第17章 少年の願い

夜の帳を連れ立って雪がちらつき出した頃、遊園地を満喫し始終笑顔のスズネを先頭に彼らはそこを後にしようとしていた。


園内を出るというところで、十歳くらいの少年が道端で声を上げて泣いていた。彼の周囲には保護者らしき人物が見当たらない、道行く人が傍観しているだけだ。

 

「迷子かな、遊園地のお約束だね」

 

苦笑するスズネは少年を不憫に思い駆け寄った。子供だから油断していた、迂闊に近付いてしまい、感知器が反応を示していることに気付くのが遅れてしまった。そう気付いた時にはスズネと少年の距離は無くなっていた。


少年が不敵に笑った時、彼の手の甲から流れる血液が金色に結晶化し鎌に変貌すると、スズネに襲い掛かった。だがその鎌が彼女の柔肌を斬り裂くことはなかった。すんでのところで少年の正体を見抜いたデュークがスズネに突進したことで斬撃を回避したのだ。

 

積雪に転倒したスズネとデューク。鎌はデュークの腕を掠り、僅かな鮮血を迸らせていた。怪我を懸念するスズネに、デュークは大丈夫だと一言笑って言った。

 

少年がグリムだと知った人々は悲鳴を上げ、一目散に出口目掛け駆け出して行く。そんな様を傍目に、少年は鎌に付着した鮮血を指先ですくうと、小さな舌でペロッと舐めて見せた。美味しくないと渋い顔をする彼は、スズネにはどこにでもいる少年にしか見えなかった。

 

武器を手に、今にも飛び掛かろうというルイやデュークを前に、少年は結晶化を解くと無邪気に笑って見せた。

 

「ねぇ、鬼ごっこしよ?」

 

突飛な発言にアサトを除く三人は唖然とした。ただの子供の発言なら納得もできたが、相手はグリム。子供だからって人を襲う以上情けを掛けることは許されず、狩らなければならない存在。


これまでだって彼らは子供のグリムを狩ってきたのだ。だが眼前の少年はこれまでのグリムと何かが違うと、彼らは漠然と感じていた。


「じゃあボクが一人で逃げるから、おにいちゃんとおねぇちゃんはボクを追いかけてね!」


「はっ!? いや、ちょっと待てって!」


「早くボクをつかまえないと、おとなをみーんな殺しちゃうよー?」

 

ルイの制止も聞かず、少年は小さな口から残酷なことを言うと、出口目指して逃げ惑う人々とは逆方向の園内へ走り去った。

 

「どうするの?」


「どうするって……ほっとくわけにはいかないだろう」

 

不安げに少年が消えた方角を見つめるスズネに、デュークはため息を吐いた。


彼らは端的に話し合った結果、まず少年を捜し出し討伐する意向に決定した。スズネは園関係者にグリムの存在を知らせ、避難勧告を推奨すべく駆け出して行くのだった。

 

 

無線機で連絡を取り合い少年を捜すこと小一時間。避難勧告が発令された園内に人影はちらほらとしか窺えず、先刻までの喧騒は影も残さない。

 

走り回ることに疲弊したアサトが足を止めると、無線機越しにルイは鬼ごっこじゃなくかくれんぼじゃねぇかとぼやく。


もう園内にいないのではないかと彼らが懸念した時、アサトは背後に人の気配を感じた。振り向けばそこに馴染んだ顔がある。キースだ。


彼女の監視役の立場にある彼は遊園地だろうとどこだろうと、アサトが行く先には必ず付いて行く。こうして彼が突然目の前に現れてもアサトは動じない、今この瞬間まで園内の端々で幾度か彼の姿を捉えていたからだ。

 

彼はアサトらが走り回る動機も当然知り得ていた。

 

「向こうに少年がいた。俺が狩ってもよかったんだが、彼は人を殺すことしかしない獰猛なグリムとは少し違う気がするな。目が合った瞬間話し掛けられたよ、『おじちゃんは一人で遊びにきたの?』って。普通の子供と何も変わらない無邪気な笑顔を浮かべてな」

 

淡々と話すキースの言葉にアサトが耳を傾けていると、不意に彼と視線が重なる。

 

「彼は君がグリムだと知っていた。君に会いたがっていたが、どうする?」

 

そう問われても選択肢などないアサトには、少年がグリムである以上会いに行くしかない。


彼女はキースから得た少年の居場所を銀のバングルからルイらに転送すると、彼と共に少年の元へ向かった。

 

 

ジェットコースターのレール上に小さな人影が蠢いている。アサトとキースがいるその真下の雪上には、鮮血が花のように咲いていた。

 

アサトがキースを見やれば、あれが少年だと頷く。少年がいる場所はかなりの高所、通常の人間はおろか、鍛えられた狩人でもそこへ到達することは困難だ。だが高い身体能力を誇るグリムなら容易だ。

 

アサトはレールを見上げ目測すると、強く積雪を蹴り飛躍した。

 

レール上に降り立ったアサトの目先では、足場の悪いレール上に腰掛け、両足を宙に放り出しぶらぶらと遊ばせる少年がいる。その胸元は無惨に服が破かれ、何かを突き刺したような傷痕が刻まれていた。彼の手には氷柱のような結晶が一つ、その尖った先端部分は赤く濡れており、自分自身を傷つけたのだとアサトに認識させた。

 

彼は彼女を一瞥もせず、どこか遠くを眺めている。

 

「さっき下でおじちゃんに会ったよ。狩人だって言ってたのに、ボクを殺さないんだ、ヘンなの」

 

少年は抑揚のない声でそう言いながら、結晶をお手玉のように投げては捕まえてを繰り返す。

 

「前にね、おねぇちゃんを街で見つけたんだ。グリムと闘ってた。おねぇちゃんがグリムだってわかって、だから会いたくなったの。おねがいがあって」

 

無機質な目を持つアサトと少年の無垢な目がようやく合うと、彼は泣きそうな顔で笑った。

 

「ボクを殺して?」

 

首を傾げて上目遣いに見つめる大きな瞳は潤んでおり、よく見れば睫毛も濡れ、頬には涙が伝った跡がある。アサトは初めて彼が泣いていたことを知った。


彼がグリムなら言われるまでもなく殺すつもりでいたが、殺す相手に殺してと懇願されたことは初めてで、彼女は内心動じていた。

 

「ボクね、お父さんもお母さんも、妹もグリムに殺されたんだ。ボクも死んだはずだったのに、目が覚めたらボクはグリムになってて、ひとを殺したくて苦しかったんだ。

……たくさん殺しちゃった、たくさんたくさん……」

 

少年は目を伏せると結晶を握り締め、躊躇せず自身の胸の傷を塗り潰すようにそれを突き立てた。その狂った行動にはさすがのアサトも僅かに目を見張った。迸る鮮血がキースが佇む雪上に、一つ二つと真っ赤な花を咲かせていく。

 

「グリムなんか嫌い、グリムになっちゃったボクもっ……でも、痛くてこわくてボクはボクを殺せない。

おねぇちゃんはグリムなのにグリムを殺すよね? それってグリムが嫌いだからなんでしょ?」


食い下がるように問う少年をアサトは無機質に見下ろしていた。


グリムが嫌いだから殺す、その感情で彼女がグリムを殺したことはなかった。そもそも嫌いという感情が分からない。


少年はやはり幼く短絡的だ、彼の言葉は彼女には何一つ理解し得なかった。

 

「おねぇちゃんもグリムで、ボクと同じ苦しいってキモチがわかるって思ったの。殺されるならおねぇちゃんがいいって。おねぇちゃん優しそうだから。

だからね……おねぇちゃん、ボクを助けてっ……」

 

大きな瞳に溜まっていた涙がついに溢れ出す。殺されることで救われる命なんてあるのか、アサトはそんなことを考える。武器バングルを武器化し刀を手にするものの、彼を見下ろしたまま動かない。キースの言葉が思い起こされたからだ。

 

彼は言っていた、眼前の小さなグリムは、ただ人を殺すことしかしないグリムとは違う気がすると。そして少年もまた、気になる内容を多々口にしていた。キースの言葉通りなら、少年を生け捕りにすればまた新たな情報を得られる可能性がある。だからここでは狩らず生け捕りにすることが今後のためだとアサトは思案したが、ふと思う。


生け捕りにし情報を聞き出した後はどうなるのか、実験の被験体として利用され挙げ句殺されるのかと。

 

アサトは緩く頭を振り、考えることを放棄した。いずれにしても自分には無関係だと。


気付けば地上には駆け付けたルイらの姿も窺える。成り行きを見守るかのようにアサトを見上げるその様に促された彼女は唇を噛み切り、結晶で彼を捕縛する行動に移す。


赤い結晶が翼のように広がる光景をぼんやり眺めていた少年はぽつりと口にした。

 

「きれいだね……」

 

その瞬間、アサトの動作が停止し目を剥き少年を見つめた。グリムである自分が綺麗であるはずがないと、彼女は脳内で彼の言葉を即座に否定した。


自身を救ってくれる天使でも見るような眼差しを注ぐ少年から、彼女は目を逸らせなかった。翼のように見える結晶は真綿のように少年を包んではあげられない、それはグリムを殺す道具に過ぎないのだから。

 

クリスタルの太陽を瞳の端に映す金色の瞳はとても澄んでいる。純真な眼差しはアサトの心臓をチクチクと刺すかのように痛く、この場から逃げたい衝動を与える。


救済と絶望を秘めたその瞳から視線を落とした彼女は刀を握り締めると、ある決断をした。少年を殺す決断を。ツルのようにまとわりつく感情から自由になるために。

 

羽ばたくように広げられた結晶は少年の小さな身体を貫く、抱きしめるように。全身を激痛が駆け抜けるが、彼は安堵したように微笑んでいた、やっと苦しみから解放される嬉しさから自ずと零れたのだ。

 

「あり、がと……やさし、お、ねぇちゃ、ん……」

 

少年は弱まっていく鼓動を感じながら微笑むと、身体を支えていた結晶から解放されアサトへ向かって倒れた。無意識に手を伸ばす彼女の目の前で結晶化した彼は、彼女の温もりに触れることもなく砕け散り消え去った。彼女は伸ばした手を見つめ、ただ握り締めた。

 

 

キースらの元に降り立ったアサト。雪上にはもう赤い花の名残さえ見当たらない。

 

「彼は異なるグリムではなかったのか?」

 

キースの問いにアサトが浅く頷けば、彼らは彼女を信じ納得の意を示す。

 

少年は異なるグリムだった、彼女はその事実を口外する気にはなれないでいた。なぜかと問われれば、彼女にもやはり答えられないことだった。


少年の望みを叶えてあげたわけではない、狩人としてグリムを狩っただけだと、彼女は自分に言い聞かせるように納得した。チクチクと痛みを伴う例えようのない感情には気付かぬふりをして。

 

黒雲の隙間から顔を覗かせる三日月を見上げながらアサトは思う、少年の名前はなんだったのかと。

 

不意に全員の無線機が通信を受けた。本部通信室からの緊急通信だ。無線機から重複して声が漏れ聞こえる。


彼はひどく焦った声で告げた、第17区にてセンジュとリオネールと思われるグリムの戦闘が勃発、周辺区域の狩人は直ちに出動せよと。

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