第20章 それぞれの道

雪降る夜空を悠然と飛行する巨大で真っ白なグリムがいた。炎のように揺らめく長い尾と蒼空の瞳を持つ優美な鳥型グリムの背にはリオネールとアサトが乗っている。


上質な絹のような羽をむしらぬようにと、アサトは控えめにグリムの背に掴まっていた。


彼女の隣では今にも倒れそうなほど蒼白い顔をしたリオネールがいる。先の戦いで受けた傷が彼にそんな顔をさせているのだ。彼女は胸中で彼の身体を懸念しながら横目で見ていた。

 

鳥型グリムが着陸した場所はアサトにも覚えがあった。千年以上も放置され、きらびやかな外界から遮断され荒廃した第21区だ。ここでアサトはセンジュと、そしてリオネールと出会ったのだ。あの日からまだ二週間も経ていない。

 

新雪には足跡一つなく、この場に人間はおろかグリムもいないことを物語っている。

 

アサトらが激戦を繰り広げた高層ビルを眼前にアサトとリオネールは降り立ち、柔らかな新雪を踏み締める。

 

不意にグリムの覚醒が解かれると、そこにはアサトよりもまだ幼い少女が佇んでいた。リオネールが一言礼を告げると少女は微笑み、賑わう街のほうへ走って行った。


「どうしてここに来たのか不思議?」

 

突然の問いにアサトはリオネールを見つめ、そして壊れた景色を見回すと頷いた。

 

「それもそうか、君には記憶がないんだもんね。

教えてあげる、僕と君のこと。真実を話すよ。ただ、信じるか信じないかは君次第、いいね?」

 

頷くアサトに微笑んだ彼は、彼女に雪上に仰向けになるよう指示をした。何も疑うことなく彼女が仰向けになる。


雪が自身に迫ってくるような妙な感覚を抱いている彼女の顔に陰が落とされた。彼女の傍らに片膝をついたリオネールが彼女を見下ろしていたのだ。

 

その瞬間、彼女の心臓が強く脈打った、心音が鮮明に聴こえるほど強く。視界の端々に映り込む壊れた建物、舞い落ちる雪、そして自身を見下ろすリオネール。この三つの光景をアサトは知っていた。


二週間ほど前、彼と出会うよりずっと前から彼女が幾度となく見てきた遠い昔の夢と、彼女が今見ている光景は酷似していた。


目を見開き動揺する彼女を見下ろし、リオネールは切なげに微笑む。

 

「何か覚えてるんだね……

ここが街として栄えていた1496年前、この場所で人間とグリムによる大規模な戦いがあったんだ。

……その戦いで君は死んだんだよ――」

 

 

第17区での激戦の翌日、緊急聖府会が開かれた。議題の本題として持ち上がったのは当然アサトの失踪に関して。しかもリオネールも一緒となると、聖府の懸念も深まるばかりだ。恐れていたことが現実となったのだ。アサトがグリム側に付き、人類の敵になったと。

 

「アサトはグリム側に付いたのだ! 何か目論む前に、選りすぐりの精鋭部隊を結成し討伐に動くべきだ!」


「少しは落ち着きなされ。敵になったと断定するには性急ではないか? 彼女には何か考えがあって行動しているやもしれん。話を聞くためにもまずは彼女を捕縛することが優先だと思われる」


「あの娘が考えて行動などするものか! 善悪の概念も持ち合わせていない獣そのものなのだぞ!

だから私は反対だったのだ、グリムを狩人に利用するなどとっ……」

 

聖府の意見は二つに割れていた。アサトを捕縛するか討伐するか。

 

止まぬ議論を傍観していたアンセルムが一つ咳払いをすると、聖府は即座に沈黙し彼に視線を向ける。

 

「現在、追跡部隊がアサトの行方を追っているが、依然行方は掴めておらぬ。追跡出来ぬようGPSをオフにしている可能性が高い。

諸君らの中にはアサトの討伐を望む者も少なからずいるようだ。その気持ちも理解しよう、あの娘は野放しにしておくには危険すぎる存在だ。だがしかし、優先すべきはアサトの捕縛とし、討伐は見送る」

 

アンセルムの決断に聖府はざわつき、多くの者が疑念を抱いた。

 

「リョウガによれば、センジュは近日中にファングに参じると公言したとのこと。茶会しに参じるとは到底思えぬ、襲撃と推測する。その際に必要なのは我々のように議論を述べる老いぼれ共ではなく、グリムを殺す戦力だ。アサトにはグリムを殺す力がある。それを利用するために狩人に仕立て上げたのだ、最後まで狩人として戦ってもらう。

無論今回の失踪事件に関しての動機は尋問、もしくは拷問にて聞き出し、二度と失踪出来ぬよう対策も打つ意向だ。

だがもし反抗を示すようなら容赦はせん、殺す」

 

凄みを帯びた刃のような言葉に、思わず聖府は身震いをした。アンセルムはこの場にいる誰よりも残酷なことをやってのけると、彼らは皆理解していたのだ。

 

アサトへの対処は捕縛する方針に決定し、議題はリョウガからの情報を基にリオネールが口にしたロット家に関して。リオネールは言っていた、「ロット家は全てを知っている」と。

 

彼の言葉を鵜呑みにする気はないアンセルムだが、疑念がある以上白黒明白にする必要性があると判断し、本来なら聖府であるラファエル・ロットにこの場で尋問する予定だったのだが、彼はこの場に現れなかった。勿論彼に尋問の件は報せていない。


彼の屋敷の使用人及び周辺の人間にも彼の行方は報されておらず、事実上彼は失踪したことになっていた。彼に疑いが掛かった直後の失踪ということもあり、アンセルムの中で彼への疑念が強まるばかりだった。

 

ラファエルが自発的に失踪したのかも判断できない今、彼の捜索は警察に託されることになった。

 

 

夕暮れの本部屋上に二つの大きな影があった。フェンスに寄り掛かり街を一望するガンズとキースだ。

 

21区の任務で負った傷がまだ完全に癒えないガンズは松葉杖を手放せずにいる。

 

神妙な面持ちの彼らは互いに目を合わせることもせず、どこか物悲しく見えるオレンジ色の景色を眺めていた。

 

「アサトの失踪が組織の中で噂になっておる。あの娘に反感を抱く者はこれまで以上に増えるだろうなぁ。

キース、お前はアサトを止める術を持っていたはず、なぜ止めなかったのだ?」

 

ガンズの問いにキースはしばし沈黙し、やがて心底にしまっていた思いを口にする。

 

「俺には監視が向いていないようです」


「どういうことかのう?」


「あなたの言う通り、俺にはアサトを止めることができました。だが実行しなかったのは、監視の立場よりも友としての立場を優先してしまったからです。

あなたは見たことがありますか? 彼女の笑顔を」


「そういえば一度もないのう。お前は長い付き合いだし、何度もあるのだろう?」

 

その言葉にキースは緩く頭を横に振った。

 

「俺が彼女の笑顔を見たのは最近、たった一度だけです」

 

キースの言葉にガンズは驚愕し、思わず彼を見つめた。

 

瞼を閉じるキースの脳裏には今でも鮮明にアサトの笑顔が焼き付いている。今はガンズが佇むこの場所で、芽生えた理解し得ない複雑な感情に戸惑いながらも、彼女は一瞬だけ確かに微笑んだのだ。


一度見たら忘れられるはずがなかった、キースにとってアサトの笑顔ほど綺麗なものは今まで見たことがなかったのだ。

 

「あの笑顔を見なかったら、きっと俺は彼女を止めていたでしょうね」


「……そうか、お前に監視の立場を忘れさせる威力を持つ笑顔ならワシも見てみたいものだのう」


「もう一つ、彼女を止めなかった理由があります」

 

それはなんだとガンズが目で問うと、キースは柔らかく笑う。

 

「彼女が自分の意思で動いたからです。

今まで彼女は機械的に与えられる任務をこなしてきました。だがセンジュやリオネールと出会い、彼女は変わった。良くも悪くも、欠けていた感情を得たかのように感情的になることが増えました。それが本来の彼女なのかもしれません。

俺は機械的な彼女よりも感情的な彼女のほうが好きです。彼女が選ぶ道を見守ってやりたい。どんな道であろうと」


「……お前はやはり監視には向いていないのう。だが友としては最高だな!」

 

豪快に笑うガンズにつられ自ずと頬が緩むと、キースは銀のバングルと感知器を取り外し、ファングの紋章が描かれたロングコートとジャケットを脱ぎガンズに差し出した。

 

「アサトが失踪したのは彼女の意思だが、取り逃がした要因は俺にあります。聖府は俺を監視から外すでしょう。だからと言うわけではありませんが、これを機に俺はファングを抜けます」


「アサトの行く道を見守るためかのう?」


「はい。側にいなくても見守ることは可能ですから」

 

毅然と言うキースを見つめ、ガンズはそうかと頷くと差し出された物を受け取った。すすけ、傷が付いたバングルやコートを手に、ガンズが寂しくなるなと笑えば、キースは困ったように苦笑するのだった。

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