第16章 自分自身を象るもの
ファング本部の地下に設けられた鍛練場では、日々狩人たちが汗水を流し鍛練に勤しんでいる。今日もまた彼らのやる気に満ちた叫びが響き渡るそこで、一際存在感を醸す狩人がいた。アサトだ。
鎮魂祭から一週間、彼女は毎日毎日任務と鍛練に明け暮れていた。対戦相手の狩人を殺す勢いで刀を振るう彼女に、傍観するキースは半ば疑念を抱いていた。
これまでも鍛練であろうと彼女が手を抜くことはなかった。それは今も変わらないのだが、何かを吹っ切るように鍛練に没頭する彼女の姿は鬼気迫るように窺える。
彼女の顔には出ないが、長年一緒にいるキースだからこそ気付ける小さな変化だ。その変化の理由も彼には推測できていた、リオネールが関係していると。感情を滅多に出さない彼女が激しく意思表示をするほど心を乱したのだから。
対戦相手の剣をはじき、尻餅を付く狩人にアサトが刀を振るう。首を刎ねられると恐怖し、堅く目を閉ざす狩人のすぐ側で空気が揺れた。
痛みも何も訪れないことを不思議に思い恐る恐る目を開ければ、刃は狩人の首を刎ねるすんでのところで停止していた。
助かったと安堵すると同時に、冷や汗と共にアサトに対しての恐怖心が全身から噴出する気配を感じた狩人は、彼女から逃げるようにその場から走り去った。
「おー、今日も元気にやっとるなー」
広い鍛練場に響いた陽気な声にキースが振り向けば、出入口から鍛練に励む狩人たちを眺めるガンズがいた。
その頭や腕には包帯が目立ち、松葉杖を付く様がキースにはなんとも痛々しく感じられていた。第21区での傷がまだ癒えていないのだ。そんなの屁でもないと豪快に笑い飛ばしそうなガンズは、よく通る声でアサトを呼んだ。
「なんでも最近休んでないそうじゃないか、スズネが心配しとった。あんまり根を詰めると戦場で倒れてしまうぞい。少し戦いから離れ、心身を労ってやったらどうだ?」
そうは言われても、アサトは疲れなどこれっぽっちも感じていなかった。自身の変化には気付いていたが、体を動かしていたほうが余計なことは考えずに済むのでその分気が楽だった。
ガンズが心配していることは分かっていたが、アサトは彼の提案に緩く首を横に振った。
「スズネとデュークと、あともう一人誰だったかのう。落ち着きのない……そうそう、ルイも今日は非番で遊園地に行くとはしゃいでおった。アサトも一緒に行ったらどうだ?」
突然の提案に内心驚いたアサトだが、考えるまでもなく答えはノーだ。そもそも遊ぶという概念を持ち合わせておらず、そんな気にもなれなかったのだ。
彼女が再び首を横に振るよりも前に、ガンズは僅かに声を落とし、慈悲を掛けるような、孫でも見るような優しい眼差しで彼女を見つめた。
「戦い以外のものを見てみることも大事だ、特に今のお前にはな」
その言葉の意味が掴み切れずアサトが首を傾げると、ガンズは豪快に笑って見せた。
「とにかく行ってみい。お前が一緒ならスズネも喜ぶだろうて」
強引に勧めてくるガンズを前にそれ以上拒否することも面倒になったアサトは、初の遊園地に行くことになってしまったのだった。
流れゆく雲に隠れながら七色に光輝するクリスタルの太陽は、日を追うごとに肥大化しているような印象をアサトに抱かせる。
「うわぁ、遊園地なんて久しぶりー!」
遊園地に入場してすぐに歓喜の声を上げたのはスズネだ。目を輝かせ子犬のように駆け回る彼女は行き交う人々に衝突し、その度に頭をぺこぺこ下げるほどのはしゃぎ様だ。
スズネを傍目に、高揚する感情を抑え震えているのはルイだ。彼が一番はしゃぎそうなものだが、できない理由がある。
久々の遊園地ということもあってここまでの道すがら、彼のテンションは臨界点を突破し、公共の場で歌い出す始末。同行者にとってはなんとも恥ずかしく傍迷惑な彼に、普段は冷静沈着なデュークが激怒したことが原因で、ルイは今躍る心を必死に抑制している。
デュークを本気で怒らせることは、幽霊がこの上なく苦手なルイにとって幽霊と遭遇することと等しく恐いものなのだ。
遊園地自体が初めてなアサトにとってここは未知の世界。満面の笑顔で行き交う人々や乗り物を眺め、少しだけ遊園地というものに興味が沸いていた。
さあ行こうとスズネに促されたアサトは、少しだけ戸惑いながらも彼らの後を追った。
冷え込んでいても遊園地は混雑し、人波からアサトを庇いながら移動するのは難を極める。人通りの少ない道を選んだとしても、人と接触せずに移動するのは無理なわけで、パニック状態に陥ることも多々あった。
だが彼らは嫌な顔もせず、アサトの状態が治まるのを待ってくれる。彼らの気遣いにはアサトも素直に感謝していた。貴重な時間を奪ってしまった後ろめたさを上書きしてくれるような笑顔をくれるのだから。
真っ白な世界がオレンジ色に塗り替えられる日暮れに、遊び疲れ、食べ歩きパンパンに膨れたお腹を抱え、締めとして観覧車に乗車することになった。
ルイの提案でじゃんけんでペアを決め、スズネとデューク、ルイとアサトが一緒に乗車することに決まった。
一つ前の観覧車に乗車したスズネとデュークを見送り、次いでルイとアサトが乗車する。ゆっくりと高度を増していく景色を眺め、初めて経験する浮遊感にアサトは何とも言えない不思議な感覚を覚えていた。
「なんか初めてだよな、アサトのそういう格好見んのって」
まじまじとルイが眺めるアサトの格好は、普段の堅苦しい隊服からは想像もできないほど可愛らしいものだった。
真っ白なニットのワンピースに身を包み、うっすらと化粧も施している。ワンピースや化粧道具など所持していない彼女は隊服で出掛けようとしていたのだが、それは絶対にダメとスズネが頑なに言うものだから、彼女からワンピースを借りたのだ。化粧も半ば強引にスズネに施されたもの。彼女を着飾った時の楽しげなスズネの姿がアサトの目に浮かぶ。
「にしても楽しかったなぁ! はしゃぎすぎてデュークに睨まれちまったけどさ、ほんと毎日でも来たいくらい! って、それじゃあ楽しみが半減しちまうか、たまに来るから楽しいのかもなー」
一人しみじみと頷くルイを一瞥したアサトが上を見上げれば、二人に手を振るスズネの姿が目に入る。彼女に気付いたルイが手を振り返せば、彼女は屈託ない笑みを見せてくれた。
頂上に差し掛かった祭にふと落ちた沈黙。夕暮れに煌めく世界をアサトが眺めていると、不意にルイが問い掛けた。
「アサトはさ、今日楽しかったか?」
突然投げ掛けられた問いにアサトがルイを見つめれば、彼は普段の悪ガキじみた顔ではなく、どこか大人びた笑みを浮かべていた。
アサトには理解し得ない感情が多く混在している、楽しいという感情もその一つ。遊園地で彼らと遊び尽くしたことに負の感情はない。疲弊はしたが、それも嫌な気はしなく、初めての乗り物や食べ物に彼女の心は高鳴っていた。
これが楽しいという感情なのか彼女は決めあぐね、はっきり楽しかったとは言えずにいる。でもまた来たいと思えるほどにはたぶん楽しかったんだと思い、アサトは頷いた。
もうじき地上に着き、本部に帰還する。そうしたらまた戦いの日々が始まり、リオネールやセンジュと再会する機会も必ず巡ってくる。その時平静でいられる自信が彼女にはなかったが、それもいいやと開き直ることにした。戸惑いも憎しみも、全て自分自身を象る欠けていた感情だと思うからと。
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