カタオモイ

@hanamaru52

カタオモイ

 ねぇ、少し昔話でもしようか。



 僕はまだ学生で、夜、シャッターの閉まった駅前の商店街の一角でギターを弾いて歌っていたんだ。

 人通りも少ないその道で、週末になると一人で歌っていた僕の、初めてのお客さんは君だったね。

 足を止めて目を瞑って、耳を傾けてくれた。毎週末、同じ時間に君は来てくれて僕の歌を聴いてくれた。

 二人だけの時間。

 そのうち君は僕の歌を覚えてくれて、一緒に口ずさんでくれた。

 僕が君にカタオモイした瞬間だったよ。


 何度か週末を重ね、僕は思い切って君に名前を聞いたんだったよね。

 君はハニカミながら透き通った声で答えてくれた。


 季節が一つ二つ過ぎて行った頃、僕は君に尋ねたんだ。

「音楽を辞めようかと思っているんだけど、相談に乗ってもらえるかな」

 君は真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれて心から相談に乗ってくれた。

 あの時の言葉と表情は今も忘れない。

 今の僕がいるのは、あの時の君がいてくれたおかげだから。


 それから君とは何度もシャッターの前以外で会う事が多くなったね。

 他愛もない話もしたし、真剣な話もしたし、一つ一つが僕の大切な思い出だよ。

 僕はずっと忘れない。


 また季節が何度か巡って、僕はいつもより強引に君を食事に誘ったんだ。訝しげな顔もせず快く引き受けてくれた君に、前々から心に決めていた気持ちを伝えるために、少し背伸びをしてお洒落なお店を予約していたんだよ。

 フルコースを頼んでいたのに、緊張してメインディッシュの味すらまともに覚えちゃいないけど、あの甘酸っぱいデザートは美味しかったね。

 チェリーだかクランベリーだかのパイ。添えてあったバニラアイスも絶品だったね。

 デザートを美味しそうに頬張る君を見て、僕は震える声と震える手をなんとか制して想いを伝えたんだった。

 君は涙を流して喜んでくれて、僕は幸せな気持ちでいっぱいになったよ。

 まるで愛が溢れていくようだと感じたんだ。


 +++++++++++++++


 私は週末になると、ある女性に会いに行く。

 彼女はいつも同じ場所にいて、外の景色を眺めている。

「こんにちは。今日も伺いましたよ」

 その言葉に反応して彼女はこちらに顔を向け笑顔を返してくれる。

「あら、いつもありがとうございます」

 私は中学で教師をしている。あと数年もすれば定年だ。

「お加減はいかがですか?」

「今日はお陰様で調子がいいんです」

 毎週末のお決まりの会話。それは良かったと、私は彼女の横に腰をかけ、そして他愛もない話をする。

「あの人は、ご迷惑をおかけしていませんか?」

 あの人とは彼女の婚約者のことである。

「勿論。頑張ってくれていますよ」

 ああ、良かったと彼女はいつもハニカム。


 その時、背の高い眼鏡をかけた白衣の男性に声を掛けられた。

「少しお時間よろしいですか?」

 私は彼女に断って席を外した。

「お話中に申し訳ありません」

 いいえ、と相槌を打った私の後に彼は言葉を続けた。

「病状の事なのですが…だいぶ進行しています。記憶もここ最近急激に後退してきているようで、私や看護師の事も認識出来る日が減りつつあります。今、薬で抑えている状態ですが、このまま進行が止まらないとほとんどの記憶がなくなってしまう場合も想定されます」

 彼は彼女の主治医だ。

 彼女はアルツハイマー型認知症を発症し、入院をしている。

「そうですか、分かりました」

 その言葉だけを主治医に伝え、病室に戻ろうとしたが、一言だけ聞きたいことが出来た。

「あの、無理なご相談かも知れませんが…」


 病室に戻ると彼女は心配そうな顔をしていた。

「先生?どうなさったんですか?」

 私は笑顔で他愛もない話でしたよと答えた。

 少しホッとしたような顔を見せた彼女は左手の薬指にはめてある指輪を大切そうに触りながら私に話を始めた。

「あの人ね、学生だった頃、ギターを弾いて歌っていたんです。寂れた駅前の商店街で、毎週末一人で。帰り道だったので、何度か前を通っているうちに、その綺麗な歌声と音色に毎回耳を傾けるようになっていて」

 そうでしたかと、相槌を打つ。

「そのうち、もっと聞きたいなと思って足を止めるようになって、毎週末あの人の歌とギターを聴くのが楽しみでした」

 そして彼女は続ける。

「でも、進路を決めないといけないと思った時にプロにはなれないし才能もない、迷ってると相談されたんです。その時があの人ときちんと話をした初めての日でした」

 彼女は時折遠くの空を目を細めて見つめながら話す。

「聞いたらあの人は大学生で、音楽を専攻していたそうなんですよ。その時に私より若いって知ってちょっとショックだった」

 彼女はケラケラ笑う。

「だったら、その専門性を活かしたらいいじゃないと伝えたんです。誰もが入れる訳ではない狭き門をくぐったのだから、諦めてしまうのは勿体無いと。音楽に携われる仕事は沢山あると」

「だから彼は中学の音楽教師になったのですね」

 ええ、そうかもしれませんと彼女はまたハニカム。

 音楽教師になる為には通常の教師よりとても難しい。

 もし、免許を取れたとしても、常勤職員として学校に勤められるのは幸運だと思っていいと私は思っている。

「でも、彼は頑張ってその道を開いた。それはあなたとあなたの言葉があったからですよ」

「そんな事ないですよ。その道を選んだのはあの人です。後世に音楽の楽しさや喜びを伝えられる仕事なんて素敵だと、感激したんです。私はただ、一般的なアドバイスをしただけ」

 でもね……彼女は続けた。

「あの時、私はあの人の真剣な眼差しに既にカタオモイしてたんだなって」

 少女のように頬を赤らめて話す彼女を愛おしく感じた。

「だから、就職が決まって、お祝いしなきゃって思ってたところにあの人から食事の誘いをもらった時には、正直先を越されたー!って思ったんです。私が誘うはずだったのにと。しかも、いつも行く安いお店じゃなくて、小洒落たお店のフルコースを予約していてくれてて、ビックリしたんですけど、どれも美味しくて、特に最後に出てきたデザートの木苺のパイは本当に美味しかったんです。甘い物が得意ではないあの人も、美味しい美味しいって食べてて。とても幸せでした」

 そして、また指輪を愛おしく眺めて話す。

「その時あの人、この指輪をくれたんです。震える声で、今は内定もらったばかりだから直ぐにとは言えないけれど、3年経ったら結婚してほしいと。私、涙が止まらなかったんですよ。嬉し過ぎて」

 もう、キズだらけの薬指の指輪。彼女にはキラキラ光っているように見えるらしい。

 それは、何十年も前に、震える声と震える手を制して私が彼女に贈った指輪だ。

 あのパイは木苺だったのか。

「約束の3年まで後1年。あの人が頑張ってくれているんだから、私もこんなところで寝てないで、早く治して退院しないといけないですね、先生」

 彼女は深くなったシワをさらに深くして笑った。

 先生と言うのは私の事で、彼女にとって私は駆け出し教師の婚約者の同僚であり先輩と言う位置づけらしい。彼女の中では忙しい婚約者に変わって様子を見にきているのが私である。なので、同じ学校の教師という事で、彼女は私を先生と呼ぶ。

「そうですね、夢が叶うんですから」そう言いたかったのに、それは言葉にできず、代わりに溢れてきたのは涙だった。

 彼女の左手を握りしめ、嗚咽を押し殺しボロボロ泣いていた。

 彼女にかけるお似合いの言葉が見つからない。


 ああ、お願いだよ。ずっとずっと傍にいてよ。好きだよ。分かってよ。

 君が僕を忘れてしまっても、それでもいいから。僕が全てを憶えているから。

 だから、僕より先にどこか遠くに旅立つ事だけはしないで。

 生まれ変わったとしても、また僕は絶対君に恋するから。

 だから、お願いだから……


「…先生…?」


 彼女の言葉にハッとして我にかえる。

「申し訳ない、お二人の幸せに当てられてしまって、こっちまで嬉しくなってしまいましたよ。いやいや、婚約者のいる女性の手を握るなど失礼しました。申し訳ない」

「いえ、私も一人で話してしまって、ご気分を害されてしまったかと…」

 とんでもない、と私は笑顔で返す。


 夕日が傾きかけた頃、面会終了のアナウンスが流れ彼女の元を離れなければいけなかった。

「また、来週伺いますね」

「ありがとうございます。あの人をどうぞよろしくお願いします」

 私は会釈をして病室を出た。

 彼女の声は今も昔と変わらず透き通っていた。


 来週は押入れにしまい込んである古びたギターを持ってこよう。許可は取った。

 そして妻が一番好きだった曲を聴かせてやりたい。もう、思うようにギターも弾けないだろうし、高い声も出ないだろうけど、君はあの時のように頷きながら一緒に歌ってくれるかな。

 君だけが聴いてくれたらそれでいい。

 僕の心は君で溢れているから。

 だから僕はずっと君にカタオモイしてるよ。


 ねえ、ずっとずっと、「愛してる」

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