第一幕 されど、姫君は剣をかざす⑥
その日の呼び出しも、警邏の最中だった。
今回は母が不在ではないので、巡回中に少女たちから受け取った菓子や花束を私室に置いてから、急ぐことなく謁見室に向かう。
中にいたのは星女王たる母だけだ。いつも背後に控えている宰相の姿はない。
「陛下、ただいま参上しました」
「わらわの愛い子や、本日皇太子が参る。出迎えてやるとよかろうぞ」
「…………は?」
リュカリスが目を白黒させていると、母は嫣然と笑う。
「意外と早く手続きがすんだのじゃ。カリオスの毛根は犠牲にしたがな」
「あの、皇太子ってヴィッセン帝国の……?」
「無論。滞在期間は二ヶ月じゃったか、はてさて……あとでカリオスに訊くとよいえ」
安定の宰相に丸投げだが、戸惑ってばかりもいられない。
(今日で打診から二週間目だから、相手が帝国人ということを鑑みると最速じゃ?)
両国の本気を垣間見た気がする。リュカリスは姿勢を正し、左胸に拳を添えた。
「御意! 案内は、このリュカリスにお任せください!」
「うむうむ、やる気満々で実によい。やはりわらわの愛娘はバカわいいのう」
「そういえば、聞き忘れていましたが……皇太子のお名前は?」
郷に入っては郷に従え。輿入れしてから迷惑をかけないために、この二週間、リュカリスが調べていたことといえばヴィッセン帝国の風習と戦術ばかりだった。
キーリたちの情報にも名前がなかったことを今思い出したわけだが、この場に宰相がいれば「じゅ、順序が違いませんか……」と胃を押さえたかもしれない。
「名? む、確か……アルトゥール・フォン・ヴィッセンじゃったかえ」
「アルトゥール……」
リュカリスは?みしめるように反芻する。
(アルトゥール……きれいな響きの名前だ)
『天の宝石』を冠したアルビレオ星王国の王女として、いかな脳筋族でも星には詳しい。
皇太子の名前を聞いた瞬間、リュカリスの脳裏でまたたいた星がある。
春、南の空で琥珀色に優しく光る『熊の番人』という星だ。まったく同じ響きというわけではないが、名は体を表すと聞く。あの星みたいな相手だろうか。
想像は膨らむが、とにもかくにも実物を見た方が早い。
準備をするために辞そうとした矢先、笑顔の母が話を続けた。
「とはいえ、こたびの婚約はまだ公式発表していない」
「へ?」
「なにぶん急な話だったゆえ、諸外国に根回しがすんでおらぬのじゃ」
「根回し……?」
「わらわはいらぬと申したが、カリオスが珍しく強固に言い張ってのう……無意味としか思えぬが、無下にもできなかろう」
ど、どういうこと? 根回しとはいったい……?
キーリや宰相がいれば、リュカリスでもわかるように説明してくれたかもしれない。
だが、ここには母しかいなかった。つまり、なにも期待できないので自分で考えるほかないのだが─さっぱりわからない!!
そんな目を回す娘を不憫に思ったのか、母が珍しく?み砕いて話してくれた。
「アルビレオの王族が、他国に嫁ぐことは前例にないからのう。なにか裏があると勘ぐられるのは、我が永世中立の理念にも差し障りがあるやもしれぬしな」
「あ、なるほど。諸外国にとっては前代未聞で不安なわけですね」
「さらに相手がヴィッセン帝国とあっては、しばらく大陸中の話題をかっさらうのは明白。どう根回ししたとて無駄と思うが、まぁカリオスの気がすむようにやらせるつもりじゃ。蝿がうるさく仕掛けてきた時に力で黙らせればいいだけというのに、ご苦労なことよ」
ああ、だから宰相が不在なのか。リュカリスは納得した。
大変だなぁと他人事のように考えていると、母が忍び笑いを漏らす。
「皇帝から、皇太子の人柄は伺った。ふふ……ちぃとばかし試す許可は得ておるしな、しばらく退屈せずにすみそうじゃ」
「陛下、あの、試すって?」
楽しそうな母に問いかけても、笑みは深まるばかりだった。そして手招きされるがまま近づいた途端、リュカリスは抱きしめられた。
「リュカリス、わらわの愛い子よ」
「陛下……?」
「無理に愛せとは申さぬ。愛さなくていい、ただよきところを見つけてやるのじゃ」
やけに実感のこもった響きに、リュカリスは母がそうやって折り合いをつけていたことを初めて知る。言葉に窮していたら、抱きしめる力が強まっていく。
「そなたは難しいことなぞ考えられぬのじゃから、その心が赴くまま振る舞うがよい。わらわは─母はそばにいてやれぬが、なにかあればすぐに言うのじゃぞ」
「母上、ありがとう。私は大丈夫だよ」
もはや最近の口癖になりつつあることを繰り返す。
誰も彼もが、リュカリスをやけに心配する。自分が頼りないからだろうか?
だが、本当にリュカリスはなにも憂えていなかった。
(私は婚約者殿を好きになれるよ)
たった一つの理由を根拠とした確信だ。
その理由が胸に明かりを灯す限り、自分はどこでだって生きていける。
男装王女の華麗なる輿入れ 朝前みちる/ビーズログ文庫 @bslog
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