第3話 野々上アルスの誕生

 この地球上には存在しないであろう言葉を、アルスは唱えていた。

 細いきれいな人差し指を俺の額に当てて、一心に何かを唱えている。

 唱え終わって、アルスはゆっくりと目を開き、そっと俺の額から指を放した。

「どうですか? 睦月様のこと、思い出していただけましたか?」

「いや、全然」

 そう答えたとき、ただでさえ冷たい空気が、もっと冷たくなった気がした。

 アルスはぴしっと固まった。

「え、おかしいな、なんで……」

 あれも違うこれも違う、と顎に手を当てて考えている。

「ガチで思い出せないんですか」

 あ、口調が崩れてきたな。俺は冷静にそう思った。

「ガチだ」

「うっ……」

 アルスがしゃくりあげる。涙が目に浮かんできた。

「そんなぁっ、春哉様が思い出してくれないと、私っ、帰れない……」

 すごい罪悪感が俺を襲った。でも、「思い出した」とは言えなかった。そう言ってしまえば、俺は面倒くさいことに巻き込まれるし、アルスもろくでもない主人のもとに帰らなければならなくなる。いや、本人は帰ることを望んでいるが、帰らせてはいけない。あいつは、あの人は本当にろくでもない。

「泣くな泣くな、本当にすまん」

「うええっ」

 どうしよう。これはこれで俺が悪者だ。

「帰れないのもそうですけど、そうすると私は行く所がないんですぅ…」

 それは死活問題だ。俺は腕組みしてちょっと考えた。

 あの人のもとにアルスを返すのか、アルスが路頭に迷うか。二つに一つ。

「じゃあないな」

 俺は覚悟を決めた。嘘をついている以上、それのフォローをしなければならない。

「アルス、お前が嫌じゃなければだが」

「ぅえ?」

 アルスが泣きはらした顔で見上げてくる。

「俺の、妹にならないか?」

 

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