第一幕 されど、姫君は剣をかざす④
王宮の書庫は広い。
ほとんど来たことがないリュカリスにとって迷宮のように感じられたが、さまよっていると親切な司書が声をかけてきた。
「リュ、リュカリス様……あのぉ、なにかお探しのものでも……?」
「ああ、そうなんだ。ヴィッセン帝国の風俗とかを学べる書物ってあるかな?」
そう答えて笑いかけると、彼女はますます赤くなっていく頰を押さえてうつむいた。
普通なら風邪を疑うところだが、なにも珍しいことではない。
リュカリスが会う王宮仕えの女性たちはいつも頰が赤いので、女性というものは血色がいいものだと解釈していた。
「ヴィッセン帝国に関する書物、ですね! こちらです!」
「迷っていたから助かったよ。案内してくれてありがとう」
そうして、とある一角まで連れてこられたリュカリスは感嘆した。
天井まで届きそうな本棚が奥まで続いている。司書がいうには、この一帯はヴィッセン帝国の書物が占めているらしい。
(皇太子が来るまでに読み終わるかな……? にしても、けっこうな蔵書だな)
一応、仮想敵国だったヴィッセン帝国を研究するのは当然ということなのか。
司書に薦められた書物をいくつか抜き取り、人目につきづらい席に腰を下ろす。
「よし! 今日は読めるところまで読んでいこう!」
本を私室に持ち帰ればいつでも読めるが、そのまま積読本になる未来が見える。
とにかく、一ページずつ静かに読み進めていく。リュカリスは何度か寝てしまいそうになったが、あるページに差しかかったところの文面をなぞった。
「……銃……?」
本によれば、ヴィッセン帝国にとって最高にして最大の発明品だという。刀剣よりも遙かに手軽に、用法さえ間違えなければ誰でも扱えるのだとか。
ただ連発はできず、火も使うため、扱いが難しいらしい。
この技術はヴィッセン帝国のみが独占しており、戦の場では切り札になっているようだ。
(銃……一族の戦闘記録で見た覚えがある気がするなぁ)
明日はそちらの記録を漁ってみるか。というか、戦い方の本を読んだ方がヴィッセン帝国を理解できたかもしれない。
今日はこれでしまいだと本を閉じた時、さえずるような声が二重に聞こえてきた。
「リリス姉様」
……気配もなく背後に立つのは血筋だろうか。
リュカリスが首をめぐらすと、仲よく手を繫いだ双子がひっそりとたたずんでいた。
二人とも黄金色の髪を顎のあたりで切り揃え、瑠璃色の双眸でぼんやりと異父姉を見つめている。神殿に仕える巫女のような恰好をしているところも、口調や表情の作り方さえ、なにからなにまで─すべて計算し尽くしたかのようにそっくりだ。
男女の双子だというのに性別を感じさせない神秘的な雰囲気といい、見分けがつかないように二人とも『ぼく』というなど徹底しているところはキーリとよく似ている。
リュカリスは大雑把な性質なので、この弟妹と会うたびに感心してしまう。
「シモンに、テオドラ。君たちも書庫に用事があったのかい?」
「リリス姉様に会いにきた」
「キーリが噓つきだから」
「そう、キーリは噓つき」
抑揚のない声で繰り返されると遁走曲のようだ。
(えー? キーリ兄上、私と別れてからの短時間で二人になに言ったのかな)
いつも無表情な二人が珍しく眉間に皺を寄せている。リュカリスは首をひねった。
「キーリ兄上は人をからかうけど噓はつかないのに、今日はどうしたんだろう」
「だってリリス姉様が結婚するって言った」
「リリス姉様はずっとここにいるのに」
「あ、やっぱり噓は言ってないよ。実際に、私は近いうちに結婚するからね」
にっこりと笑いかければ、双子は大きく目を見開いた。そして示し合わせたように互いで互いの口を手で塞ぎ、なにやらくぐもった声を上げている。
「もごごごご!」
「ふご、ふごご!」
「え? 結婚おめでとうって? ありがとう!」
我ながらかわいい弟妹に恵まれたものだ。
二人はなぜか死んだ魚の目になったが、いつものなにを考えているのかわからない目と似たようなものかと受け流す。
このように少し不思議な双子であるが、王位継承順位は暫定四位で腕っ節は強い方だ。二人で第四位なので、いささか特殊ではあるが。
「リリス姉様、本当に行ってしまうの」
「ぼくたちを置いていってしまうの」
「ちょっと隣国まで嫁ぐだけだよ。落ち着いたら里帰りもできるだろうし、その時はお土産をたくさん買ってくるからね!」
「……リリス姉様がいないと寂しい……」
双子の一人がそう呟くとリュカリスに抱きつき、腹部に頭をぐりぐりと押し当ててきた。
十五歳にしては仕草が幼いが、リュカリスは相好を崩して頭を撫でる。
「ふふ、シモンはかわいいね。キーリ兄上たちもいるし、寂しさなんて吹っ飛ぶよ」
「……ぼくは? かわいい?」
「もちろん、テオドラもかわいいよ。二人とも、私の自慢の弟妹だからね」
即座に肯定すれば、テオドラの無表情がわずかに喜色を浮かべる。
リュカリスは目の形で二人を判別しているのだが、今回も正解だったらしい。
「……リリス姉様はいつもぼくたちを間違えないね」
「やっぱり、リリス姉様、嫁がないでほしい……」
「行かないで」
潤んだ目で見上げてくる双子に、リュカリスは場違いにもほっこりする。ただ……
(こうして慕ってくれるのは、私が無能力者だからなんだろうけど)
王位継承の選定方法のせいで、兄弟仲はさほどよくない。好敵手という意識が強いのだ。
その中で、王位争いに加われないリュカリスは唯一の安全パイだった。一番目の兄のように『脆弱な妹』と遠ざけられることもあるが、どの兄弟とも友好的な方である。
どんな理由であれ、仲よくできるのは喜ばしい。
その気持ちに噓はないのに、なんとなく胸の内に靄が立ちこめていく。これもいつものことで、感情の根源はいまだ摑めないままだ。
考えたって仕方ないと、リュカリスは胸元を握りしめてから微笑む。
「輿入れはまだ先だろうし、私がいないことにだって王位を争っているうちに慣れて気にならなくなるさ」
「……気になる」
「……皇太子、来る?」
「いつかはわからないけど、母上いわく近いうちにここに滞在する予定らしいね。シモンもテオドラも、皇太子が困っていたら助けてあげてよ」
「「いやだ」」
最後は異口同音で即答されたが、リュカリスは笑顔で親指を立てた。
(そうは言っても、直面したら優しくしてあげるって私はわかっているからね!)
なんだか不気味そうな目で見返されるも、書庫での用事はすんだのでさっさと席を立つ。
書物を元の場所に戻していると、双子がそっと寄り添ってきた。
「……姉様、大丈夫」
「不本意だけど、キーリたちとなんとかする」
「皇太子たちをもてなす算段のこと? 私もなにかすべきかな?」
「姉様は動かないで」
「むしろ寝ててほしい」
……寝ていたらダメではないか?
リュカリスは若干の疑問を抱いたが、腰にへばりつく双子もそのままに書庫をあとにしたのだった。
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