第四章あるいは、太陽
おわりはわからない。おわりを決めてしまうのは、不幸なことだとぼくは思う。なぜなら、そこにたどり着くまでにいろいろなことがあるから、必ずしもそのおわりがハッピーなことかどうかはわからないのだから。
部屋に戻ってきてからおれと彼女は飲み直した。見てきた劇がつまらなかったと笑い合い、おれの脚本を見せろと騒いだが、それは断固拒否をした。科学者、という職業についてもあれこれと話し合った。最後には、実は殺人者と紙一重の差しかないような仕事ではないか、という話にもなり彼女は泣いた。おれはその不安を少しでも取り除こうと、彼女の手に自分の手を重ねる。
気がつけば夕方だった。朝になったのは覚えている。それから十時間くらい眠ったようだった。
彼女はまだ眠っている。煙草を持ち、音を立てないようにして部屋を出た。粥屋の前に置いてある椅子に座ると、粥屋は無言で粥を持って出てきた。それをおれの前に置くと、黙って向かいに腰おろす。
「因果な商売だと思ったことがある。こうして座った客に粥を出し続けることがおれの職業だ。仕事に縛られて、毎日まいにち繰り返していると、たまに自分の頭の中までお粥みたいにどろどろっとしてきちまう。探偵、おまえにはそういうことはないか?」
「……おれの職業についてかと思ったよ。さ、どうだろうな。あんたみたくはならない。だが、言わんとしていることはわかる。探し人の依頼が来た場合、もうこの町にはいない。それはもう、恐らくルールだ。だが探す。いないひとを、探すんだ。いなくなった日からその人物の足取りや痕跡を、河原で石を積む子どものように、順序立てて積み上げて、最後の一言を言おうとすると、大抵の人はその積み上げた事実を拒否する。そんなはずはないと、ひとが積み上げた石を崩すんだよ。そういうときおれはひどく思う。おれのこの役割はなんだと。結局はひとの悲しみのはけ口かと。怒りを受け止める器かと。そして、もしおれがいなくなったときは、一体だれが探してくれるのかと。それこそあんたの粥のように、どろどろと頭の中を駆け巡る」
粥屋は煙草に火をつけて煙を吐きだすと机に手をついて立ち上がった。遠くに見える町の明かりが消え始め、夜の帳が下りてくる。
「もう一つ、用意する。今日はそれで店仕舞いだ。食い終わったら、器はそこに置いといてくれ」
粥屋と入れ替えに、階段を下りてくる足音が聞こえる。彼女が姿を見せると、おれの方を見てにこりと笑う。おれも同じように笑って見せて片手をあげた。さきほどまで粥屋が座っていた席に彼女も腰かける。
「もう、夜? ずいぶん長いこと眠っていたみたい」
わずかに目が腫れている。
「眠ったのは朝だった。少しゆっくり休んだと思えばいい」
粥屋が黙って粥を持ってきて、黙って戻っていく。彼女が「ありがとう」と言うと、背を向けたまま片手をあげた。
「夢の中で、劇を見たわ。あなたが書いた劇だった。あたしには何が面白いかわからなかったけれど、みんな笑っていたわ。それでね、あたしの横にはあなたがいるの。あなた、泣いていたわ。夢がかなったって。おれは階段をのぼりきったって。声を殺して、顔を覆って。
だからあなたは、夢をかなえるために書き続けるべき。起きてすぐ、そう思った」
彼女はそう言うと、黙って粥を食べ続けた。おれも黙った食べた。粥を食べ終わり、空白の時間が過ぎる。彼女は明かりの消えた町の中心を見つめている。何か声をかけるべきだとは思ったが、彼女の目はどこかそれを拒否している。焦り、疑問、不安。彼女が考えていることはなんとなくわかる。だから次の言葉を言ったとき、おれは「やはり」と思った。
「明日、出て行くわ」
別に囲っていたわけではない、という言葉がのど元まで出かかる。違う、とおれは首を振った。
「結局科学者についてはわからなかった。太陽の作り方も、わからない。あなたには、町を案内してもらった。科学者の先輩を紹介してもらうことはできなかったけれど、そもそもその先輩がいないのだから、それはしょうがないと思う。あとは一人でやってみるわ」
あたりはすっかり真っ暗だった。彼女の顔はよく見えない。何故だろう。なぜこの町はこんなに暗いのだろうか。ここからは繁華街の明かりは見えない。暗い。どこを見て、どこに向かっていけばいいかもわからない。職業も、夢もわからないということは、こんなに不安なことだとは思わなかった。彼女のその不安が、夜の暗い空気を通じて感じられる。彼女はきっと、震えている。
「べつに、一人でやらなければならないというルールはない。探偵が、それを手伝ってはいけないというルールもない」
目を凝らす。暗闇で、必死に彼女の存在を見つけようとする。手放せない。手放してはいけない。そう、なにもルールなんてない。
「科学者という職業についてわからないのであれば、決めればいい。わからないことを決めてはいけないというルールもないんだ。科学者という職業は、探偵の助手ということにする。決まったのだ。いま、そう決まった。だから、お前はここにいなければならない」
その時、空がぱっと明るくなった。彼女は大きく目を開いている。昨晩のように、いまにも泣きだしそうだった。
「太陽だ……太陽が、出た」
「あれが……太陽」
空に四角い白い光。昨日酒場で聞いた太陽の話は本当だったのだ。
「すごい、明るい。あたしは、これを作るの?」
月に一度の奇跡。限られた人間だけが見ることのできる、太陽。今日おれたちが見れたことは、決して偶然なんかではないと、そう思う。
「そうだ。みんなが待ち望んでいる太陽を、お前が作るんだ。この太陽がいまの暗闇を照らしたように、お前が作った太陽で、人の暗闇を照らすんだ」
「……あなたはそれを、手伝ってくれるの? 昨日、ううん、この町に来てからずっとあたしを支えて、慰めてくれたように、これからも、ずっと?」
「そうだ。助手が困っているのであれば、助けるのは当然だ。なぜなら、助手はおれが困っているときに助けなければならないのだから。助けの手がなくなると、おれは困る」
おれと彼女は、太陽の下見つめあう。そして伸ばしてきた彼女の手を、おれはしっかりと握った。
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