第19章 共に

体内に侵入した一片の結晶はリョウガの胃袋で暴れ回り、肉壁を傷つけ増殖する。例えようのない圧迫感と激痛に襲われた彼は倒れ、血反吐を吐き出した。

 

彼が苦しむ姿に状況が飲み込めないでいる狩人らはひどく動揺している。

 

リョウガは吹き飛びそうになる意識を気力だけで繋ぎ止め、自身が苦しむ様を静観するリオネールを睨み付けた。

 

「おま、え……ま、だ抵、こう、できた、のかよっ……」

 

声を無理矢理絞り出すリョウガを見つめるリオネールの目が、楽しいと語るかのように細められる。自由の身であったなら、彼は高揚する気持ちを抑えきれず声を上げて笑っていただろう。

 

殺そうと思えば一思いにリョウガを殺せる状態にも関わらず、彼はジリジリとネズミをいたぶる猫のように反応を楽しむだけ。リオネールの捕縛が成功した今、狩人らが彼を殺す可能性は限りなく低いと踏んでの行動だった。

 

だがリョウガの状態がリオネールの仕業だと勘づき始めた狩人らは憤怒し彼に武器を向けようとするが、それをリョウガがやめろと制止する。


死の絶壁に立つ彼が、もやの掛かる頭の中で必死にこの最悪な状況を打破する策を練り出していると、街中から走り来る一つの影が見えた。


それがアサトだとようやく判別できた時、センジュを守っていた防御壁が彼の意思で砕け散った。ここまで傍観を貫いていたセンジュはその場を飛び出すと、アサト目掛け急接近を図る。


いち早く彼女の姿を確認したセンジュとは対照的に、彼女は彼の姿を確認できていなかった。故に咄嗟の出来事に反応できるはずもない彼女は、眼前で振りかざされた金色の刃を防御する猶予も持ち合わせていなかった。

 

鮮血が迸る。だがアサトに痛みはない。斬られたのはアサトではなく――リオネールだった。

 

リオネールが極度の貧血の上に拘束され動けない状態だったのは確かだ。だがセンジュが彼女に向かって行った時、それが何を意味するか彼には嫌になるほど理解できてしまった。理解してしまえば身体は心に突き動かされ、思いもよらぬ行動を起こすものだ。

 

かろうじて自由がきく彼の足は無意識に彼女の元へ駆け寄り、自身の身も省みず金色の刃の前へボロボロの身体を差し出していた。

 

彼を戒めていた鎖は斬り壊され、口内に詰め込まれた布切れは湿り気を帯びていく。愕然とするアサトが恐る恐るそれを引き抜けば、彼の口から大量の鮮血が溢れ出し、彼女に火傷を与えた。

 

彼の背中には深く大きな傷が居座り、抉れた肉からとめどない鮮血が吐き出され続けていた。大量出血により最早痛覚さえ麻痺し始めていた彼は、こんな状況には到底不似合いな笑みを浮かべた。

 

「怪我は……ない、みたいだ、ね」

 

心から安堵したような優しい笑顔に、アサトの胸は鈍い痛みを感じる。

 

「……困った、なぁ。こん、なかっこ悪い、すが、た……きみに、は、見せたくな、かった、のに……」

 

眉尻を下げ困った顔をするリオネールの背後で、センジュが無情に彼を見つめている。

 

「まさか飛び出して来るとは思いませんでした。

せっかくですから、このままお二人で心中なさいますか?」

 

微笑を浮かべるセンジュが剣を構え直そうとしたその時、リオネールの背中から溢れる鮮血が結晶化し、幾重もの刃と成って突き出し、センジュを貫いた。


突き飛ばされた彼は背後に佇んでいたコンクリートの建物に激突した。腹部や胸部には蒼い結晶が突き刺さり、彼と壁を縫い付ける杭のような役割を果たしている。

 

「か、のじょと、心中するの、も魅力的な話、だけど……君の前では、してあげない、よ」

 

一度は抑制されたセンジュへの殺意を再びたぎらせたリオネールを、センジュは自身の身体の自由を奪う結晶を引き抜きながら見つめた。

 

「あなたにとってアサト様は最大の弱点ですね。あなたの身体はとうに限界を迎えていたというのに、その変化に気付いていながら力を酷使するとは愚かとしか言えませんね」


「そう、だね。僕は、かの、じょの、ことになる、と、愚かになる、みたい。そんな僕を、僕は、気に入って、るよ」


「そんなことではいつか身を滅ぼしかねませんよ。現にほら、あなたの身体は壊れようとしています」

 

アサトはセンジュに対し、心底でどす黒く醜悪な感情を飼いながらリオネールを見ると、目を丸くした。彼の美しく妖艶な顔の片側が白煙を上げ溶け出していたのだ。


鉄板で肉が焼かれるような音を伴い皮膚は雪上に溶け落ち、骨は露見し、眼球は零れ落ちそうになっている。もう片側の顔には変化は見られない。

 

困惑するアサトを安堵させるようにリオネールが笑うと、遅れてキースらが到着し、真っ赤に染色した光景を見て愕然とした。

 

ふとセンジュは夜空を仰ぐ仕草を見せると、露見していた顔を隠すように仮面を装着し直した。

 

「時間ですので私はお先に失礼致します。

その前に、恐縮ですがファングの皆様に私から一つよろしいでしょうか?」

 

センジュの視線が倒れたリョウガを中心に狩人らに注がれる。

 

「以前から思っていたのですが、あなた方の存在は私にとってとても邪魔なのです。最近強く思うようになりました。

なので、近々手土産を持って参じますので、その際はよろしくお願い致しますね」

 

センジュは仮面の奥で意味深に笑うと、狩人らの背後、包囲網の出口を目指して駆け出した。


臨戦態勢を取る狩人らには目も暮れず包囲網から脱出し、唯一の出口である箇所に結晶で壁を隔てる。


その時、上空に二体のカテゴリーA巨大鳥型グリムが出現した。ドラゴンのような出で立ちのグリムは、狩人らの周囲の建物を唐突に破壊し始める。網が張り巡らされた建物を倒壊させるつもりなのだ。


その意図は網に付いている爆弾を落下、そして地上にいる数多の狩人らを爆死させることにある。全てセンジュの思惑だ。

 

結晶に退路を断たれた狩人らは瓦礫が降り注ぐ中逃げ惑い、死にゆく時を待つしかない。満足に動けず、声も出すことが困難になったリョウガは悔しげに唇を噛み締めている。

 

遂に建物が倒壊し爆弾が押し迫った時、狩人らは泣きわめきながら固く目を閉ざした。

 

耳をつんざくような爆発音が轟く。だが彼らにこれと言った変化はなく、降り注いでいた瓦礫も頬を撫でていた雪の気配も一切感じられなくなっていた。


不審に思い彼らが目を開ければ、視界は赤一色に埋め尽くされた。それは彼らの上空に張り巡らされた分厚い結晶だった。巨大な薔薇のように咲くそれが爆弾から、そして倒壊する建物から彼らを守ったのだ。

 

アサトが狩人らを守った、その事実に困惑し、同時に生きていることを歓喜する彼らを尻目に、キースやスズネは彼女の姿を捜し求める。すると、彼女がいた場所にはぽつんと蒼い薔薇のような結晶が咲いていた。


その中にはアサトと倒れたリオネールがいる。彼は彼女だけは守ろうと壊れた身体で必死に結晶を張ったのだ。

 

彼の側に片膝をつき見下ろす彼女の腕には爆発前に咄嗟に付けた傷痕がある。彼はその生々しい傷痕を片目だけで見つめた。

 

「君が、他人をまも、るなんて、ちょっと意外だっ、たよ。そんなに、彼らが、だい、じ?」

 

アサトは緩く頭を横に振る。守りたいと思って守ったわけではなかった。この場にはスズネらがいる、彼女らがいなければ無意識に結晶化することもなかった。アサトの中で彼女らの存在が少しずつ大きくなり始めていたのだ。

 

「……顔色、悪いね。血液を、たくさん使ったせい、だよ。

馬鹿だね、人間なん、て、ほっとけば、いいのに……」

 

その言葉、そっくりそのまま君に返すなどとアサトが思っていると、不意に彼の蒼白い手が彼女の頬に触れようと揺れ動いた。


彼女が肩を揺らし僅かに身を引けば、彼は哀しげな顔をし、伸ばした手は彼女の温もりも知らぬままに落ちていった。

 

「……僕は、そろそろ行く、よ」

 

リオネールは赤い結晶の向こうを見上げている。赤い結晶上に降り積もった瓦礫の隙間からは、夜空に一体の鳥型グリムが旋回している様がぼんやりと見える。カテゴリーBだ。

 

「センジュ君との戦闘中、僕があのグリムを、呼んだんだ。けど、僕のグリムは、少ない上に、この、近くに潜伏してなくて、ね。到着するのに、時間が掛かっちゃった」

 

リオネールは苦笑すると軋む上体を起こし、真摯にアサトを見つめた。

 

「君も一緒に来るかい?」

 

その言葉にアサトの心は激しく揺さぶられる。荒廃地区、そして鎮魂祭の時も彼と一緒に行くことができなかった。今再び巡ってきたチャンスを逃したくない彼女は迷うことなく頷いていた。

 

予想外の答えにリオネールの思考が一瞬停止し目をぱちくりする。

 

「え? 本当に? 冗談じゃなくて?」

 

身体が壊れていることも忘れ、自ずと言葉がすんなり出てくる。食い気味に問う彼にアサトが何度も頷くと、彼は彼女をとても愛しげに見つめた。

 

「嬉しすぎて元気出てきちゃったみたい、僕って案外げんきんだったんだね。

じゃあ行こうか、突破口は僕が拓いてあげる」

 

微かにふらつきながらもリオネールが立ち上がると、二人を包んでいた結晶が砕け散り、狩人らの視線が一様に集中する。

 

剣を支えに立ち上がったリョウガの体内では、今は眠るように動きを止めているがリオネールの結晶が依然生き続けたままだ。リョウガは体内の後引く痛みに耐えながらもリオネールを見据える。

 

「総員、そいつを捕縛しろ! 絶対に逃がすな!」

 

リオネールがやれやれと肩を竦めると同時に、狩人らは猛進を開始した。彼らに誘発されたようにルイとデュークも猛進する。


その時、センジュが残して行った防御壁が外部から突進した鳥型グリムによって破壊された。夜空を旋回していたカテゴリーBだ。

 

グリムは戯れるように狩人らを襲撃し再び混乱が蔓延する中、リオネールとアサトは金色の防御壁が破壊された唯一の出口から逃走を試みる。


しかし、リオネールから片時も視線を逸らさないリョウガは彼らの前に立ちはだかり剣を向けた。

 

「アサト、お前のその行動が何を意味するか分かってんのか? お前がそいつと行けば聖府はお前を殺す方針を取るんだぞ」

 

リョウガの真摯な目を見れば、それが脅しじゃないことはアサトにも伝わる。だがアサトの答えは変わらない、リオネールと行くと決めたのだから。

 

曇りない瞳で自身を見つめてくるアサトは本気なのだと察したリョウガは、奇行とも思える行動を取る。ただ呆然と成り行きを見守るスズネの背後に回ると、彼女を羽交い締めにし、剣を首筋に宛がったのだ。


その光景を映す誰もが皆、彼の行動の意図を掴みあぐね、恐怖に晒されるスズネは首筋の冷たい感触に身震いしていた。

 

「お前はこいつらとけっこう打ち解けてたよな、今日も遊びに行ってたんだろ? 結晶を張ったのだって、こいつらを守るためなんだろ? 俺たちはこいつらのおまけだ、こいつらがいなきゃ結晶を張ることもなく見捨ててただろ?」

 

抑揚ないリョウガの言葉はアサトの図星を的確に言い当てていた。結晶を張ったのは無意識のことだったが、今になって思えばスズネらがこの場に居合わせなければ、たぶんそんな行動を起こさなかったんだろうとアサトは思う。


リョウガや狩人だけだったら、爆死しようが瓦礫の下敷きになろうが彼女は傍観できたのだ。彼らの死に無関心だから。

 

「アサト、そいつを捕縛しろ。従えないならスズネの首を切り裂く。これは命令だ」

 

仲間を殺すと発するリョウガを黙って見ていられるわけもなく、ルイはグリムとの戦闘を放棄し、思わず彼に駆け寄った。

 

「隊長! いくらなんでも仲間を殺すなんてやり過ぎじゃないっすか!」

 

声を荒げるルイを一瞥もせず鋭い目付きでアサトを見据えるリョウガの目は本気だ。力と恐怖で彼女を否応なしに従わせる気なのだと察したルイは、彼の残酷な面を初めて目の当たりにし恐怖を抱いた。

 

声も発せず、死と生の狭間に立たされたスズネはポロポロと涙を溢し震えている。怖くてたまらなかったのだ。人間、しかも仲間であり、尊敬していた上司に命の危機に晒されているのだから。

 

アサトは助けてと懇願するような眼差しを向けてくるスズネを黙って見ていた。リョウガに従いリオネールを捕縛し彼女を救助すべきか、彼女を見殺しにしファングを敵に回しリオネールと行くべきか。


二つの選択肢を秤に掛けた時、どちらが自身にとって重みがあるか、そんなことは考えるまでもなく分かっていた。


スズネの存在は確かにアサトにとって大きくなりつつある。死んだらきっと胸が痛む。だがその先の感情はない。彼女が死んでも何食わぬ顔で生きていける、時々胸が痛む程度の感情しか今は抱いていない。


だがそれがリオネールならそう簡単には済まされない。彼が死んでしまったらアサトは涙し、彼を殺した相手を殺し、その死体をズタズタに引き裂き、無関係なこの場に在る全ての命を無慈悲に奪い取るだろう。それほどまでにリオネールの存在はアサトにとって重要なのだ。

 

救いを請うスズネからアサトが目を逸らした時、リオネールが困ったように溜め息を吐いた。

 

「仕方ないなぁ。一つ君にとびっきりの朗報をあげるよ。だから今回はアサトと僕を見逃してくれない?」


「……どんな話であれ、そいつが狩人である以上行かせるわけにはいかねぇんだよ」


「あらら。でもアサトはその子が殺されても行く気みたいだよ」

 

無遠慮なリオネールの言葉にスズネの胸は激しく痛む。アサトは彼女のほうを見ることもできず、目を伏せていた。スズネの悲しむ顔を見ることができなかったのだ。

 

「でも決めるのは君じゃなくてアサトだ。

それに、ここまで僕を追い詰めたご褒美として話を聞いてよ。きっと君たちの役に立つと思うからさ」

 

意味深に微笑むリオネールをリョウガは話だけは聞いてやろうと威圧的に見据える。

 

「君はロット家って知ってる?」


「……ロット家? 聖府の一員だ」


「そう、そのロット家はね、全てを知りながら自ら疎外されることを望み、君たちに知識を与えもせずこの世界が壊れていく様を傍観するひどい奴らなんだよ」


「どういうことだ……?」


「詳しくは本人に聞くといいよ」

 

リオネールは何かを企むように笑うと、狩人らと戯れるように戦闘を継続していたグリムを呼び寄せ、その背に飛び乗った。


促すように彼と目が合ったアサトは彼に倣い飛び乗ろうとしたが、依然リョウガに羽交い締めにされながらも彼女の名を呼ぶスズネの声に一瞬動きが止まる。


だが彼女は何も聞こえなかった素振りをし、振り向きもせずグリムの背に飛び乗った。

 

羽ばたき、出口へ突き進むグリムをスズネを突き飛ばしたリョウガが止めろと狩人らに叫ぶが、狩人らが行動するよりも早くグリムは夜空へ上昇を果たしていた。リオネールとアサトを乗せて。

 

静寂が落ちる中、リョウガが悔しげに唇を噛むと、おもむろにキースを見やる。

 

「なぜアサトを止めなかった。お前には止めることができたはずだ」

 

責めるリョウガの睨みを一身に浴びるキースは、遥か彼方へ消えゆくグリムを見上げ何も答えない。そんな彼に舌打ちを投げたリョウガは諦めたように盛大な溜め息を吐き出すと、狩人らに撤退の指示を出す。

 

雪上に座り込みリョウガへの恐怖と、アサトが行ってしまった悲しみに泣きじゃくるスズネにルイとデュークが寄り添う。

 

リョウガの言葉通り、キースはアサトを止める術を知っていた。だがそれを実行しなかったのは、ここに到着するまでの道すがら、彼女の必死な背中を見てしまったからだ。


感情を持たない人形のようだった彼女がリオネールと接触することで、少しずつ感情を持ち始めている。人間味を帯びていく彼女を、監視という役目も忘れ見ていたいと思ってしまったのだ。

 

馬鹿げているなと自嘲するキースは、彼女が残して行ったいつかは消えてしまう薔薇のような結晶を、ただ見つめていた。

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