第9章 半覚醒

剣の重圧に耐え切れず赤い結晶が割れると、アサトはキースを突き飛ばし刀を捨て、結晶で象った新たな刀を手にセンジュの胸を貫いた。


返り血がアサトの頬に付着すると、細い白煙を上げ火傷の症状を残す。貫かれたセンジュの傷口でも同じ症状が生じていた。

 

この情景を狩人らが目にしていたらどうなっていただろう、きっとアサトを憎悪と殺意の眼差しで見るだろう、自分たちの大切な者たちを奪ってきたグリムと見なして、キースはそんなことを思っていた。

 

キースチームの狩人らの姿はこの場にはない、とりあえずは逃げ仰せたのだろうとキースは察した。


ガンズとその狩人らに関しては今は確認する術がないが、こんな情景を目の当たりにしてもキースは冷静だった。まごうことなくアサトの姿はグリムだ、キースはその事実を認知していたのだから。

 

零れた鮮血は積雪に大きな染みを作る。センジュは血反吐を吐きながら微笑み、掠れる声で言った。

 

「記憶はなくても、あなたの本能に巣食う私への憎悪が私を殺せと叫ぶのでしょう。私はあなたの大切な人間を奪ったのですから」

 

大切な人間、その言葉にアサトは微かに反応を示したが該当者などいなかった。

 

ぞんざいに刀を引き抜き跪くセンジュを無情に見下ろすアサトをキースがもう充分だ、逃げるぞと声を掛けても彼女が映すのはセンジュだけ。こうしている間にもグリムは着実に距離を縮めている。

 

焦燥感に駆られるキースが再度強行に出ようとした時、積雪に巨大な影が落ちた。見上げれば、鳥型グリムが鋭利な爪を構え急降下して来るではないか。その先にいるのはアサトだ。


グリムの存在に気付いた彼女が飛び退こうとした時、金色の結晶が巻き付き転倒してしまった。


キースがいち早く彼女の救助に動こうとすれば、彼もまたガンズらと同様に金色の結晶に張り付けにされ動きを封じられてしまう。


もがけばもがくほど四肢に食い込む結晶に苛立ち、焦りばかりが募る。成す術もなくアサトの名を叫ぶと、不快な咆哮が充満する雪空へと虚しく響いていった。

 

衝撃音と共に地面が揺れた。積雪が舞い散り視界が濁る。それが希薄しアサトの無事を確認しようと視線をさ迷わせるキースだったが、そこに倒れていたはずの彼女の姿はなく、抉られた地面にグリムの爪が突き立てられているだけだ。


だが決して少ないとは言えない血液がその場に飛び散り、グリムの爪に付着し、その爪に火傷の症状を残している。


アサトの負傷は確実だとキースが再度彼女の姿を求め周囲を見回すと、鳥型グリムの巨体の陰で人影がちらつくのが窺えた。


その瞬間、赤い斬撃が煌めきグリムの首を斬り裂いた。結晶化し砕け散るグリムの向こうに彼女が佇んでいた、だがその容姿はキースが見慣れていた彼女とは違った。


面影は残っている、だが赤く光輝する双眸は楕円型に変化し、唇からは顎に届きそうなほど鋭利な牙が飛び出し、頭からは二本の角が突き出、それは背ビレのように腰まで続いていた。


黒く短髪だった髪は血のように染色され腰まで垂れ、全身からは目に見えるほどの冷気が放出されていた。異様な容姿にキースは恐怖を覚えた。


グリムの爪に抉り取られたであろう脇腹からはとめどなく鮮血が溢れ出している。

 

おもむろにキースとセンジュに背を向けたアサトはグリムの群れの渦中に飛び込み狩りを始めた。そんな彼女の姿に戸惑うキースの横で、センジュは静かに傍観していた。

 

「半覚醒ですか……これは少々厄介ですね」


「何?」


「半覚醒ですよ、今の彼女のように完全に覚醒しきれなかった状態のことです。稀にいるのですよ。

半覚醒状態は覚醒前の通常時より全ての身体能力が増幅されます。ですが当人の意思とは関係なしに体は行動し生命体を破壊し続ける、いわゆる暴走状態に陥るのです。その原理は我々グリムにも解明できていませんが、今の状態では仲間であろうと殺してしまうでしょうね。あなたのことも」


「どうしたら止められる?」


「止めるには理性を取り戻させるか殺すしかありません。彼らでは力不足かもしれませんね」

 

センジュは神妙な面持ちでアサトに殺されていくグリムを見て言い、アサトの刀が貫通した胸部と背中の傷口を結晶化し血止めすると剣を手に地を蹴った。

 

センジュの前ではあれほど熱かった体が今は嘘のように冷たい、氷のようだ。殺意もどこかへ消失してしまった。意識ははっきりしていたが、体はアサトの意思に関係なしにグリムを狩る。


普段の何も感じない機械的な戦いとは違う、今はちゃんと感じることができた。目の前で動く者を殺したくて殺したくてたまらなかった。

 

幾重もの断末魔をどこか遠くに聞き、冷たい返り血を浴びながら躍動を続けるアサトにセンジュが斬り掛かると、彼女は脇腹から伸びる翼のような形状をした結晶でそれを受け止めた。

 

「強いあなたは好きですが、力に取り込まれたような今のあなたは好きになれませんね」

 

冷淡に言うセンジュが渾身の力でアサトを押し返せば、高層ビルをも悠に越える高度まで飛ばされた。


彼が一言命ずれば鳥型グリムたちがミサイルの如くスピードで間髪入れずに彼女へ突進を図る。


迸る血液を結晶化し氷柱のような凶器が数多に付いた巨大な防御壁を張れば、回避も不能なグリムたちはこぞってそれに衝突を繰り返し貫かれる。防御壁上に立つアサトは地に落ちていくグリムを冷淡に見下ろしていた。

 

幸運にも防御壁を回避しアサトの背後に回り込んだ数体のグリムがいたが、彼女はそれらを認識するや否や自身の背後にも防御壁を張った。その防御壁から槍のように伸びる結晶がグリムを貫く。

 

ふと彼女の足元で何かが蠢いている。センジュだ。グリムの背に乗じていた彼は彼女の意識がグリムに囚われている隙に防御壁に飛び移り、彼女との間合いを詰めていたのだ。


その存在に気付いた時には既に遅く、彼女は金色の剣に胸を刺し貫かれていた。

 

剣が接触した部分が焼ける感覚をアサトは感じていた。ひどく熱くて痛い、ぼんやりそう思う彼女の姿は元に戻りつつあった。牙も角も消え、髪は長く垂らしたままだが黒へ。


とめどなく溢れる鮮血は彼女の思考をも奪い取っていく。無慈悲に剣が引き抜かれれば勢いよく噴出した鮮血が視界を真っ赤に染め上げた。

 

足場の防御壁が割れるとアサトは宙に放り出され、重力に身を委ね落下して行った。虚ろな視界の隅でセンジュがグリムに乗じ自身を見下ろす姿が映った。

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