクの時間にはあげますからね。体は、ちょっと成長しただけの赤ちゃんなのだから、無理はしない様に……」
カチッ。
カチッ。
常夜灯にした。
夜中のお世話に真っ暗でも困るからだ。
2
玲は、ベビーベッドの横に布団を敷き、独りを寂しがるなと潜った。
隣には、いるべき美舞がいない。
暗がりの中でそっと目を瞑ると、美舞の可愛らしい姿が浮かんで来た。
「ああ……。帝王切開の直前の美舞。可愛く笑っていたっけな」
ひよこ色の病衣が眩しくて記憶に新しい。
「これは、団地に入って暫く後のものだ。桜をあしらったエプロンを覚えているよ」
ハイジ部の日菜子からの結婚祝いの一つだ。
美舞は気に入ったらしく、よく着ていた。
「そうだ、かなり辛いカレーライスを美舞が作った事があったな。当たりの人参がハートだから、見つけてって言われたけど、全部ハートにくりぬいてあったっけ」
堪えきれずに、ぷっと吹いた。
「徳川学園を卒業する時のだ。凛としていると思ったけど、友達皆と別れがたい感じだったな」
制服からの卒業は、通らなければならない事だ。
ふわりと吹いた風の中に髪をなびかせて、卒業証書を抱いていた。
一つ上の素敵な美舞に、惚れたなどは安い言葉でしかない。
「結婚式の時も思い出したよ。何も言う事がないな」
最高に幸せで、胸が痛くなる程だった。
その気持ちのまま、眠りについた……。
3
何回か、おむつとミルクの時間があった。
「おじいちゃんとおばあちゃんのお家に行こうな」
少々寝不足のまま、車でウルフとマリアの家に向かった。
シャラン。
シャラン。
「おはようございます!」
玲は、明るく挨拶をする。
横抱きにして、むくちゃんも連れていた。
「おー! 玲パパにむくちゃんも。おはよう」
ウルフの歓迎ぶりは、凄い。
「アルバイトかい?」
「お仕事中々来れなくてすみません。その前にお話が……」
昨夜、考え方を変えて、玲から切り出す覚悟で来た。
「おー、マリア! 玲パパとむくちゃんが来てくれたぞ。儂が仕度するから、皆、リビングで待っていてくれ」
キッチンに、ウルフが行った。
「お邪魔致します」
「美舞は……? どうした」
ガシャーン。
カランカラン。
ウルフは手元を狂わせた。
「大丈夫? ウルフ……」
マリアもウルフ程ではないが、ひやりとした。
「あ、ああ。……大丈夫」
ウルフは、三人分のコーヒーを出した。
「ありがとうございます」
玲が軽く頭を下げた。
「話とはなんだね? 言い難い事でも、何でも言ってくれ。娘の美舞の事なら、我々は、無責任ではいられないのだ」
ウルフはソファーに前屈みに座って、玲と彼の抱くむくちゃんに熱い視線を送る。
玲は、コーヒーの中でミルクが回るのをぼうっと見ていた。
暫くして、一度唾を飲んだ後、心の扉を開ける。
「単刀直入に言います。美舞が、カルキの様なのです」
「……!」
「……!」
ウルフとマリアは、思わず顔を見合わせた。
「な……。何だって……?」
背筋を正したウルフ。
「何故? 何が起きたの?」
頬に両手を当てたマリア。
「これから、話します」
玲は、真剣な目をしていた。
そして、コーヒーを一気に飲み干した。
4
「……と言う訳です」
むくちゃんのお話上手については伏せたが、美舞の分かっている事を話した。
「……そうか、分かった。心掛けて置くよ。何でも困った事があったら、相談に来てくれ。我々にも覚悟はある。抱え込むなよ」
冷めたコーヒーの前で、ウルフが頷く。
「ええ……。もう他人ではないでしょう」
マリアも目頭を熱くしながら、やっと言った。
「すみません。俺がいながら……」
下を向き、悔しさを隠せない。
「美舞は、運命の子なんだよ。運命の娘」
ウルフの思い切った発言に、玲は、はっとした。
「美舞は、両手に五芒星と六芒星の相反する痣がありましたから、バランスが難かしかったのでしょうか……?」
「私が、私のこの左手の力で傭兵なんてしていたから、バチが当たったのだわ! 美舞は……。かっ可哀想に……」
神も仏もないマリアが、自分をなじる。
「マリア……。皆、ついているから。美舞の事は、見つかれば、元の可愛い美舞に戻るよ」
ウルフに、玲も言葉を寄せた。
「そうですよ……!」
「そうね。……そうね」
マリアの光る涙も納得した。
「では、良い知らせを持って来られるように、がんばります」
「ほぎゃあ」
先程、おむつとミルクを玲がやって、むくちゃんはぷくぷくになっていた。
「抱いてもいい?」
腕を差し伸べるのは、むくちゃんのお祖母さんだ。
「当たり前ですよ。どうぞ、マリアお義母さん」
玲は、優しく声を掛けた。
「可愛いわねえ」
しみじみとして孫のむくちゃんをあやす。
「良かったですよ。明るいマリアお義母さんが、一番ですよ」
玲は、ほっとした。
「美舞そっくりね……」
母として、自分の子育てを振り返る。
「がんばって産んでくれましたから。素敵なママですよ……」
良いお母さんのマリアを見たと、玲は、胸がズキンと来た。
「もう、泣かないよ。マリア。むくちゃんに笑われるだろう?」
ウルフは、宥める。
「はは。むくちゃんは、大丈夫ですよ」
やっと明るくなって良かったと、玲は、軽く笑った。
「では、又。失礼致します」
挨拶をして、出て行った。
シャラン。
シャラン。
車で少しだけ急ぎ、団地に帰った。
もう昼の陽射しが二人の影を落とした。
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