第12章 13年前
聖府会後、リョウガは資料や書類が散乱する執務室で、ある書類を読み込んでいた。アサトに関するデータだ。
今まで彼女に関して黙秘を貫いてきた聖府だったが、彼女がグリムだと露見したことをきっかけにこれ以上の黙秘は無意味と判断し、リョウガにアサトのデータを引き渡したのだ。
これを機に、彼女のデータはリョウガが管理することになった。
書類を読めば今までの謎が紐解けていくが、知れば知るほどアサトは摩訶不思議な存在だと実感させられていた。
データによれば13年前、アサトはリベルター第三区郊外の森入口で、一糸纏わぬ姿で聖府に発見され保護された。
アンセルムの言葉通り彼女に自身の名以外の記憶は一切なく、グリムの存在自体認知していなかった。
聖府が彼女がグリムだと知ったのは保護して間もない時だった。それもカテゴリーAでもBでもない赤く光輝する双眸と赤い結晶を操る新種のグリム、カテゴリーCと名称した。
彼女の身体能力は通常のグリムより格段に突出しており、聖府は戦力として彼女を利用することを決定した。幸い彼女には人間を襲う欲望も本能も持ち合わせていなかった。
それから四年後、アサトはその存在を聖府以外に露見することもなく水面下で戦術を身に付ける日々を強要されていたが、彼女は嫌な顔一つしなかった。口数の多い、喜怒哀楽の激しい娘だった。
善悪の概念が欠落しているのか、彼女は無邪気に動物を傷付けることも多々あった。聖府は覚醒の兆候を見せない彼女をアルファと判断した。
ある日、アサトは聖府の施設から脱走したが彼女はすぐに発見された。
脱走先で遭遇した複数の男に性的暴行を受けた痕跡があったが、聖府が彼女を発見した時、男共は無惨に殺されていた。
その時のアサトの姿は覚醒途中のグリムそのものだった。頭から背中に掛けいくつもの角が並列し、牙が生えたその姿は鬼のようだった。
この事件を機に彼女はベータと判断された。そして彼女にも変化が表れた。他者と接触すればパニック状態に陥り、表情も消え、言葉を発することもできなくなったのだ。事件が原因で人に恐れを抱いていたのだ。
アサトの血液で実験し、彼女の血液は他のグリムに火傷の症状を与えることが判明した。逆にグリムの血液で彼女が火傷することはなかった。
実験の一環でアサトに人間の血液を輸血した時、不可思議な現象が生じた。グリムは体温を持たない。彼女もそうだったのだが、輸血することで体温が人並み程度まで上昇し、その状態が約一週間持続すると判明し、定期的に輸血する方針を取った。人間に扮するために。
出会った当初のアサトの年齢は推定24歳だが、13年を経ても彼女は変わらぬ若さを保ち続けている。人間同様に老化する通常のグリムと彼女は根本的に異なるのだ。
これまでアサトは聖府の要求に反抗する態度を見せず従順に従ってきたが、グリムである事実は変わらない。
だから聖府はもしものことを考慮し、彼女を殺せる人材を組織から選び抜き、彼女の監視役として常時行動を共にさせた。それがキースだった。監視役を担う立場だからこそキースはアサトの素性を認知していたのだ。
一通り読み終えたリョウガは書類を机上に放り投げ背もたれに身を預けると、疲弊した顔で宙を仰いだ。
「アサトはグリムの血液で火傷はしない。だがキースの報告ではセンジュの血液で火傷したとある。やはりセンジュは他のグリムとは違うのか……」
独り言を呟くリョウガは無意識に眉間に皺を刻んだ。やっとグリムの尻尾を掴んだ気がしていたが、重要人物には逃亡されこれ以上の追求は困難。
アサトに記憶があったならグリムを殲滅する糸口を得られるかもとも思ったリョウガだったが、それは夢のまた夢だと自嘲し嘆息した。
リョウガは再び書類に目を落とす。ガンズとキースからの報告書だ。
グリム感知器が感知しないグリムは自身を含め三人いるとセンジュは発言したとの報告。その原理は人間の血液を体内に取り込んだことによる、一時的な体温上昇なのだろうとリョウガは推察した。一人目はセンジュ、二人目はアサトだろうと。
「あー、もうなんも考えたくねぇ……」
机に突っ伏し、思わず弱音が零れた。こんな怠惰な自分を部下には絶対見せられねぇなとリョウガが自身を嫌悪した時、笑い声が聞こえた。
彼が顔を上げると、いつの間にかエイダが入室しておりいたずらな笑みを浮かべていた。
「あらー? いいのかしら、隊長さんがお仕事サボったりして」
「知りたかった情報がいっぺんになだれ込んできて頭がいてぇんだよ、ちょっとは労え」
「それはご苦労なことね。じゃあこれから話すことを聞いたらもっと頭痛が悪化するかもね、御愁傷様」
エイダの言葉にリョウガがあからさまに嫌な顔をすると、彼女は楽しげに笑い定位置である執務机に腰掛けた。手にしていた書類を机上に投げ捨てると、リョウガはそれを頬杖を付いて黙読を始めた。
「21区での任務でアサトちゃんが討伐した、殺害された狩人と瓜二つだった二体のグリムに関しての報告書よ。結晶化してなかったから殺害された狩人とのDNA検査が可能だった。結果は黒、奴らは間違いなく殺害された狩人本人だった」
「報告書に解剖不可と記載されてるのはなんだ?」
「それが不思議なんだけど……」
エイダは忍ばせていたタバコをくわえ火を灯すと、窓の外を眺めながら言った。
「解剖直前、グリムは結晶化して砕け散ったのよ、二体共ね。
こんなのは初めてよ、通常グリムは死後十分以内に結晶化するのが当然だったのに今回は二日経過してるもの」
「……話を聞きたいな」
呟かれた言葉にエイダが首を傾げると、リョウガは再び宙を仰いだ。
「センジュという男、王と名乗るからにはいろいろ知ってんだろ。話を聞きたいと思ってな」
「それはそうかもしれないけど、上からは討伐命令が出てるんじゃないの?」
「討伐はする。だが話を聞き出したあとだ。拷問でもなんでもして吐かせるさ」
「物騒ね。残酷なことだわ」
「綺麗事は戦争では役に立たん、身を滅ぼす枷になるだけだ」
エイダは灰皿にタバコを押し付けると、懸念の眼差しをリョウガに送った。
「きっとグリムを討伐するより遥かに危険で難易度の高い任務になるでしょうね」
「だろうな。けど俺は知りたい、グリムがなんなのか。敵の情報を得た上で戦いに臨んだほうが有利に動けるだろ」
「……あなたはやっぱり優しい人だわ」
「なんのことだ?」
エイダはなんでもないと笑い立ち上がった。リョウガが敵の情報を得たいのはきっと犠牲者を最小限に留めるためなのだろうと彼女は推測していた。
部下に厳しく、時には残酷なことも実行するリョウガだが、なんだかんだ言っても彼は心根の優しい人だと彼女は知っていた。
普段が厳しい分、その優しさに気付く者は少ないが自分は彼の優しさを知っている、だから支えていこうとエイダは心に誓っていた。
「あたしもできることは協力する。だから遠慮せずにあたしを頼りなさい」
胸を張って威張るように言うエイダにリョウガは苦笑しながら頷いた。
それを満足げに見届けたエイダは退室し、ヒールの音を鳴らしながら長い廊下を歩いて行った。すみれ色の瞳には普段の陽気な色が見受けられない代わりに揺るぎない決意が灯っていた。
「守るわよ、絶対に死なせない」
それはリョウガに対する呟き。エイダにとって彼は家族のように大切な存在なのだ。リョウガのように剣を振るう戦いはできないが、自分には自分の戦い方がある、それを精一杯尽くそうとエイダは自身を奮い立たせるのだった。
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