第2話 奴隷の少女

 ぺちぺち。

 人生初? なのかどうかわからないが、俺は女の子の頬を軽く叩いた。

「むにゃ…あと5分」

 そんな常套句を吐いて、少女はごろりと寝返りをうった。

「……帰るか」

 事件性はナシ。今ならテレビで見る刑事の気持ちがわかる気がする。

 俺はそっと立ち上がった。そのとき。

「はいごめんなさいムツキ様あっ!」

 叫びながら、少女は上体を勢いよく起こした。ちょっと俺の心臓がびくっとした。ぐるんと首が回り、立ち上がったばかりの俺と目が合う。すぐに少女はしまった! とでも言いたげに口に手をやる。

 急いで立ち上がると、びしっ! という効果音がつきそうな綺麗な敬礼をした。

「はじめまして! 私はハナブサムツキ様の奴隷、アルスという者です! あなたが野々上春哉様ですね?」

 圧倒されながら、俺は答えた。

「そうだけど…」

 俺は目の前の少女、アルスを失礼だと思ったがじろじろと上からまで見た。

 綺麗な女の子だ。大体俺とおんなじ年齢っぽいから、おそらく17歳前後。ふんわりとした桃色の髪、円らな黄金の瞳。薄い唇は、不可思議な笑みを湛えている。恰好は白いワイシャツに、黒いレーススカート。冬の夜なのに、寒くないのだろうか。足もとは何も履いていない。やっぱり寒そうだ。

 再び俺は彼女の首元を見た。やはり鎖の生えた首輪をしている。

 それも、散歩中の犬がしている首輪ではなく、もっと硬そうで重そうな、鉄でできた首輪だ。

 そういえば奴隷とか言ってたな。

「えっと…ハナブサムツキの奴隷っていうのは?」

 おそるおそる聞くと、それを待ってましたと言わんばかりに、アルスは目を輝かせた。両手をばっと広げて、頬を紅潮させる。

「失礼しましたっ! ムツキ様は私を救ってくださった方です! それはもう偉大なっ!」

 そのままくるくると回り始める。ジェスチャーが大きい。

「救っていただいた時、私は思いました! この方の為に働き、命を散らそうと!!」

 重いなあ。

 少しそう思ってしまったが、声には出さないでおく。

「それで、なんで俺の名前を知っていたんだ?」

「それは、あなたの失われた記憶に関係があります」

「なるほど、ということは、そのムツキとかいうゲス野郎は俺のことを知ってて、俺もそいつを知ってるってことか。どういう関係か知らんけど」

「ゲス野郎は否定させていただくとして。ええ、それで合っています」

 俺はかすかな希望と恐れを抱いていた。

 高校入学から2年間の記憶が、俺にはない。正確には、何かがすっぽりと抜けている気がしていた。その空白は、時々俺を苛んだ。

 周りには言っていない。周りはそんな違和感を持て余している感じがしない。俺だけだった。だが。

 今、目の前の少女は、俺の記憶のことをはっきりと口にした。

 俺は両の拳をきつく握りしめた。

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