第13章 孤独

聖府による声明が世間に公表された。ファングはグリムを討ち取る戦力としてグリムを利用し続けてきた。これはグリムとの戦争に人類が勝利するため絶対不可欠な対処だと。

 

この声明を受けた世間は震撼し、ファングへの信頼は地に落ちることとなった。当然の反応だった。


人類にとってグリムは大切な者を奪った憎い敵、そのグリムを飼っていたことは納得できるはずもなく、反発せざるを得ない。これを機に聖府が懸念していた過激な行動に出る者の出現にファングは警戒するようになっていた。

 

 

ファング本部の屋上からは活気付いた街並みが見渡せる。雪が積もったフェンスに肘をつきそれを一望するのはアサトだ。


第21区での任務からまだ三日しか経過していないが、重症を負ったはずの彼女は既に完治していた。グリムの驚異的治癒力のお陰だ。

 

今日は雲一つない晴天だが、肌を撫でる空気は相変わらず冷たく、彼女は小さく身震いをした。

 

晴天にぽつんと浮かぶ小さなクリスタルのような光。小さいがキラキラと光輝し存在感を醸し出しているそれは、アサトらが第21区での任務を終えた頃に出現したもので、本部があるここ第13区上空で常時光輝し続けている。


彼女の周囲ではそれをクリスタルの太陽と呼び不思議がっていたが、聖府の声明の影響で世間もファングも混乱している今、その正体を確認しようと動く者はいないだろうとアサトは考えていた。

 

彼女が仄かに赤みを乗せた鼻を啜ると長い黒髪が風になびいた。頬にまとわり付く髪を払い小さな煩わしさが彼女の心に芽生える。

 

「あとで髪を切ろうか?」

 

不意に聞こえた低音にアサトが振り返ると、寒さで僅かに唇が青く染まったキースが彼女にゆっくり歩み寄っていた。

 

彼の提案に彼女が頷くと、彼は綺麗なのにもったいないなと苦笑しながら陽光に煌めく彼女の髪を見つめた。

 

「俺が君の監視に就いてから随分経つ、五年くらいだろうか。監視と言っても結構緩いものではあるが、君に反逆の意志が見受けられない故の対応なのだろうな」

 

キースはアサトの横に立ちどこか遠くを見つめていた。そよぐ風に二人の長い髪が触れ合うようにしてなびく。

 

「君の存在は世間に公表された。ファングの対応はこれまでと変わらないだろうが、世間や身内が君に向ける視線はこれまで以上に冷たいことだろう」

 

アサトは既にそれを体感していた。屋上に向かうまでの道すがらすれ違った狩人や組織の人間たちに向けられた視線はこれまで以上に冷たく、憎悪と恐怖がない交ぜになったものだった。


アサトがグリムだからという理由で殺したいと思う者もいたが、実行できなかったのは身内同士で殺し合わないという規則が理由ではない、返り討ちに遭うことを畏れてのこと。


身内であろうと襲撃すれば躊躇いもなく殺される、そして聖府はそんな彼女の行動を咎めることもなく黙認する、皆それを理解していたのだ。

 

アサトは銀のバングルを起動すると、〔私は大丈夫〕と打った画面をキースに見せた。

 

「君は強いな」

 

ただ一言、キースは目尻を下げてそう言った。思わずアサトの頭を撫でたい衝動に駆られ手を伸ばしたが、その瞬間彼女の肩が小さく跳ね身を引いたことで、武骨な手は力なく落ちていった。


嫌というほど見てきた彼女の苦しむ顔がキースの脳裏に焼き付いて離れず、自身までもが彼女にそんな顔をさせたくはなかったのだ。

 

衝動を掻き消すように奥歯を噛み締めたキースは再び遠くを見つめた。

 

「君はグリムだ、だからと言って俺が君を嫌煙する理由にはならないが、君はなんのために人類と共に戦う? 逃げられない理由があることは知っているが、君が本気を出せばきっと逃げ切れる。守りたいものがあるわけじゃないんだろう?」

 

その答えをアサトはバングルに打ち込みキースに見せた。そこには〔守りたいものはない、ファングは私に生きる理由をくれた、だから戦う〕と書かれていた。

 

「生きる理由……? グリムと戦うことを言ってるのか?」

 

キースの疑問にアサトは頷くと、再びバングルに打ち込んだ。それを見た瞬間キースは胸を痛めた。


そこにはこう書かれていた、〔ファングから逃げたら私には帰る場所も生きる理由もなくなる〕と。

 

「君は、孤独なんだな……」

 

哀れむような言葉と眼差しにアサトは肯定も否定もせず、雪化粧が施された街並みを一望していた。


彼女の横顔があまりにも儚く見え、たまらずキースは声を大にして言った。

 

「俺が君の側にいる!」

 

思わずきょとんと目を丸くするアサトを前にキースは我に返り赤面した。今の発言はまるで告白のようだと羞恥に駆られたのだ。

 

「いや違う。あ、いや、違わないんだが……つまり俺が言いたいのは……」

 

キースは動揺する気持ちを落ち着けるように咳払いをし、真っ直ぐアサトを見つめた。

 

「監視役としてだけではなく、仲間として、友として君の側にいるという意味だ」

 

声を突っ掛えながらそう言うキースの顔はまだ赤みを孕んでいる。だがアサトを見つめる眼差しは真摯で、彼女は漠然と胸が温かくなるのを感じた。

 

「アサト」

 

アサトを呼ぶ声に二人が振り向けば、そこには神妙な面持ちのルイ、デューク、そしてスズネがいた。彼らはアサトの目の前まで来ると、伏せていた顔を上げ彼女を見つめた。

 

「俺はアサトを嫌いにならねぇから!」

 

食い気味に叫ぶルイにアサトとキースが呆然とする。


会って早々意味不明な発言をかましたルイの頭をデュークが小突くと、ルイを押し退けたスズネが先頭に立った。

 

「ごめんね突然、ルイったら直球なものだから。

あのね、アサトがグリムだって知ってからあたしたちはずっと悩んでたの。ショックだった、仲間だって思ってたあなたがグリムだったなんてって」

 

スズネは目元に影を落とし、声を震わせた。

 

「あたしたちは家族をグリムに殺されてて、すごく憎んでて……だからグリムに復讐してやろうって気持ちで狩人になったの。

アサトがグリムだって知った時、あなたを殺せるか考えてみたけど……そんなの無理だよ。だって友達なんだもん! だからっ、嫌いになるなんて無理っ……」

 

嗚咽を溢し、大粒の涙がスズネのソバカスを濡らしていく。子供のように泣きじゃくる彼女の頭をデュークがあやすように撫でた。

 

「お前と過ごした時間は決して多いとは言えない。お前のことはほんの一部しか知らないけど、それは嘘偽りのないお前だと思う。だから俺たちは今まで通りアサトの仲間でいる」

 

仲間や友達、アサトにとってそれがどんな存在なのか分からなかった。


だが自身のために涙を流し、真っ直ぐな言葉をくれる彼らを見る彼女の心に温かな火が灯るのを彼女は感じていた。消えないでと思えるほどその火は彼女にとって手放し難いものだった。

 

せめて一言だけでも何か伝えたくて口を開くけれど、アサトの口から音は出てくれず空気が逃げていくだけ。自身の声で何かを伝えたかった彼女が申し訳なさともどかしさに苛まれ視線を落とした時、キースが微笑を浮かべ言った。

 

「焦るな、君の気持ちは彼らに伝わってる」

 

アサトが顔を上げた先では彼らが笑っている。

 

「アサト、あなたを抱きしめたいよぉ~」

 

相変わらず泣きじゃくりながらアサトに抱き付こうとするスズネをキースがやんわりと制す。


和気あいあいとした空気が流れていく中で、アサトの唇が一瞬、微かに笑みを浮かべた。


その様子に気付いたのはキースだけ。たった一瞬でも彼女の笑みは彼の目に焼き付くには十分すぎるほど印象的で貴重なものだった。

 

じゃらける彼らを見るアサトの眼差しは柔らかい、キースはそんな彼女を見つめ思う。君はまだ孤独なのだろうか、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る